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リグレット・コレクター  作者: 天そば
第一章 文化祭前日
3/42

前日の朝

1 (川口柚香1)


 校内はどこもかしこも文化祭ムードだった。

 まだホームルーム前なのに話し合いをしているクラスも珍しくなく、中にはもうすでに飾りつけが施されている教室もある。そして、耳に飛び込んでくる話し声は、漏れなく文化祭の話題。


 ――あーあ、はしゃいじゃって。文化祭っていっても、そんな大したものじゃないのに。

 朝練のあと、教室へ向かう途中。学校中に漂う高揚した空気に、なんだか異国のお祭りの中を歩いているような気分になる。

 呆れ半分で教室に向かう中、廊下ですれ違った一年生が、文化祭は気になるあの人と一緒に回るの、なんて言っているのが耳に飛び込んでくると、思わず舌打ちしたい気分になった。


 その状況になってしまったらどうしよう。……わたしが、ではなく、柚希が。

 昨日の夜、文化祭の二日目は柚希が行っていいと言ったけど、本当なら行かせたくない。文化祭中は周りのテンションがおかしくなるから、なにが起こっても不思議じゃない。例えば、なにかのきっかけで柚希と嶋くんの仲が急激に縮まることだってありえるのだ。あの二人が仲睦まじく話しているところなんて、想像するだけで胃の中がむかむかしてくる。


 以前みたいに、嶋くんにわたしたちが双子だとバレてない状況なら、こんなに焦らないですんだんだけど……。

 階段を上がりながら、心の中でため息をつく。

 二ヶ月前、彼にわたしたちが双子で、一日ごとに入れ替わっているということがバレたとき、わたしと柚希は勢いに任せて告白してしまった。それに対する嶋くんの返答は、わたしたちのことは憎からず思っているけど、どっちが好きかはよくわからないし、いまは野球に集中したいから誰かと付き合うなんて考えられないというものだった。そのとき、頭に血が上っていたわたしは、ついこう言ってしまったのだ。

 じゃあ、部活を引退したあとに返事をすることにしよう。それまでに、わたしと柚希のどっちが好きか見極めてね、と。


 結果的に、この発言で嶋くんは完全にわたしたちを別々の人間として考え、どっちが好きかを常に意識するようになった。それによるメリットもあったけど、今回ばかりはそんなことを言ってしまった自分が恨めしい。

 三階に着く。二年四組の教室目指して歩きながら、頭の中に浮かぶのは、文化祭の話をしているときの、どこか寂しそうな柚希の顔だ。

 文化祭に行けなくて残念がる柚希を見ていると、弟の勇太郎くんに優しく接する嶋くんの姿が脳裏をよぎった。あれを思いだすと、どうしても柚希に冷たくしてはいけないと思ってしまうのだ。わたし、こんなんでこの先大丈夫なのかな?


 ドアを開けて二年四組の教室に入る。全体的な話し合いこそしていないけど、教卓の周りに何人か女子が集まって話をしていた。主に、クラスの女子の中心的なメンバー。今週に入って冬服になったため、みんな濃紺色のジャケットを着ている。その中の一人が、わたしに気づいて手をあげた。


「おはよう、ユズちゃん!」


 佐藤さとう夕子ちゃんだった。いちおう、クラスで二番目によく話す子だけど、関係はあくまでも「まあまあよく話すクラスメイト」の域を出ない。こっちこっちと手招きされたので、教卓に近づく。


「いまさあ、お店で出すクレープとホットケーキの生地に、ココアパウダー混ぜようって話してたんだ。あ、もちろん、普通の生地とココアパウダーの生地、両方作ろうってことね。ユズちゃんどう思う? いけると思う、これ?」


 なるほど。つまり、プレーン生地とココア生地、どっちかを選べるようにしようってことね。わたしは笑顔を作って、大きく頷いて見せた。


「うん、すごくいいと思う。生地が選べると、なんだか得した気分になれるもんね」


 おお、と周りから小さな歓声があがる。そして、川口さんが言うなら間違いないというように、やろうやろうとみんなが次々と口にする。わたしの日頃の優等生っぷりのおかげである。ふふ、なんか気分いいわね、こういうの。

 一人悦に浸っていると、ぽん、と肩を叩かれた。


「おはよう! なに話してるの?」


 筆箱とノートを手に、人なつっこい笑顔を浮かべた女の子がいた。

 彼女、大原おおはらあかりは、わたしが公星高校で一番親しくしている友だちだ。希望者なら誰でも受けられる早朝授業を取っているから朝練には来られないけど、野球部のマネージャーでもある。いまもその早朝授業の帰りだろう。


