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リグレット・コレクター  作者: 天そば
第三章 文化祭二日目
41/42

人との距離の測り方

26(嶋良次 9)


 ぱん、と心地いい音とともに、ボールがグラブに収まる。そのボールを右手に持ちかえ、今度は相手に投げ返す。

 照明のついたグラウンドの片すみで、一樹とキャッチボールをしていた。川口たちは先に帰ったが、おれたちはちょっと残ってキャッチボールしようぜと一樹に誘われたのだ。捕球の際の掌の痺れ、ボールが指にかかる感じ。なんだか、ひどく懐かしいような気がした。

 ボールが何度か俺たちのあいだを行き来したあと、一樹が不意に口を開いた。


「なー、良次」

「ん?」

「お前、これ以上川口たちのことでぐちぐち悩むのやめろよー」


 俺は無言でボールを捕る。

 やっぱりそうか。一樹がキャッチボールに誘ったのは、この話をするためだったのだ。声をかけられたときから、なんとなく察していた。


「川口たちには大原もいるしよ。あいつなら、フラれたほうもちゃんとフォローしてくれるだろ。おれだって、まあ、できることはやるしよ。だからお前も、フラれたほうがどうとか考えねえで、ちゃんと向き合ってやれよ。そうしなきゃ男じゃねえって」


 ボールを捕り、投げ返す。そうしながら、俺はずっと無言で一樹の話を聞いていた。


「駄目だったほうもよ、そりゃ最初は落ち込むだろうが、いつかは立ち直るだろ。どっちもそんなに弱くねえって……おりゃ!」


 急にフライ気味の、大きく山なりになるボールを投げてきた。慌てて後ろに下がる。かなり大きいフライだ。ダッシュでボールを追いかけ、最後はジャンプして、なんとかグラブに収めた。


「おー、よく捕れたな。やっぱお前、外野もうまいわ」

「せめて予告してくれよ」


 小走りでさっきの位置まで戻る。ボールを手に、俺は深く息を吐いた。


「なんだお前。いまので息切れか?」

「違うって。……本当はさ、俺も最初からわかってたんだよ」


 なにをだよ、と一樹。


「俺にできるのは、柚香さんか柚希さん、どっちかを選ぶことだけだって。他に余計なことを考えるべきじゃないって。……わかってはいたけど、なんだか踏ん切りがつかなくてさ。頭の中ぐちゃぐちゃになって、いろんなことが手につかなくなってた」

「ああ。最近のお前、正直ひどかったぜ」

「だよな。……でも、今日でちゃんと腹を括ったから」


 大原が栗原先輩にかけた言葉を思いだす。

 目の前であんなものを聞かされると、俺もいい加減吹っ切らなくてはと思えた。


「大原が栗原先輩に言ってたことさ……なんだか俺、自分に言われてるみたいだって思った」

「ああ。ま、お前も栗原先輩も、行動を起こす前にごちゃごちゃ考えて悩んでるって点では同じだったもんな」


 そのとおりだ。俺も栗原先輩も、けっきょくは、人との距離を詰めるのに怖がっていただけなのだ。

 だけど、人との距離を詰めるのに怖がる必要なんてない。なにも考えず、素直な気持ちでぶつかっていけばいい。そう思ったら、驚くほど楽になれた。

 手にしたボールを投げる。綺麗な回転のかかったボールは、バシッと音をたてて一樹のミットに収まった。


「サンキューな、一樹」

「なんだよ急に」

「いろいろ話せて、なんか楽になったんだよ。明日からの部活も、ちゃんといままでどおり、気合入れてやるから。……でもさ、俺がまたヘタレたこと言ったり、弛んだ態度とったりしてたら、また、今回みたいにはっきり言ってくれ」


 一樹は満面の笑みを浮かべ、これまでで一番強いボールを投げてきた。


「おう、任せろ! 何度だって言ってやるよ」


27(大原あかり 15)


