ペアゲーム出場交渉
3(川口柚香 10)
文化祭二日目は、初日と違ってオープニングセレモニーがない。ホームルームで出席を取ったあとは、正門の開く九時まで、約十五分ほど暇な時間ができる。わたしたちのクラスはそのあいだに開店準備を行ったけど、それも五分程度で終わった。余った十分を利用し、わたしとあかりは生徒会室を尋ねるべく二階の渡り廊下から特別教室棟へ入った。
「本当に一人で大丈夫?」
一階へ向かって階段を下りる途中、あかりがそう訊いてきた。先ほど、森野先輩との交渉はわたし一人でやるから、と言ったのだ。
「大丈夫よ。あかりは外で待ってて」
今日も午前中は喫茶店を手伝うことになっているので、九時までには戻らないといけない。手短に話をまとめる必要があるので、一人でさっさと終わらせたかった。……それに、あかりの前ではちょっとやりづらい話をするかもだし。
一階につき、そのまま生徒会室へ。ドアは閉まっていたけど、擦りガラス越しに部屋の明かりがついているのが確認できる。森野先輩がいますように、と祈り、軽くノック。すぐに、はい、と声が返ってきた。
「どちらさ……」
ドアを開けた森野先輩は、わたしを見た途端、長年逃げ続けてきた借金取りに発見されたかのような表情で固まった。
ちょっと心外ね。わたしはそんなに物騒じゃないっつーの。
と、そう思いながらも、外面ではしっかり笑顔を作る。
「おはようございます森野先輩。少しお話したいことがあるんですが、入ってもよろしいですか?」
そう尋ねながらも、わたしは半歩ほど距離を詰めた。後ずさる生徒会長。室内には森野先輩以外に誰もいない。できればわたしと二人きりになんてなりたくないだろうけど、こっちは二人きりじゃないとできない話がしたいのでしょうがない。
顔を青くしながら森野先輩が頷く。わたしはあかりを振り返り、ちょっと待っててねと言い残して室内に入った。
戸をしっかり閉めるのを確認してから、森野先輩が口を開いた。
「な、なんの用かな?」
「ちょっとしたお願いです。急で悪いんですけど、今日のペアゲームにわたしと嶋くんを参加させてもらえませんか?」
「……いや、いくらなんでも急すぎるだろ」
「でも昨日、キャンセルが出たって聞きましたけど。まだ代わりに参加するペアとか決まってないんですよね?」
「代わりもなにも……。いまから探しても代わりが見つかるかわからないし、今年の参加ペアは三組にしようと決めたんだよ」
「ちょうどいま、見つかったじゃないですか。小道具とかも四組ぶん用意してあるんでしょう? 空いたところに入れるだけなんですから、そう面倒くさいこともないんじゃないですか」
それでもなあ、と森野先輩は歯切れが悪い。生徒会で決定したことだし、そう簡単に覆すわけにはいかないのかな。じゃあしょうがない。時間もないし、さっさと終わらせよう。
わたしはポケットからケータイを出し、二ヶ月ほど前に生徒会室で録音した音声データを流した。森野先輩の表情が凍り付く。
「お願いしますよ。ね? 参加させてくれたらこのデータ消すので」
「お……お前、またか。また僕を脅しているのか?」
「脅してなんていませんよ。言うこと聞いてくれたらデータ消しますってだけじゃないですか」
「聞かなかったらどうなるんだ? それを小松や秋山先生に教えるのか?」
「そんな酷いことしませんよ。ただわたし、このデータけっこう気に入ってるので。これを着信音に登録して、そのあとついうっかりマナーモードにするのを忘れて、授業中の教室で鳴るってことはあるかもしれないですけど」
「ふざけるな!」
あ、キレた。ちょっとやりすぎたか。ここは素直に頭を下げる。
「すいません。いまのは冗談が過ぎました。べつに断られたところで誰にもなにも言いませんよ。でも、わたしが目の前でこのデータを消せば、精神的に楽になるんじゃないですか? 受験勉強も捗りますよ。いま、余裕ないんでしょ?」
生徒会室の机の上には参考書が広げられている。昨日、柚希たちが尋ねたときも勉強してたみたいだし、もうこの人の中では学校生活を楽しむことより受験に勝つことが優先になっているんだろう。……もしかして欠員が出たのにペアゲーム参加者を追加募集しなかったのは、雑務に追われて勉強の時間が減るのが嫌だったからなんじゃ……なんて、この考えは少し意地悪すぎるかな。
森野先輩は品定めするようにわたしのケータイを見やる。
「そのデータ、どこかにコピーをとってあるってことはないか?」
「ないです」
「本当にか?」
「こんなデータわざわざコピーするほど暇じゃありませんって。わたしの良心に誓って本当です」
嘘だけど。本当は柚希のケータイにコピーとってあるけど。
森野先輩は考えを纏めているのだろう、黙ってじっとわたしを見ている。時間がないからさっさと言うとおりにしてほしいんだけどな。
やがて、ようやく腹を括ったらしく頷いた。
「……わかった。先生と交渉してみる」
「ありがとうございます。いけると思いますか?」
「たぶん。先生は本当なら、追加ペアを募集するのがいいと思っていたそうだからな」
「へえ、そうなんですか。じゃあそれを森野先輩たちが反対したんですね。なんでいまさらって思われるかもしれないですけど、そこはうまく交渉お願いします」
わかってるよ、と吐き捨てたあと、わたしに刺すような視線をぶつけてくる。
「しかし、昨日と今日でえらい違いだな。昨日は控えめで大人しかったのに」