 中学からマネージャーをしていただけあって、肌は黒く焼け、髪は少し色素が落ちている。小柄で、前髪をヘアピンで留めていることが多いためか、中学生に間違えられることも多い。まあ、中身まで中学生レベルかというと、決してそんなことはないんだけど……。筋金入りの野球ファンで、好きな球団は横浜ベイスターズ。わたしと柚希も、何回か観戦に付き合わされたことがある。

 夕子ちゃんが、教室中に響くぐらいの音量であかりの質問に答える。


「クレープとホットケーキの話! ココア味の」

「どういうこと? ヨシノリ、ちゃんと説明してよ」


 首を傾げるあかり。ちなみに、ヨシノリとは夕子ちゃんのこと。自己紹介のとき、好物はヤクルトですと言って以来、あかりにそう呼ばれている。

 夕子ちゃんが、さっきまでの会話のいきさつを説明する。いいねそれ、とあかりも同意すると、場がまた盛り上がる。それが一旦落ち着くタイミングを見計らって、わたしは夕子ちゃんに尋ねた。


「そういえば、女子のキッチン係は誰がやるの? もう決まった?」

「ううん、まだ。あとでそれも決めようって話してたんだよね」


 夕子ちゃんが、隣にいるクラス委員の新井あらい香織かおりさんに同意を求める。新井さんは頷き、


「ホームルームのときに決めるつもり。あんまり表に出たくない子もいるだろうから、希望者は多いんじゃないかな」


 あまり表に出たくない人、ね。それってわたしのこと?

 入れ替わり生活を続けるにあたって一番まずいことは、わたしたちに双子の姉妹がいると発覚することだ。姉や妹がいることは言ってもいい。だけど、それが双子だということは隠し通さないといけない。

 だから、文化祭ではできるだけ裏方に回りたい。もし、柚希のことを知っている武広高校の生徒が来て、喫茶店で鉢合わせでもしたら大変だからだ。最悪の場合、わたしを柚希と間違えて、お前、武広の生徒なのになんで公星の文化祭に参加してんの、なんて訊かれてしまうかもしれない。そうなったらもう、わたしは柚希の双子の姉です、と説明せざるを得ない。それを避けるために、嶋くんの演劇の時間と被りさえしなければキッチンをやりたいのが本音なんだけど……。


「あ、でも、ユズちゃんはホールやってね。うちの看板娘なんだから!」


 大きい声を出して、夕子ちゃんがぐっと親指を立てた。わたしは困ったような表情を作り、訊き返す。


「えっと、看板娘?」

「うん、看板娘! ユズちゃんのエプロン姿見たさに来る人、ぜったいいるよ。気づいてた? こないだの調理実習のときもさあ、エプロン着たユズちゃんチラ見してる男子いっぱいいたんだから」

「え、そうなの? 気のせいじゃない?」


 なんて言うけど、思いっきり気づいてました。普段とちょっと違う姿になるだけであんなに見てくるなんて、男ってホントに単純よね。


「気のせいじゃないって。去年の球技大会で、アタシのクラス『不思議の国のアリス』のコスプレしたんだけど、ユズちゃんにはそれ着てもらおうかって話してたぐらい」


 不思議の国のアリスね。あの衣装はかなり着る人を選ぶけど、わたしなら絶対似合う。でも、それだと目立ちすぎるのよね。


「それはさすがに……」

「あー。まあね、ほとんど冗談だし。でもさ、だからユズちゃんにはホールやってもらわなくちゃってさっき話してたんだよ。ねえ?」


 新井さんたちが一斉に頷く。うん、いいわね。いい光景。じゃあもうホールで頑張っちゃおうかな。


「ね、ところで川口さんの家族は文化祭来る?」


 さっきまで無言だった小谷野こやの杏里あんりさんが、急にそう訊いてきた。なんでそんなことをと思いつつ、とりあえず答える。


「土日に文化祭があるってことは伝えてあるんだけど、来るかどうかはわからないの。仕事もあるから」

「そうなんだ。……川口さん、きょうだいとかはいないの?」


 え、なにそれ。そんなこと聞いちゃう? あかりのいる手前、いないよとは言えない。


「いちおう、妹はいるけど。来ないと思うわ」

「え、ユズちゃん、妹いたんだ! 初耳なんだけど」


 急に喰らいついてくる夕子ちゃん。なんだなんだ。そんなに魅力的な情報なの、これ?


