ゲームが始まる
7(藤井一樹 6)
「けっきょく、めぼしい成果はなかったな」
おれが言うと、良次と川口妹は神妙に、大原は苦笑いで頷いた。
三時半まで、あと五分ほど。生徒会室に誰もいなくなったという連絡を受けて、おれたち四人は中庭に集まっていた。もう間もなく、良次と川口妹は体育館でスタンバイしなくてはならない。なんとなく、送別会のような雰囲気だ。
「やっぱり、ペアゲームにかけるしかないね」
大原がそう口にすると、良次と川口妹は、元から固かった表情を更に強張らせた。緊張しているのがモロわかりだ。おれなら楽しみで仕方ないところだが、こいつらはそうじゃないのか。まったく、それなら代わってほしいぐらいだぜ。
「いまさらびびってもしょうがねえって。ほら、もう時間だろ。頑張って行ってこいよ。ちゃんと最前列で応援してやるから!」
不安そうな表情を貼り付けたまま、二人は体育館に向かっていった。俯き気味に歩いていた川口妹は、一度、思いっきりドアに頭をぶつけていた。
おれと大原は顔を見合わせる。
「激しく不安だな」
「……だね」
始まる前からあんなんで、本番は大丈夫なのか……まあ、これは心配したってどうしようもねえか。おれたちはおれたちのできることをしなければ。
というわけで、だ。
「大原。おれ、ちょっと勝負服に着替えてくるわ。すぐ戻ってくるから」
驚く大原を置いて、ダッシュで教室棟へ向かう。そこの一階にある多目的教室が、男子生徒用の更衣室になっているのだ。
更衣室では、ペアゲームの前座で登場するアカペラ部の面々が衣装に着替えているぐらいで、他に人はいなかった。あらかじめ置いてあった勝負服に二分足らずで着替え、急いで中庭に戻る。
と、大原は誰かと話をしていた。ありゃあ……後輩マネージャーの武田か。
二人はおれが近づいてくるのに気づいて顔を向けた。すると、武田が驚きと笑いが入り混じった表情で、
「ふ、藤井先輩、それで応援するんですか?」
「違うって。いまのおれは藤井じゃねえよ」
思い切り胸を張りながら言ってやる。
「フジイの国のアリスちゃんだよ。そこんとこ間違えんなって」
クラスの喫茶店に出たときと同じ、不思議の国のアリスの格好。これなら最前列でも目立つこと間違いなしだ。
「そ、そうなんですか。それは失礼しました、アリスちゃん」
笑いながら頭を下げてくる。うん、いいノリだ。
「あかり先輩から聞きましたよ。ユズ先輩と嶋先輩、ゲームに出るんですよね? 野球部に声かけて、みんなで応援しましょうよ!」
「おお、いいなそれ。ただ、おれと大原は最前列で応援するって約束しちまってるんだ」
さすがに、野球部全員で最前列を陣取るのは難しい。人数が多すぎる。
「あ、そうなんですね。じゃあ、あたしがみんなを集めて、後ろのほうで応援します」
「おう、頼む。あいつらもぜったいよろこぶと思うぜ」
「はい! じゃ、あたしはもう行きますね。先輩たちも前のほうで頑張ってください」
明るい笑顔で手を振りながら、武田はおれたちから離れていった。
部員みんなで応援か。なんか、これぞ文化祭、って感じになってきたじゃねえか。
「盛り上がってきたな。大原、おれらも負けねえように目立ってやろうぜ!」
「う、うん。そうだね」
と答えつつも、大原はなんとなく冴えない表情だ。
「どうしたんだよ。お前まで緊張してんのか? 駄目だぜ、文化祭は楽しむものなんだからよ。緊張してると損だって。な?」
とん、と軽く肩を叩く。大原は少し目を丸くしたあと、白い歯を見せながら頷いた。
「そうだね。文化祭なんだから、楽しまなくちゃね。ありがと、藤井君」
「おう。わかりゃいいんだよ。じゃ、そろそろ行こうぜ。テンション上げてけよ!」
人でひしめきあう舞台前に視線を移す。最前列まで出るのは一苦労だろうが、そこまでの道のりも楽しんでやろう!
