ペアゲーム5 シチュエーションゲーム・中編
15(嶋良次 7)
頭の中が真っ白だった。
プロポーズなんて、そんな、まだ付き合ってもない相手になにを言えばいいんだ。
シチュエーションを聞かされたときから頭が真っ白になったけど、いざ出番が来て、舞台への階段を上がっているいまも、なにも思い浮かばない。
舞台の上で柚希さんと相対する。俺と目を合わせようとはせず、もう顔を真っ赤にして俯き気味の姿勢だ。目の前の柚希さんだけじゃない。柚香さんも、大原のケータイを通してプロポーズを聞いているだろう。
いったい、どんな言葉をかければいいんだ。これは文化祭の目玉イベントだ。一言、結婚してください、だけじゃ、誰も納得しない。もっとこう、場を盛り上げることを言わなければいけない。でも、場を盛り上げるプロポーズってなんなんだ。
「それでは、嶋・川口ペアのシチュエーションゲーム、スタートです」
小松先輩が、無情にもゲームの開始を告げる。
スタートしたからには、なにか言わなければ。とりあえず、なにか……。
とても落ち着いているとはいえない状態のまま、俺は勢いに任せて口を開いた。
16(大原あかり 11)
「君とはもう、出会って何年になるかな」
開口一番、がっちがちの表情のまま、嶋君はそう言った。
この時点で、あれ、おかしいなと思いはした。なんだか聞いたことのある台詞だな、と。
その引っ掛かりがなんなのかわかったのは、嶋君がこう続けたときだった。
「これから俺は過酷な道を進むことになる。これまでの人生で経験してきた苦労を総動員しても足りないぐらい、辛いことがたくさん降りかかるだろう。それを考えると、正直、身のすくむ思いだよ」
高校生が言うとは思えないような、芝居がかった台詞。それもそのはず、これ、実際にお芝居で使った台詞だもん。
二年六組の演劇で、嶋君は貴族の役をやった。その劇の中で、いままで自分を支え続けてくれた、シーラというお手伝いさんにプロポーズするシーンがあるんだけど、これ、そのときの言葉まんまだよ。
嶋君、これしか思いつかなかったのか、それとも、テンパリすぎてついつい言いなれた台詞を口にしてしまったのか、判断はできないけど、どっちにしてもちょっとな……。正直、前の二人よりひどいよ。
観客の中にも、当然、これが演劇の台詞まんまだと気づいた人がいるらしく、おい、これって……というような話し声があちこちから聞こえてくる。それでも、舞台上の嶋君は止まらない。勢いのまま、演劇どおりのプロポーズを続ける。
「とても一人じゃ耐え切れないだろう。だけど、君がそばにいてくれたら、大丈夫だと思うんだ。俺が辛いことに直面したとき、いつも君は励ましてくれたよね」
ここまでくると、もう、これが演劇の台詞なのはその場にいる人のほとんどに広まっていた。明日香先輩と栗原先輩も、おいおい、と言いたげな表情を浮かべている。
そんな中で、プロポーズを受けている本人だけが、これが演劇の再現になっていることに気づいていなかった。
柚希、嶋君になにか言われるたびに、いえそんな、とかなんとかごにょごにょ呟きながら、最初から赤かった顔をますます赤くさせている。そういえば、昨日も今日も、嶋君のクラスの演劇、観てないもんね。それでもこの言葉遣いはおかしいと思いそうなものだけど、うれしいやら恥ずかしいやらで気づかないんだろうな。
嶋君のプロポーズは、ここで佳境に入っていく。
「君は気づいてないかもしれないけど、俺がそれに、どれだけ救われたか。君がいなければ、俺はとっくに駄目になっていたよ。たぶん、これからもそうだろう。だから……」
ああ、いよいよくる。お芝居の台詞まんまだとはいえ、この場面はやっぱり緊張する。柚希も察したんだろう、俯かせていた顔を上げて、嶋君と目を合わせた。
「俺とずっと一緒にいてくれないか……シーラ」
会場が一瞬で静まり返った。言ったあと、嶋君自身も、まずい、という表情になる。
さすがの柚希にも、事の真相がわかったらしい。目を大きく見開いて、信じられない、といった表情で嶋君を見る。
「いや、違う。シーラじゃない。川口」
いまさら遅いよ嶋君。
プロポーズで名前を呼び間違えるという前代未聞の事態に、どう反応していいかわらかない、という空気が会場に蔓延していた。見かねた明日香先輩が、ゲーム中は司会が喋るのは厳禁のはずだけど、
