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リグレット・コレクター  作者: 天そば
第三章 文化祭二日目
25/42

美術室の絵

5(川口柚希 11)


 ファーストフード店のカウンター席で、わたしはケータイとにらめっこしていた。

 父さんと母さんは、朝の十時過ぎに家を出て公星祭に向かった。そのとき、柚希も一緒に行かないかって誘われたけど、他の友だちと遊ぶ予定があるからと断って、その少しあとで、わたしも家を出た。いまは公星高校近くのファーストフード店で時間を潰している。母さんたちが帰ると柚香から連絡がくるから、それを合図にわたしも学校へ行き、入れ替わりを行う予定だった。


 父さんと母さんには悪いけど、喫茶店で柚香を見たあとは、あんまりぶらぶら歩き回らず、すぐに帰ってほしいっていうのが本音だった。

 けど、その期待は見事に裏切られた。

 現在の時刻は二時半。たぶん母さんたちは十二時前には公星に着いたと思う。こんなに長いあいだ喫茶店に留まってるはずないから、そのあとにいろいろ見て回ってるんだろう。


 最初に入ってきたときに比べてすっかりお客さんが減ったお店の様子に、自分がどれだけ長い時間ここに座ってるのか思い知らされる。

 わたしのせいでややこしい事態になったのに、一人だけなんにもしないで、こんなところでただ座ってるだけなんて嫌だな。早く公星へ行きたい。とりあえずわたしが行けば、誰かと生徒会室の見張りを交換できるし。

 早く鳴れ早く鳴れと、わたしの思念が通じたのか、ケータイが震えた。柚香から着信だ!


「もしもし?」


 人目があるのも忘れて、つい大きい声で電話に出てしまった。


「もしもし、柚希? いま母さんたち帰ったわよ」

「じゃあ、わたしもいまから行く!」


 腰を浮かしかけると、ストップストップ、と静止を呼びかけられた。


「あんたがいまそこを出ると、母さんたちと鉢合わせるかもしれないじゃない」

「あ、そっか。じゃあ、もうちょっと待ってからがいい……よね?」

「そうね。母さんたちはまっすぐ帰るって言ってたから、あと十分ぐらい待って」


 あと十分。いますぐ向かおうと思ってたわたしとしては、すごく長い時間に感じた。だけど柚香の言うとおり、母さんたちに鉢合わせるのはまずい。今日もカツラと帽子、サングラスで変装してるけど、それで騙せるとは思えないし。


「じゃあ、あと十分後に出る」

「うん。……で、それまでの時間を使って、今日あったことを説明するわね。森野先輩にはわたしからお願いに行って、ちゃんとペアゲームに出られることになった」

「え、ほんと?」

「さっき、先生の了承を得たってメールが来たわ。ゲームの始まる三十分前に体育館に集合だって」

「う、うん。わかった」


 急な参加だったから本当に出して貰えるか半信半疑だったけど、ちゃんと交渉は成功したんだ。やっぱり柚香はすごい。わたしじゃぜったいこういうことはできない。


「いちおう、野村先生にも話は通したから。出るんなら頑張りなさい、だって。……まあでも、ゲームの途中でさりげなく、武広高校に通う妹がいるって言えば、あとは流していいから。そんな難しいことじゃないわ」

「だ、大丈夫。わかってる。武広高校に通う妹がいる……うん、わかってる」

「あと、間違っても「双子の妹」とは言わないことね。それ言ったら本当に全部パーよ」

「うん、えっと、大丈夫。双子なんて言わないから」


 そう? と返事する柚香の声には、少し不信の色が感じられた。


「ペアゲームのことはこんなもんね。あと、文化祭を回りながら藤井がちょいちょい聞き込みとかしてくれてるみたいだけど、いまのところなにも情報なし。昨日のセレモニー中に理科室棟へ入っていった人も、ペアゲーム中に教室棟へ入っていった人も、目撃証言なし」


 柚香に見えるはずもないけど、わたしは小さく頷いた。残念ではあるけど、たぶんそうなるだろうなって思ってたことだ。


「あと、代わる代わるみんなで生徒会室を見張ってるけど、学生証を届けに来る人はいないわね。他の落し物はちょいちょいあるみたいだけど」

「そっか。いまは、誰が見張りやってくれてるの?」

「あかりよ」


 あかりか……。とりあえず、学校で柚香と服を交換したら、見張り役はすぐにわたしが替わろう。

 電話の向こうで、柚香が小さく息を吐くのが聞こえてきた。


「とりあえず、聞き込みでいい情報が入るとは思えないから、ペアゲームでどうにか頑張るしかないわね。そこんとこ、本当に頼むわよ?」

「う、うん。頑張る」

「じゃあ、報告はだいたいこんなもんね。あと五分後ぐらいに出れば母さんたちと鉢合わせることもないでしょ。そっち出るときメールして。で、学校に着いたら理科室棟四階のトイレに来て。そこで交換しましょ。……じゃあ、またあとでね」


