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リグレット・コレクター  作者: 天そば
第一章 文化祭前日
4/42

前日の昼休み

2 (大原あかり1)


 突然だけど、私の通う公立公星高校には上履きが存在しない。体育館や武道場ではさすがに靴を脱ぐけど、校舎内には土足で入って、そのまま教室やら廊下やらを歩き回る。

 入学して一年半経ったいまではもう慣れちゃったけど、最初のころはどうにも悪いことをしているような気がして落ち着かなかった。小学校と中学校、ずっと上履きだったもんね。当然だよね。

 でも、私が土足で学校に入ることに戸惑った一番の理由は、小さい頃から両親に言われ続けてきた一言が原因だと思う。

 いわく――


「人の心に無闇に土足で踏み込んではいけません」


 あんまり口うるさいお父さんお母さんじゃなかったけど、この言葉だけは何回も頭に叩き込まれた。

 実際、お父さんもお母さんも、この躾を実践する人だった。

 小学校のとき、クラスメイトにベイスターズをバカにされたのが悔しくて、帰るなり部屋に閉じこもっていたことがあった。そのとき、お父さんとお母さんはなにも言わずそっとしておいてくれて、私が部屋から出てくると、ご飯できてるよとか、ベイスターズの試合録画しといたよって、普段より優しい声で言ってくれた。そのあとは、一緒に食卓やソファに座って、私が事情を話すのを待ってくれた。そして、いざ私が口を開くと、すごく真剣に聞いてくれたのだ。


 決して、なにがあったのか話してごらん、さあさあ、と無遠慮に相手の心に踏み込まない。私の心に上がってきてくださいと言われるまで、大人しく待ってくれるのだ。

 お父さんとお母さんのそういう温かい態度に、私は何回も救われた。そして、いつしか私にもそういう習慣が身についた。

 人は、他人に知られたくない秘密や過去がぜったいどこかにある。だからそれを、深い意味もなく詮索しちゃいけない。


 そういう意識が、常に私の頭に残るようになった。そして、「土足で入ってはいけない場所」というワードに、ちょっと……ほんのちょっとだけ、敏感になってしまったのだと思う。だから、高校になって急に土足で学校に入ることになかなか慣れなかったんだ。


 まあ、そんなことがわかったところで、だからなにってわけじゃないんだけど。

 お弁当の最後の一口を飲み込んで、私はささやかな自己分析を終えた。喋る相手がいなくなっちゃったからこんなことを考えてたけど、わかったところでって感じだよね、ほんと。

 昼休みの教室。食べ終えたお弁当箱を包みながら、私はちらっと横を見る。

 さっきまで一緒にお昼を食べていたユズは、机に突っ伏して眠っている。私より先に食べ終わると、ごめん眠たいから寝るねって、一瞬でこの姿勢をとった。そのあとは一回も顔を上げてない。たぶん本気で寝てるんだろうな。このところ疲れてたみたいだから。


 ウチのクラス、他クラスや中庭でご飯を食べる人が多いみたいで、昼休みは基本的に人が少ない。そのせいか、お喋りをしている人たちの声も控えめだ。……まあ、そんな中でも、教卓の周りでお弁当を食べてる藤井君は、いつも通り大声で笑ったり、隣のクラスから一緒にお弁当を食べに来る村中むらなか君にちょっかい出したり、楽しそうだけど。

 包み終わったお弁当箱を片付けて、さてどうしようかな、図書館で借りてきた本でも読もうかなと思ってると、


「なに暇そうにしてんだ、おい!」


 後ろから、けっこう強めの肩パン。うえ。冗談の域を通り越した衝撃と音だったよ、いまの。私は肩をさすりながら振り返った。


「痛いよ、ヨシノリ。ちゃんと手加減してよー」

「えー、うそだあ。めっちゃ手加減したって」


 私の後ろの席に座りつつ、まったく反省の色なしにそう答える。いまので手加減って、普通のはどんだけなの? よく彼氏に肩パンするって言ってたけど、大変なんだろうなあ彼氏さん。

 私はまだ熟睡中のユズに目を向けて、


「私はともかくさ、ユズが寝てるんだから。下手したらいまので起きてたよ」

「あー、ごめんごめん。あかりはともかく、ユズちゃん起こしちゃ可哀想だね。でも、珍しくない? ユズちゃんが寝てるなんて」

「うん。最近、あんまり寝てないって言ってたから」

「そっかあ。……お疲れなんだね」


 ヨシノリはぽりぽり頬っぺたをかいたあと、急に声のトーンを下げて訊いてきた。


「ね、あかり。ユズちゃんと話すときさ、アタシの話題とか出てくる?」

「え、どうしたの急に?」

「いや、なんかさ、アレじゃん。ユズちゃんって、誰とでも笑顔で話すけど、あかり以外には自分から話しかけたりしないじゃん? なんかそれが寂しくってさ。アタシはもっと仲良くなりたいと思ってんのになーって」

「ああ、そういうことね。うん、ヨシノリの話題になることもあるよ。しかもけっこうたくさん」


 最後の一言はちょっと盛ったけど、嘘ではない。クラスメイトの話になると、ヨシノリの名前がよく出てくるのは確かだ。でも、そもそもユズが進んでクラスのことを話すのはあまりない。基本的に、野球部の――嶋くんの話題が多い。