8(川口柚希 12)
入口のドアに思いっきりぶつけてしまったおでこをさすりながら、わたしは体育館の中に入った。体育館っていう場所は、常に人が大勢――少ないときでも一クラス分ぐらいの人数がいるイメージだったけど、いまは、出番に向けてスタンバイするペアゲームの参加者たちと、生徒会の人たちが何人かしかいない。なんだか室内が異様に広く感じる。
脱いだ靴を並べてると、明日香先輩が小走りでやってきた。
「ちょっとユズ、なんで美術室で会ったときに教えなかったのよ。森野から聞かされて、あたし、めちゃくちゃびっくりしたんだからね」
「ご、ごめんなさい。なんか、言うタイミングがなくて」
頑張って笑顔を作りながらそう答えた。たぶんだけど、引きつっていたと思う。
明日香先輩はにやにや笑いながら、ま、いいわ、と頷いた。
「出るんなら頑張りなさい。嶋も、ちゃんとリードしてあげるのよ」
「は、はい。頑張ります」
ああ、嶋くんも引きつり気味の笑顔だ。柚香ならともかく、やっぱり、わたしとペアじゃ不安だよね。
明日香先輩に先導されて、体育館の中央のほうへ移動する。たぶんゲームの参加者なんだと思う、二組の男女がいて、四人で楽しそうにお喋りしていた。
「まだあと一組来てないんだよね。全員揃ったら注意事項とか説明するから、いまは適当にスタンバイしといて」
明日香先輩はそう言い残して、生徒会の人たちがいるほうへ行ってしまった。まだなにか準備があるんだろうけど、なんだか心細くなってしまう。
先に来ていた二組のペアは、珍しいものを見るような目をわたしたちに向けていた。そのうちの一人、背の低い、つんつんした髪型の男の先輩が、にこやかに話しかけてくる。
「さっき聞いたぜ。君ら、二年なのに飛び入り参加してきたんだってな。すげえ度胸じゃん」
いえいえそんな、と二人揃って首を振る。つんつん髪の先輩は構わず、
「二人とも野球部だろ? 稲葉や小松に会いに三年の教室に来てるの、何回か見たことあるよ」
「そうだったんですか。実は俺たち、野球部の宣伝で参加するんですよ」
「まじかよ。すげえ参加理由だな」
「はい。キャンセルが出たって聞いたので、駄目元でお願いしたらオーケー貰えて」
はー、と先輩たちが感心したような声をあげる。つんつん髪の先輩の隣、日焼けしている女の先輩が、
「でも確か、野球部って部内恋愛禁止だよね。二人とも、付き合ってるわけじゃないの?」
「ええっと、……はい、そうです。キャプテンとマネージャー長なので、俺たちが出ようって」
嶋くんが遠慮がちにそう答えると、また、先輩たちは驚いたような表情を浮かべた。少し不安になる。カップルでもないくせになんで参加してるんだ、なんて思われないかな。
「すごいね。二人とも、部活想いなんだね」
小柄で髪の長い女の先輩が、のんびりした口調でそう言ってくれた。他の先輩たちも、次々に頷く。よかった、とほっとしてると、いままで黙っていた坊主頭の男の先輩が、わたしに向かって口を開いた。
「ところで、もう頭は痛くないか?」
あ……。さっき、玄関のドアに頭をぶつけたの、見られてたんだ! 顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「は、はい。もう大丈夫です。……すみません、ちょっとお手洗いに行ってきます」
恥ずかしいやら他の人の視線が集まるのが嫌やらで、わたしは慌ててその場を離れた。トイレの鏡の前で、はあ、と大きく息を吐く。
大丈夫だよ。そんなに難しいことじゃない。折りを見て、武広高校に妹がいますって言えばいいだけなんだから。それさえできれば、あとは流れに任せてゲームに参加するだけ。うん、こんな簡単なことはない。
必死にそう言い聞かせて緊張をなくそうとしてると、ポケットの中でケータイが震えた。柚香からメールだ。わたしとあかり、嶋くんと藤井に一斉送信されたメールは、「スタンバイ完了」と短い文面。廊下の掃除用具入れの中に入ったってことだろう。……わたしも、そろそろ戻らなくちゃ。
トイレから出ると、参加者たちの輪の中に、さっきまでいなかったペアが一組加わっていた。小柄で優しそうな顔の男の先輩と、きりっとした顔つきの背の高い女の先輩。たぶん、あの二人が最後の参加ペアだろう。