 通話を終える。

 それからきっちり五分待ってお店を出て、公星高校へ。言われたとおり理科室棟四階のトイレへ行くと、柚香が一人で待っていた。


「大丈夫だった? 母さんたちに会ってない?」

「うん、大丈夫」


 トイレ内に柚香以外の人はいなかった。ささっとお互いの服を取り替え、入れ替わりを済ませる。

 黒いTシャツに細身のデニム姿になった柚香が、わたしから渡されたバッグを探りながら訊いてくる。


「柚希、イヤホンどこに入ってる?」

「あ、ごめん。そっちじゃなくて、ポケットのほう」


 バッグの横についたポケットを指差す。柚香はそこに白いイヤホンが入ってるのを確認すると、一つ頷いて、


「これでわたしもペアゲームの音を聞いてるから。あんたもへましないで頑張りなさいよ」

「う、うん。大丈夫。頑張る」

「オッケー。それじゃ、わたしはゲームが始まるまで、適当な場所で休んでるから。あんたはこれからどうするの?」

「あかりと見張り番、替わってくる。せっかくの文化祭なのに、時間とらせちゃって申し訳ないから……」


 柚香は少し肩をすくめて、そうね、と短く言葉を返した。

 そのあと柚香と別れて、わたしはすぐ生徒会室へ向かった。だけど、近くにあかりが見当たらない。どうしたんだろうと思ってると、生徒会室の向かいにある美術室から、探し人がひょっこりと顔を出した。


「一人で長時間ベンチに座ってるのも変だなって思ってさ。こっちからでも、生徒会室は見張れるし」


 近づいてきたわたしに、あかりは小声でそう教えてくれた。

 美術室には至るところにパネルが立てられてて、そこに、部員が描いた絵が貼ってある。室内には、わたしたち以外に五人ほどのお客さん。


「いろんな絵があって意外と飽きないんだよ。柚希もちょっと見てったら?」

「うん。じゃあ、そうする。……あの、でも、あかりは他にどこか回りたいところ、あるよね? こっちはわたしが見ておくから。大丈夫だよ、好きなところ行ってきて」

「あー……いや、いいよ。昨日、ヨシノリたちとかなりいろいろ回れたから」

「え……でも、いいの?」

「うん、いいよ。だいじょぶだから」


 笑いながらそう答える。

 でもなんだろう、いつものあかりの笑顔じゃないような気がした。具体的にどこが違うのか、言葉では説明できないけど、なんとなくよそよそしいというか……。

 昨日、駅での別れ際に変な感じになっちゃったから、あかりもわたしにどう接していいのかわからないのかな。どうしよう、どんな言葉をかければいいのかな。ここには人目があるから、下手なことは言えないし……。

 変な沈黙が続く。あかりも、なにか言葉を探しているように見えた。


「あ、そうだ。この絵すごくない?」


 気まずい雰囲気を打ち消すように、あかりが一枚の絵を指差した。

 それは、中庭の風景を色鉛筆でスケッチした絵だった。風景だけじゃなく、生徒もあちこちに描かれてるけど、一人ひとりの制服のしわまで細かく描かれてて、少し遠いところから見ると絵じゃなくて写真だと思うかもしれない。思わず口から本音が漏れる。


「うわ、すごい」

「すごいよね。ここら辺はぜんぶ、このタッチの絵だよ」


 言うとおり、周辺に飾ってあるのはぜんぶ同じ、色鉛筆で細かく描きこまれた風景画だった。学校のどこかの風景をメインに描かれてるのがほとんどだったけど、その中にちょこちょこ人が混じってる。だけどどの人も移動の途中に偶然通りかかったような感じで、声をかけてモデルになってもらったようには見えない。毎日繰り広げられてる学校の風景を、そのまま切り取って絵にしましたって感じだ。


「ここらへんの絵って、たぶん、どれも同じ人が描いてる……よね?」

「そうなんじゃないかな。杉内すぎうち夏目なつめさんって展示されてるね」


 あかりが、絵の隣に貼ってある氏名が記入されたカードを指差す。

 杉内夏目さん。聞いたことないから、たぶん一年生か三年生だろうな。これだけすごい絵を描ける人って、どんな人なんだろう。ちょっと気になる。


「あたし去年、同じクラスだったよ」


 わたしたちの後ろから、突然、そんな声がした。びっくりして後ろを振り向く。


「明日香先輩!」


 あかりとわたしの声が綺麗に重なった。明日香先輩は、白い歯を見せて手をあげ、


「やっほ。廊下からあんたたちがいるのが見えたからさ」

「そ、そうだったんですか。びっくりしたあ……」

「あはは。びっくりしすぎでしょ。ユズ、アンタって意外とびびりよねー」


 屈託なく笑う明日香先輩に、あかりが絵を指差しながら訊く。


「明日香先輩、この杉内って人と同じクラスだったんですか?」

「うん。元二年四組仲間。……っていっても、いまはもういないんだけどね。二年の終わりに転校しちゃってさ」

「転校しちゃったんですか! 凄い絵なのに残念だなあ」

「ね。転校先、どこだったっけ……。担任から聞いたのに忘れちゃった。まあでも、すごい絵でしょ。杉内って職人気質って感じでさ。美術部だったんだけど、人が近寄りがたくなるぐらいに集中して、黙々と描いてたみたいよ」


