ペアゲーム6 シチュエーションゲーム・後編
17(藤井一樹 9)
「あったあ!」
長い長い戦いの末、おれは荒れ果てた床の上からようやっとメガホンを見つけだした。
部室には時計がないので、どれだけの時間ここにいたのかわからない。良次たちの出番がまだ終わってないことを祈りながら、メガホンを手に大急ぎで部室を出る。そのまま一目散に中庭に戻りたいところだが、部室にはちゃんと鍵をかけねば。
戸を閉め鍵を回し、いざペアゲームへ、と思ったところで、誰かが一直線に部室棟のほうへ走ってくるのが見えた。近づいてくるにつれ、だんだん顔が鮮明になっていく。ありゃ、参加者の一人、谷先輩だ。どうしたんだ、いったい?
谷先輩は、グラウンドの入り口の手前で立ち止まった。野球部の部室前にいるおれとの距離は、だいたい五メートルほど。
だから表情がはっきりと見えたが、ちょっと目が潤んでるのが確認できた。
いったいなんだ、と思っていると、谷先輩は中庭に向かって、びびるほどの大声で、
「麻美ー!」
と呼びかけた。
18(大原あかり 12)
「いつもいつも、迷惑かけてごめんー!」
谷先輩は中庭にいる辻内先輩に向かって、そう叫んできた。
声は相変わらず震えている。でもなにか、さっきまでは感じられなかった力強さがあった。
「昔から麻美に助けてもらってばかりで、自分でも情けないって思うけど、いつか……いつか僕が、麻美を守ってあげられる強い男になったら、そとのときは」
袖でごしごしと顔を拭い、大きく息を吸って、谷先輩は続けた。
「そのときは、僕と結婚してくださいッ!」
あの谷先輩が、さっきまでぼそぼそ声でしか喋らなかった谷先輩が、マイクも使わず、五十メートル近く離れた中庭にまで、はっきりと届く声でそう言った。
観客たちが驚きのあまりただただ固まることしかできない中、動き出す影があった。
舞台を下りたところにいた辻内先輩が、近くにいた人たちを押しのけて走り出していた。中庭を抜け、部室ルートをまっすぐに駆け抜ける。ハンドボールコートを過ぎ、公衆トイレを過ぎてもスピードを緩めない。谷先輩の元へたどり着くと、そのまま、彼の胸に飛び込んだ。
数歩よろめきながらも、しっかり受け止める谷先輩。辻内先輩は谷先輩の胸に顔を埋めた。
数秒、時間が止まったような静寂が訪れ、我に返るのは全員同時だった。
地面を揺るがすような大歓声と拍手が、学校中に響き渡る。中庭にいる人たちも、渡り廊下から観戦している人たちも、一斉に声をあげ、手を叩いていた。
「優勝じゃあああー!」
いつの間にか部室ルートに出て来ていた藤井君が、メガホンを手にそう言い放つ。審査員たちはまだ点数を発表してないけど、もうそれでもいいか、というように頷いていた。
「……でもそれ言うの、あたしらの仕事なんだけど」
そうぼやきながらも、明日香先輩の顔は笑っていた。
谷先輩と辻内先輩が、藤井君に先導されて中庭に戻ってくる。温かい拍手と大きな歓声に迎えられた二人は、顔を見合わせて笑いあった。
――ああ、そうか。自分の気持ちを伝えるのなんて、こんな簡単なことでよかったんだ。
私はいまさらながらに目頭が熱くなるのを感じながら、舞台に上がってきた谷先輩と辻内先輩を拍手で讃えた。
こうして、今年のペアゲームは終了した。
*
「……来なかったって」
ケータイを耳から離しながら、柚希が私たちに言う。
「そっか。じゃあもう、犯人の手元に学生証はないんだよ」
「だな。ここまでやって返しに来ねえってのはおかしいし」
私と藤井君の言葉に、柚希と嶋君も小さく顎を引いた。
ペアゲームが終わったあと、私たち四人は中庭の片すみで話をしていた。いまちょうど、犯人らしき人が学生証を返しに来なかったか柚香に確認していたところだけど、見事に空振りだったようだ。
柚希はケータイをポケットにしまうと、私たちに頭を下げた。
「たくさん協力してくれたのに、ごめんね。また今度、ちゃんとお礼するから」
お礼って、そんな大げさな。一緒にペアゲームに出た嶋君はともかく、私はそんなに大したことはしてない。
中庭の中央付近には、まだたくさんの人が集まっている。その中心には谷先輩と辻内先輩がいる。優勝したペアが、そのあとしばらくはいろんな人から写真撮影を頼まれるのは毎年恒例のことだった。
「ね。柚香はもう、家に帰ったの?」
「あ、ううん。私服で帰ったら母さんたちに怪しまれるから、わたしが終わるまで適当に時間潰して待ってるって。そのあと一緒に帰る」
「じゃあ二人とも、後夜祭にも、ペアゲームの打ち上げにも出ないの?」
ホームルームのあとは後夜祭、更にそのあと、駅前の焼肉屋さんでペアゲームの打ち上げがあるらしい。どれも自由参加だけど、てっきり出るものだと思っていた。
「うん。柚香、風邪引いてるから帰りたいって」
「そっか、そうだよね」
……これはちょっとラッキーかもしれない。
「あのさ、じゃあ放課後、私も一緒に柚香のところに行っていいかな?」
「え、でも、後夜祭は?」
「いいよ。柚香も大変だっただろうし、お疲れさま言いたい」
柚香と柚希が揃うのは滅多にないだろうから、今日のうちにもうちょっと話がしたかった。
嶋君が時計を見る。
「そろそろ戻ったほうがいいな」
帰りのホームルームまで、あと五分もない。これにちゃんと出席しないと欠席扱いになる。
見ると、中庭の人だかりも解散しだしていた。谷先輩と辻内先輩も、もう教室棟へ歩き出している。柚希と嶋君に気づいた辻内先輩が、小さく手を振ってきた。
「……あ、そうだ。おれ、部室にメガホン返してくるわ。先行っといていいぞ」
「時間大丈夫か?」
「走れば余裕だろ」
それだけ言って、藤井君はダッシュで部室の方へ。まあ、あの足があれば問題なく間に合うよね。……でも、衣装は相変わらずアリスのままだけど、そのままホームルームに出るつもりなのかな。
私たちは三人で教室へ向かった。
その途中、教室棟の階段を上っていて、ちょうど踊り場にさしかかったとき。
「おおおーーい!」
後ろからものすごい声。振り返ると、藤井君が猛烈ダッシュでこっちへ。
「ど、どうしたんだ? そんな慌てて」
軽く息を切らしながらも、藤井君は答えた。
「あ、あったんだよ。部室の前に」
ずいと一歩近寄ってくる。辺りに人のいない踊り場で、私たちは四人、頭を寄せあうようにして立つ。
柚希が震える声で、
「あ、あったって、まさか……」
「おう。そのまさかだ」
藤井君はポケットに手を入れて、なにかを取り出した。私たちは息をのんだ。
それはまさしく、武広高校二年生、川口柚希の学生証だった。