輪の中に戻ってきたわたしに、きりっとした顔つきの先輩が軽く頭を下げる。
「あなたが野球部のマネージャーさん?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
緊張しつつ、わたしも頭を下げる。
「みんな集まったね? じゃあちょっと、説明するよー」
明日香先輩がわたしたちのほうへやってきた。隣には男の先輩もいる。この人は確か、もう一人の司会の栗原啓太先輩だ。さっき、昨日のペアゲームの様子が展示されたパネルで見た。
明日香先輩と栗原先輩は、ごくごく簡単に、ペアゲームの注意事項や、入場の仕方などを説明した。
「だいたいこんなもんかな。難しいことはないし、ま、大丈夫でしょ。なんか質問ある人いる?」
明日香先輩の問いかけに、全員、首を横に振る。
オッケー、と司会の二人が頷いたとき、入り口のドアが開く音が聞こえてきた。その場にいた全員、驚いて玄関のほうを見る。野球部の先輩にして、昨日のペアゲームの優勝者、稲葉先輩がどたばたと体育館に入ってくるところだった。
「栗原ー。靴、持って来たぞー!」
ぼろぼろのシューズを顔の横にかざしながら、こっちへ向かって来る。栗原先輩は表情を輝かせて迎え入れた。
「あったのか! マジで助かったよ。このままじゃ俺、ずっと足が濡れたまま司会するところだった」
「ああ。これで水虫回避できるな」
周りにいた先輩たちが、その様子を見て笑った。きょとんとするわたしと嶋くんに、明日香先輩が教えてくれる。
「あいつ、さっき靴びしょびしょに濡らしてさ。いろんなやつに予備の靴がないか訊いて回ってたのよ」
ああ、そういうことだったんだ。でも、稲葉先輩が持ってきた靴、部活で使ってたアップシューズっぽいけど、土で汚れてるし右足の親指のほうには指一本通りそうなぐらい大きい穴が空いてる。とても人に貸せるものには見えないけど、栗原先輩はありがとうありがとうと何回も頭を下げている。相当困ってたんだろうな。
稲葉先輩は、わたしたちのほうに顔を向けると、ずんずんと大股で近づいてきた。
「お前らも頑張れよ! 野球部枠なんて、すげえこと考えるじゃないか。応援してるからな」
ぼん、と肩を叩かれた嶋くんが、頑張ります、と苦笑いで答えた。
「川口もな。たまには思いっきりはっちゃけろよ」
「は、はい。ありがとうございます。でも、稲葉先輩、わたしたちが出ること、知ってたんですね」
「ああ。武田から聞いたよ。もう野球部は全員知ってると思うぞ」
そ、そうなんだ。瑞樹は誰から聞いたんだろう。あかりか藤井からかな。こんなに早く広まるなんて、ちょっとびっくり。
「野球部みんなで応援してやるからな。……あ、それと、嶋」
これ以上ないほどのいい笑顔を浮かべて、
「シューズを探すとき部室に入ったんだが、どこにあるかわからなくてよ。いろんなとこを探してるうちに、ちょっと散らかしちまったんだ。悪いけど、あとで片づけ頼む」
さらっととんでもないことを言い残して、稲葉先輩は体育館から去っていった。そのあとで、嶋くんが一言。
「ぜったい、ちょっと散らかしたってレベルじゃないと思う」
「うん……まあ、ね」
稲葉先輩の豪快な性格を考えると、だいたい、いま部室がどんな状況なのか想像がつく。部員用の部室にマネージャーが入るのは禁止されてるから、わたしたちが手伝うわけにもいかないし……頑張れ、嶋くん。
笑いをこらえるような表情を浮かべながら、明日香先輩は体育館の外に目を向けた。
「じゃ、時間だし、あたしたちはそろそろ行こうか」
「だな。さっき言ったとおり、みんなは、入場の音楽が流れたら中庭に出てきてくれ。……健闘を祈る!」
びしっと敬礼して、明日香先輩と栗原先輩は外に出ていった。
あと少しで、ペアゲームが始まるんだ。少し収まりかけていた緊張が復活してきて、どうにも落ち着かなくなってきた。身体が勝手にそわそわ動く。
「大丈夫か、川口?」
「う、うん。大丈夫……ぜんぜん問題ない」
ああ、思いっきり声が震えてる。そ、そうか、と頷きはしたけど、たぶん嶋くんも信用してないと思う。我ながら情けない。
けっきょく、出番が来るまでのあいだ、嶋くんや先輩たちから、
「本当に大丈夫?」
と、五回以上は訊かれてしまった。