「なるほど、シーラは言い間違いだったんですね。まだ少し、時間がありますよ。ちゃんと言い直してください」
嶋君は慌てて言い直した。
「ごめん、えっと、これからも一緒にいてください、川口さん」
「川口だけですかー?」
開き直ったのか、明日香先輩、思いっきり口を挟んでくる。
「これからも一緒にいてください、川口……ユズさん」
「彼女の名前、ユズじゃないですよー」
「これからも一緒にいてください、川口……柚香さん」
し、嶋君、やっと言えた。最初にユズって呼んだのは、目の前にいるのが柚希だから気が引けたんだろうけど、なんとなく不自然だもんね。
最後までぐだぐだなまま、嶋・川口ペアの出番は終わり。二人は舞台から下りていった。
「同じ野球部の先輩として、いろいろと苦言を呈したいところではありますが、最後はなんとか形にしましたね。ひとまずはお疲れ様です」
「ちゃんと最後まで名前を言って、誰に告白してるかわかるようにしましたもんね。緊張もある中で、嶋くんはよく頑張ったと思いますよ、俺は」
明日香先輩と栗原先輩が、なんとかフォローしてくれる。二人とも優しい。……だけど嶋君、あとで野球部からいろいろ言われるんだろうな。
そういえば、藤井君は戻ってこなかったけど、どうしてるんだろう。前に来られなかっただけで、どこかから見てるのかな、と、辺りをきょろきょろしてみたけど、私の身長じゃとても遠くまでは見渡せなかった。
舞台上にはラスト一組、谷・辻内ペアが入場してきた。
観客たちや生徒会のメンバー、司会の二人も、固唾をのんで谷先輩と辻内先輩を見守る。
前の三組は、正直どれも、満足のいくプロポーズを見せてくれたとは言えなかった。大トリを飾るこの二人が、いや、谷先輩が、いったいどんなプロポーズを披露してくれるのか。嫌が応にも、期待と関心が集まる。
「――それでは、谷・辻内ペア、どうぞ!」
栗原先輩が、これまで以上に気合の入った声で宣言した。
けど、舞台中央に立つ谷先輩は、緊張を通り越して少し青くなった顔のまま、一言も言葉を発しない。マイクを手にしてはいるけど、どうすればいいのかわからないといった表情だ。さっきの嶋君もがちがちだったけど、それ以上だ。明らかにプレッシャー負けしてるよ。
「谷くん? スタートして大丈夫ですよー」
明日香先輩の言葉に頷き、マイクを口許まで持っていきはしたけど、唇を震わせるだけで言葉が出てこない。
いったいどうするんだ……と誰もが思いかけたとき、辻内先輩が一歩、谷先輩に近づいた。ちょっと貸して、と口が動き、谷先輩からマイクを受け取る。
「すみません、彼、緊張しいなので……私から逆プロポーズします」
中庭にざわめきが広がる。まさか、こんな展開が待っていようとは。
辻内先輩はマイクを手に、柔らかな声で語りかけた。
「正紀。ペアゲームに出ようって誘ってくれたの、私が、高校生活の最後に思い出がほしいって言ったからでしょ? ごめんね。本当はこういうの苦手なのに、無理に出させちゃって」
谷先輩が、はっとしたように目を見開く。辻内先輩はなおも、優しい口調で続けた。
「そうやって、私のことを想って行動してくれる、優しい正紀が好きです。いつもありがとう。……私は正紀一筋だから、これからもずっと一緒にいよう。結婚したら、毎朝一緒に漬け物食べようね」
辻内先輩は目を細めて、これ以上ない優しい微笑みを谷先輩に向けた。谷先輩はそれを正面から受け止められず、目を横に逸らす。
私は目がいいのが自慢で、距離が離れた人の表情なんかも鮮明に見ることができる。私には、はっきりと見えた。
視線を逸らした谷先輩の瞳には、涙が浮かんでいた。
「すみません、短いけどこれで終わります。ありがとうございました」
観客たちにぺこりと頭を下げる辻内先輩。そのまま、舞台から下りようとしたとき、
「ちょっと待って!」
震えた声で、谷先輩が呼び止めた。
「僕からも、言いたいことがあります」
目に涙を溜めながらそう言うと、谷先輩は急に、辻内先輩に背を向けて、一直線に駆けだした。舞台から下り、審査員席も横切って、グラウンドへ続くアスファルトの道、通称「部室ルート」を駆け抜ける。
一瞬、谷先輩がいたたまれなくなって逃亡を謀ったのかと思った。でも、それは違った。グラウンドに入る直前、部室棟のそばで立ち止まると、いままで聞いたことのないほど大きな声で、
「麻美ー!」
と、辻内先輩に呼びかけてきた。