 目の前に、湯気のたつココアが運ばれてくる。一口飲んでみると、ミルクとの配合が絶妙で、驚くほどおいしい。ファミレスのドリンクバーとは比べ物にならない。

 同じくココアを注文した柚希も、驚いた表情を浮かべていた。


「このココア、すっごいおいしいね」

「うん……おいしい」


 公星高校から徒歩三分ほどの住宅街にひっそりとある、『雅』というお店。帰り道、わたしは二人を誘ってここに入った。

 コーヒーのおいしいお店として何度か雑誌にも取り上げられたことがあるらしいけど、看板に踊る「珈琲専門店」の字が、高校生には敷居が高いような気がして、公星の生徒はほとんど来ない。私も利用するのは今日が初めてだけど、コーヒー専門といいつつこんなにおいしいココアを出すんだから、学生が来る場所じゃないっていうのは勝手な思い込みだったのかもしれない。


「ハナマル食堂より、最初からこっちに来ればよかったわね」


 紅茶を頼んだ柚香も、満足したような表情を浮かべている。人もいないし、ということで、カツラもサングラスも外していた。

 穏やかなクラシックが流れる店内、他のお客さんたちも、リラックスした様子でお喋りしている。カウンターでは、初老の店主さんがカップを磨いている。

 柚香と柚希はカップを手に、ときおり、私の様子を窺うように視線を投げかけてくる。……あはは。いつ話し始めるのかなって思ってるんだろうな。

 心の中で深呼吸をしてから、私は話を切り出した。


「明日からまた、二人は入れ替わりながら学校に来るの?」

「……そうなるでしょうね。栗原先輩は黙っててくれるそうだし」


 ティーカップをソーサーに置きながら、柚香が答える。柚希も隣で頷いている。

 私は二人に微笑みかけた。


「よかった。じゃあこれからも、柚香と柚希――二人に会えるんだね」


 それが本当にうれしかった。


「あのさ、私、二人が双子だって……ユズが本当は二人いたっていうことを知ったとき、腑に落ちた感じだって言ったじゃん? あれってさ、これまでも無意識のうちに、柚香と柚希を区別してたからだと思うんだよね」


 二人とも目を丸くする。双子だって知らないのに、どうやって区別していたんだ、と声に出さず語っていた。


「私、ユズはすごい気分屋だと思ってたからさ。朝にちょっと話して、喋り方とか表情とかで、今日のユズはこっちの気分なのか、みたいな感じで判断してた。いま思い返すと、それって、柚香と柚希を区別する行動だったんだよ。今日はしっかりしてるほうだなあとか、のんびりしてるほうだなあって感じで」

「そんな……そんなにわかりやすく判断できたの?」


 柚香の問いに、私は笑顔で頷いた。


「なんで別人だって気づかなかったんだってぐらいだよ。まあでも、そのおかげで、双子だってことはすんなり受け入れられた。ホント、びっくりするぐらい驚かなかったもん」


 私とは逆に、目の前にいる双子は、驚いて仕方ないといった表情。


「びっくりしなかったし、それに、実はちょっとうれしくもあったんだ。ユズがずっと隠してきたことは、これだったんだってわかったから。文化祭中に突然一人でいなくなったりして、あれ、すごく寂しかったんだから。これからはそういう余所余所しいこともしなくなるんだろうなって思うとね、なんかほっとしたっていうか。……そしたらさ、昨日の帰りにさ、柚希、私になにか言おうとしてたじゃん?」


 ちらっと柚希を見る。居づらそうに肩を小さくしていた。

 大丈夫だよ、怒ってないよ、とアピールする意味で、私は軽い感じで続けた。


「あれってけっきょく、なに言おうとしてたの?」

「あの……。あかりからしたら、わたしって、急に出てきた変なやつだろうなって思って。これからどうなっちゃうんだろうって思ったから、それで、その……わたしは柚香じゃないけど、これまでどおり仲良くしてくれるかなって、訊こうと思ったの」