 ヨシノリはちょっと大げさなぐらい大きく息を吐いた。


「そうなん? なんつーかさ、アタシ、ユズちゃんに嫌われてんじゃないかって心配になることがあってさ」

「え、そんなことないよ。ユズがヨシノリの悪口とか言ってるの聞いたことないもん」

「ほんとにい?」

「うん、ほんとほんと。ただ、ユズはちょっと人見知りで……。あと、内弁慶っぽいところがあるだけだから」


 実際、私と二人のときは相当いろんなこと言う。わたしって可愛いじゃない? とか普通に口にしたり。ヨシノリとかにも、慣れたらそういう面も見せると思うんだけどなあ。


「マジかあー。よかった。あかりがそう言うんなら安心だわ。……あ、じゃあ、アタシこれから売店行ってくるから。またねー」


 ばいばーいと手を振って、教室から出て行くヨシノリを見送る。

 去り際のヨシノリは、ちょっと表情が明るくなっていた。よかったよかった。たぶんけっこう本気で心配してたんだろうな。あの子意外と繊細なんだよね。

 でも、嫌われてると思った、かあ……。教室でのユズの態度見てたら、確かにそう思っちゃうかもね。ほんとに、ぜんぜん自分からは話しかけないし。ユズと話したいって人もいっぱいいるのに、もったいないなあと思う。だから本当なら、今朝みたいなことは歓迎するべきだったんだけど……。

 わたしは教卓に目をやって、朝の出来事を思いだす。


 ホームルームが始まる前、ヨシノリたちとユズで、文化祭で出すクレープとホットケーキについて話をしていた。そのあとで話題が逸れて、ユズの妹さん、柚希ちゃんの話になったんだけど、これがまずかった。

 私はユズと知り合って一年半になる。それだけ一緒にいると、家族――特に柚希ちゃんの話題や、中学時代のことになるとユズが話を逸らそうとすることは嫌でも気づく。それらにまつわることで、ユズは人に知られたくないことがあるんだ。それがわかるのにも、そう時間はかからなかった。

 だから私は、ユズを教卓から連れ出した。本当ならもっと話してほしかったけど、ユズが話したくない、触れられたくない話題をずっと続けさせるのはまずいから。


 ううん、と隣から寝ぼけたような声。もぞもぞと動いたあと、ユズはゆっくりした動作で顔を上げた。

 長くて艶のある黒髪と、すっと通った鼻筋。ぱっちりした目はつり目気味だけど、輪郭が微かに丸みを帯びているおかげでキツイ顔という印象にはならない。左目の下には泣きぼくろ。寝起きだから目が少しとろんとしてて表情もぼうっとしてるけど、それでもやっぱり、美人さんだ。

 ユズは何回か目をしばたかせたあと、私を見て、


「完全に寝てた」

「あはは、知ってるよ。最近寝不足なんだね。昨日の古典の時間も、すんごい首こくこくしてたし」


 はは、と乾いた声で笑ったあと、ユズは軽く目を揉んで立ち上がった。


「ちょっとトイレ行ってくるわね」


 そのまま、教室から出て行く。すぐ隣にいたユズがいなくなったせいか、私の心理的な問題かわからないけど、肌寒さが薄っすら増したような気がする。

 もちろん私にだって、ユズの隠していることがなんなのか気になる気持ちはある。もしかしたら、いままでユズがどんなときに話を逸らしていたか、なにを訊かれたときにもっとも焦っていたかを考えれば、おおよその予想はつくかもしれない。

 けど、私はそういうことをあえて考えないようにしていた。きっとそれは、時機が来たときにユズが話してくれる。そう信じて、ユズとのあいだにある微妙な距離感を気にしないようにしてるんだけど……。


「なに変な顔してんだ、大原! 今年もベイスターズが最下位確定して落ち込んでんのか?」


 お弁当を食べ終わった藤井君が、私の前の席に座って、話しかけてきた。教室全体に響くほどの大声だったけど、藤井君の声が大きいのはいつものことだから、誰も気にしない。


「残念だけど、もうそれぐらいじゃ落ち込まないんだよね。それに、最近はけっこういい感じの若手も出てきたから」

「ああ。でもそういうのに限って、来シーズンになったらぜんぜんなんだよな」

「それは言わないで」


 そんな感じでひとしきりプロ野球談義をしたあと、藤井君は唐突に話を変えた。


「ところでよ、お前ホントになんかあった? さっきちょっと変だったぜ」

「さっきって?」

「おれが話しかける前だよ。なんか考えてるような顔してたじゃんか。授業中以外にあんな顔してるの初めて見たぜ」

「あー。まあ、私にもいろいろね」


 笑ってはぐらかしたつもりだけど、藤井君は一歩踏み込んできた。


「なんだよなんだよ。大原にも悩みとかあんのか? どんなことだ?」

「悩みってほどでもないけど……。ちょっと、説明するのが難しいんだよね」


 ユズが隠し事をしていることは、普段からよく接する私しか気づいていないと思う。そのことを口に出して藤井君に相談するのは、なんだかユズを裏切ることになる気がして、私はお茶を濁した。

 藤井君もさすがにこれ以上は押してこず、


「ちぇー。ま、いいけどよ。なんか知らねえけど元気出せよ!」


 とだけ言い残して、窓際の席で頬杖をついている村中くんのところへ行った。

 私は、ユズに面と向かって、なにを隠してるのか教えて、とは言わない。ユズ本人が私に告白してくれるまで、静かに、しっかり心の準備をして待っていようと思う。

 だけど……。


「村中、お前なにしてんだ? 考えごとか?」


 ……ときどき、藤井君が無性に羨ましくなるのも確かなんだよね。

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