「名前なんていうの? 何歳?」

「柚希っていうの。歳は一つ下ね」


 柚希の歳を訊かれたら、いつもこう答えていた。ちなみに、柚希として武広に行っているときに、お姉さんはいくつと訊かれたら、一つ上と答えることになっている。


「へえー、年子なんだね! いいなあ、ユズちゃんの妹、めっちゃ見てみたい。ホントに来ないの?」

「うん。そういうのあんまり好きじゃないのよ」


 そっかあ、と肩を落とす。よく見たら、夕子ちゃん以外の人たちも残念そうにしていた。そんなに柚希に会いたかったの? ほぼ一日おきに会ってますよ、あなたたち。

 しばらく質問攻めにされそうだな、どうしようかと考えかけたとき、あ、とあかりが声を出した。


「一限の数学、私当てられる日じゃん! ごめんユズ、ちょっとわかんないところがあるから教えて」


 やった、渡りに船だ。わたしはあかりに向かって、作りでない笑顔を向けた。


「わかった。時間もないし、いまやっちゃおっか」

「うん。ごめんね。ありがと」


 そのまま教卓を離れる。ありがとうあかり。あんた最高だよ。それにしてもラッキーだったな。

 そう思っていたわたしだけど、いざ教科書を広げて二人で数学の問題を始めると、また別の懸念事項が出てきた。というのも、


「で、この二つが同じ長さだって証明するには、まずこっちとこっちの角度が同一だってことから説明しないといけないの。そのためには……」

「あ、わかった。この公式使うんでしょ?」

「……うん、そう。よくわかったわね」

「えへへ。なんか今日は冴えてるみたい」


 これと同じようなやりとりが何回かあったのだ。わからないと言ったわりに、あかりは少しのアドバイスですいすい問題を解いていく。

 ――もしかしてあかり、本当は最初からわかってたんじゃない? だけど、わたしを連れ出す口実を作るために、わざとわからないふりをしたんじゃ……。

 そんな疑いさえ芽生える。


「ありがと。ユズのおかげで、すっごいよくわかったよ」


 最後の問題を解き終えたあと、あかりは笑いながらピースしてきた。いかにもあかりらしい仕草のはずなのに、なんだかわざとらしく見える。まるで、私は本当にこの問題がわからなかったんですよとアピールしているようだ。


「みんなもさ、なんだかんだで、ユズともっと話してみたいと思ってるんだよ」


 机にノートをしまいながら、声を小さくして、あかりが言った。


「私と話してても、よくユズの話題になるもん。普段どんなこと話してるの、とか、部活ではどんな感じ、とか。だからさっき、ユズと話せるチャンスだ、と思って急にあんなに質問してきたんだと思う」

「そう、なんだ……」


 なんだかばつが悪い。

 あかりに、もっとクラスのみんなと話したら、というようなことは何度か言われたことがある。そのたびに努力するとは答えるけど、わたしはあまり誰彼かまわず話しかけることができない。たまに話す程度なら問題ないけど、休み時間になるたびに雑談に興じるような関係になると、わたしと柚希の微妙な違いに気づかれる恐れがあるからだ。顔は完璧に同じでも、なんかノリが違うなとか、喋るのが上手なときと下手なときがあるな、なんて思われたらまずい。だから、あかり以外とは必要最低限しか話さないと決めている。

 あかりは口許に笑みを浮かべて、わたしを見る。


「まあ、ユズも好きで話してないわけじゃないっていうのはわかるよ。実は人見知りだもんね」

「うん。……ごめん」

「ううん。私こそ、なんか偉そうでごめん」


 そう謝ったあと、あかりはこう付け加えた。


「でも、ユズから話しかけたらぜったいよろこぶと思うよ。ね? 次はユズの得意な話題でいいからさ」


 ……得意な話題、ね。

 ホームルームの開始を告げるチャイムの音が鳴る。立ち上がって、あかりの席にくっつけていた椅子を持つ。


「うん、ありがと。頑張ってみる。じゃあ、もう行くわね」


 ほどなくして担任の先生が到着し、ホームルームが始まった。けれど、今日の連絡事項を読み上げる先生の声が、右から左に抜けていく。

 あかりは暗に、もっと積極的にみんなと話してみてよと言っていた。それはいい。これまでも二、三回ほど言われてきたことだ。でも、わたしの頭には一つの疑問が浮かんでいた。


 クラスメイトともっと話してみてって言うけど、だったらなんでさっき、夕子ちゃんたちから質問攻めにあうわたしを連れ出したの? あれ、わたしがみんなと仲良くなる絶好の機会だったじゃない。

 考えるわたしの中に、さっきのあかりの言葉が脳裏をよぎる。

 次はユズの得意な話題で。

 それはつまり、さっきの話題――柚希に関する話題が、わたしの不得意なものだとわかっているような言い回しだ。あのまま柚希について質問攻めにあっていたらまずいと思ったから、あかりは、本当は望んでいたはずの、わたしがクラスメイトと話す場を断ち切ったのだろうか。


 こういうことは、実はいまに始まったことではない。一つ下の野球部マネージャー、瑞樹みずきと話すときに、柚希の話題になることがたまにあった。そんなとき、あかりがさりげなく進路を変えることがままあったのだ。

 最近まで、ただの偶然だと思っていたけど……。


 教卓に立つ先生を見ながら、わたしは心の中であかりに問いかける。

 あかり。もしかしてあんた、なにか気づいてる?

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