 ああ、やっぱり、そういうことを言おうとしてたんだ。

 今度は、ばつの悪そうな表情で妹を見ている柚香に尋ねる。


「柚香は今日、言ったよね。人間、好き嫌いはあるだろうけど、わたしにも柚希にも、好きなように接してねって。無理に気を遣わなくてもいいからって。あれはどういう意味だったの?」


 少し答えづらそうにしていたけど、紅茶を一口飲むと、はっきりした口調でこう返してきた。


「あかりからしたら、友だち二人の好きな人が被ってるって状況でしょ? わたしたちと接してるうちに、誰かを応援したいなあって思うこともあるかもしれない。もしそうなったら、わたしでも柚希でも、遠慮せずに応援したいほうを応援してね、って意味」


 柚希がさっき以上に目を丸くして柚香を見る。柚香はぜったいに妹と目を合わさない。

 私は小さく息を吐いた。


「やっぱりそういう意味だったんだね。私さ、二人からそう言われたとき、最初はぜんぜん意味わかんなかった。でもあとから、こういうことを言いたかったんじゃないかなってわかってくるとさ、なんかすごく、寂しい気持ちになったんだよね。……双子だってことがわかったからって、どっちか一人とだけ仲良くしたり肩入れしたりするとか、私にはぜんぜんそんな考えなかったのに」


 二人揃って、ばつの悪そうな顔でテーブルに視線を落とす。やっぱ双子だね。いま、まったく同じ表情だよ。


「でもさ、そう思うのもしょうがないよね。私、これまでも二人を区別してきたこととか、ちゃんと口に出して言ってなかったもんね。だからいまで、はっきり言っておくよ」


 少しの緊張を笑顔で塗り隠して、私は続けた。


「私はもう、二人がどんな性格かもわかってるよ。その上で、柚香とも柚希とも、ずっと友だちでいたいって思ってる。どっちか一人なんて選ぶ気ないよ。二人とも大好きだもん。それじゃ駄目?」


 柚香は私から目を逸らして頬をかいた。照れたときによくやる癖だ。

 対する柚希は、顔を真っ赤にしてかぶりを振った。


「駄目じゃない。……ありがとう、あかり。わたし、そんなこと言われたの初めて」


 少し涙を浮かべて笑う。

 柚香はクールぶった表情で頷いた。


「ありがとう。わたしも、あかりがそう言ってくれるんならよかった」


 言ったあと、涙が止まらなくなってきた柚希を横目で見やって、無言でナプキンを差し出した。それで目頭を押さえる柚希。柚香は妹から目を逸らして、また頬をかいた。

 なんでだろう、私は急におかしくなって、少し声を出して笑ってしまった。


「どうしたのよ?」

「いや、ごめん。……友だちっていいなと思って」


 どういう意味? というような表情を浮かべる柚香と柚希に、私は続けた。


「だってさ、嶋君の立場だったらどっちか一人を選ばないといけないけど、友だちならそんなことしなくていいじゃん。二股、堂々とかけられる」


 私は両手でピースしながら、二人に笑顔を向けた。

 柚香は軽く噴き出し、あんたねえ、と呆れたように笑った。その横で、柚希はしきりに頷いている。

 私は残ったココアを一気に飲み干した。優しい甘さが口の中に広がる。これまでになく、ほっとした気分だった。……でも、なんだかまだ、甘いものがほしいな。


「ねえ、なんかお腹空かない? ケーキ食べようよ」


 食べる! と、身を乗り出してくる柚香と柚希。私たちは三人で頭を寄せ合って、仲良くメニュー表を覗きこんだ。

 ちょっと大人な雰囲気の店内に流れる、穏やかなクラシック。

 耳ざわりのいいその音を聴きながら、私は思った。


 高校を卒業して、私たちがばらばらになっても、いつかまた、三人でここに来たいな。そして、あのときこんな話をしたよねって、今日のことを思いだして笑いあいたい。

 ……うん、来たい、じゃなくて、来よう。ぜったい。

 真剣な顔でケーキを選ぶ二人の親友を見ながら、いつか訪れるであろうその日のことを思い描いて、私はこっそりと微笑んだ。

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