 なるほど。絵を見るとなんとなくそんな感じが伝わってくる。すごく細かいところまで描きこんであって、こだわりを感じるっていうか。

 十枚近くある杉内さんの絵を、もう一回じっくり見てみる。中庭やグラウンド、教室と、見覚えのある風景がほとんどだったけど、その中で一枚だけ、他とは違う描き方の絵があった。

 風景自体は、学校の校門付近を描いたもので、変わったところはないけど、アングルが特殊だった。人の目線じゃなく、かなり高いところから描かれている。上空写真っていうやつがあるけど、あれをもうちょっと低くしたところから描いたって感じだ。校門付近にはたくさんの生徒が歩いてて、中には制服じゃなく着ぐるみを着てる人もいる。校門には『第二十一回公星祭』のアーチ。この風景、見覚えがある。


「これ、公星祭の絵だね」


 わたしと同じ絵を見ていたあかりが呟いた。


「二十一回ってことは去年だろうけど、これ、どこから見た角度だろ? けっこう上からだよね」

「わたし、知ってる。屋上から見た角度だよ」


 昨日わたしは、屋上から校門付近を見下ろした。そのときに見えた景色とこの風景画は、ほとんど同じように思える。

 あー、と横で明日香先輩が呟いた。


「屋上かあ……。ってことはあの子、文化祭のときに屋上に行って、ずっと絵ぇ描いてたんだな。写真を撮ってそれを絵にするのは嫌いだ、実物を見ながら描くのが風景画だって言ってたから」

「え、文化祭中にですか? 友だちとどっか回ったりしないで、ずっと絵を?」


 目を丸くするあかりに、明日香先輩はどこかばつが悪そうに頬をかいた。


「さっきも言ったけど、杉内って職人っぽいところがあってさ。教室でもあんまり誰とも話さないで、ずっと絵ぇ描いてたのよね。ちょっとクラスでも浮いてる感じだった」

「そうなんですか……。人嫌いだったんでしょうかね」

「いや、それもちょっと違う気がする」


 あかりの呟きに、明日香先輩は控えめに反論してきた。


「本当はみんなと話したかったんだけど、不器用だからそれができなかったっていうのもあると思うんだよね。ときどきあたしが話しかけると、基本素っ気無いんだけど、ちょっとうれしそうなときもあったしさ。それに、本当に人嫌いなら、絵にわざわざ生徒なんか描かないだろうし……」


 色鉛筆で描かれた、繊細な風景画。カメラ目線ではないけど、その中には必ず、生徒の姿も一緒に描かれている。……絵の中に描かれた人たちは、みんな楽しそうな表情を浮かべてるように見える。歩きながら隣の人と喋ってるだけでも、なんだか生き生きしてるっていうか。

 わたしは知らず、ぽつりとこぼしていた。


「絵を描くとき、写真を見ながらじゃ嫌って言ったのは、そこにいる人たちの空気みたいなものを感じられないからかもしれないですね。……杉内さん、本当は風景じゃなくて、それを描きたかったんでしょうね」


 杉内さんにとって、絵のメインは、用紙いっぱいに大きく描かれた風景じゃなく、隅のほうで生き生きとした表情を浮かべる学友たちのほうだった。だけど、気恥ずかしくてそれを堂々と宣言することができなかった――そんな気持ちは、なんだか、わたしにもわかるような気がした。

 ふと、明日香先輩がまじまじとこっちを見てるのに気づく。

 ……し、しまった。わたし、杉内さんのことなにも知らないのに、知ったようなことを言ってしまった!


「あ、いや、いまのはその、単にそう思っただけっていうか……。勝手なわたしの想像なので、ぜんぜん、根拠もないんですけど……」


 明日香先輩は無言でわたしを凝視している。ど、どうしよう、怒らせちゃったかな? さっきのわたし、ちょっと偉そうだったし……。

 どうすれば機嫌を直してくれるかと考えてると、明日香先輩が軽く吹き出した。


「え、明日香先輩?」

「いや、ごめん。あんたって、冷めてるように見えるときもあるけど、ちゃんと誰かに同情できるよね。……そういうとこ、なくさないようにしなさいよ」

「は、はい……?」


 明日香先輩は満足げに笑って、ぽんぽんとわたしの頭を叩いた。


「さて。あたしはもう行くわ。生徒会に、ペアゲームのことで変更があるからって呼ばれたんだよね。……じゃあね、ユズ、あかり」


 そのまま美術室を出て、生徒会室に入っていった。そういえば明日香先輩、ペアゲームの司会だったっけ。


「柚希と嶋君が出るって聞いたら、明日香先輩、驚くだろうね」

「うん、そうだね」


 なんでさっき言わなかったんだって、怒られるだろうな。

 時計を見る。時刻はもう三時になっていた。あと三十分で、わたしと嶋くんは体育館に集合だ。

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