「そりゃあ、いつもいつもこんなことしてるわけじゃないですし。わたしだって出来ればやりたくないんですよ。……じゃ、交渉が終わったら結果教えてください。わたしのアドレス、消してないですよね?」
「ああ……。参加できることになったら、ちゃんと僕の前でデータを消せよ」
「もちろんです。それじゃあ、そろそろ行きますね。お邪魔しましたー」
笑顔で手を振ったけど、予想通り向こうが笑みを浮かべることも、手を振り返してくることもなかった。べつにいいけどね。
廊下に出ると、あかりの心配そうな顔がまず視界に飛び込んできた。
「大丈夫だった? なんか森野先輩、大きい声出してたけど」
「ごめんね、ちょっと話が盛り上がっちゃったの。ちゃんとオッケーもらえたから」
そのまま並んで歩き出す。もうすぐ九時だけあって、特別教室棟には人が集まりだしていた。生徒会室の向かいにある美術室も、もうドアが開いて展示のものが並べられている。
「うまくいくといいね。ペアゲームの出場」
二階に上がって渡り廊下にさし当たったとき、あかりがそう声をかけてきた。
「まあ、たぶん大丈夫って言ってたから平気だと思うわ」
「そうなの? ならよかった。……ていっても、柚香はゲーム中ずっと掃除用具入れに隠れとかなくちゃならないんだよね。大丈夫そう?」
げ、そうだった。教室棟の廊下を歩きながら、通りかかった教室の掃除用具入れを盗み見る。あれの中に入るのか。わたしは狭いところが苦手じゃないけど、でも、
「一人で用具入れの中でじっとしてて、音もたてちゃいけないっていうのは、精神的にちょっとキツそうね」
「だよね。じゃあさ、ゲーム中、私と柚香のケータイはずっと通話状態にしとかない? イヤホンしとけば音が漏れることはないし、ゲームの様子もなんとなくわかるしさ」
「え、本当に?」
そうしてくれるならありがたい。いまごろゲームはどうなっているだろうと狭い場所で悶々としているより、何倍も精神衛生上よろしい。
あかりは白い歯を見せて頷いた。
「うん、やろうやろう。イヤホン持ってきてる?」
「持ってきてないけど、柚希にメールして持ってきてもらうから大丈夫。こんな方法考えもしなかったわ。ありがとう」
「ぜんぜんだよー。そのままなにもしないと、柚香だけ仲間外れみたいだもんね。こうすればいちおう、ましにはなるじゃん?」
仲間外れみたい、か。あかりらしい発想だなと思う。いろいろ考えて気を遣ってくれてるんだろうな。わたしだけじゃなく、柚希にも。
昨日の帰りの電車で考えたことを思いだす。
あかりはわたしと柚希のどっちとも友だちで、でも、わたしと柚希は嶋くんをめぐって対立している形だ。あかりの立場は難しい。優しい子だから、今後、頭を悩ませることも多いだろう。
「……あ、そういえば」
隣で、あかりは急に照れくさそうに笑い出した。
「昨日の電話はごめんね。あの、柚希が屋上から飛び降りるんじゃないかと思って電話したやつ。あれ出たの、柚香だよね?」
「ああ、うん。そうだったわね」
「やっぱり。……なんか私、すごいこと言ってたよね? いまさらだけど、びっくりさせてごめんね」
ごめんって。べつに悪いこと言ったわけじゃないし、それに、確かにびっくりはしたけど、
「あれね、実はちょっとうれしかった」
「え?」
きょとん、と擬音が聞こえてきそうなほど間の抜けた表情。それに構わず話を続ける。
「あんなこと、友だちに言われたの初めてだったし。……ちょっとじゃなくて、すごくうれしかった」
似たようなことを言われたことはあるけど、社交辞令や建前なのが透けて見えていた。あんな風にがむしゃらに、ただただストレートに、あなたがいなくなるのは嫌、なんて、本当は友だちどころか誰からも言われたことがない。
あかりは照れたように、まあ、たまにはね、と笑った。わたしも笑顔を返す。……うん。
あかりを悩ませるのは嫌だな。
「あのね、あかり」
わたしはなるべくくだらない話をするような口調で続けた。
「急にユズが二人になって戸惑ってるかもしれないけど、無理にわたしたちに気を遣わなくていいからね」
「うん……え?」
「だから、あかりは難しい立場かもしれないけど、人間、誰だって好き嫌いはあるから、わたしにも柚希にも好きなように接してねってこと。わたしたちに気を遣って、いろいろ悩んだりしなくていいから。大丈夫だから、それで」
わたしはあかりを視界に入れないよう、終始前を向いたまま話した。前方にはもう、二年四組の教室が見えている。廊下に立っていた夕子ちゃんが、わたしたちに気づいて手を振ってきた。
「行こうか。まずはクラスの手伝いをちゃんとしなきゃね」
そう告げて、わたしは少し早足になってあかりを追い抜き、教室へ入った。
4(大原あかり 9)
え、どういうこと?
私を追い抜いて先に教室へ入っていった柚香の背中を見ながら、心の中でそう呟く。
柚香にも柚希にも好きなように接してって、それはまあ、そうするつもりだけど、私が難しい立場っていうのはどういうこと? それに、誰にだって好き嫌いはあるっていうのは……。
ちょっと考えて、一つそれらしい考えが浮かんだ。
柚香と柚希は恋のライバルで、私はどっちとも友だちで、じゃあどっちを応援するの、ってことなのかな? 無理に気を遣わずっていうのは、素直に応援したい方を選んでって意味で……。
なんだか、心のうちにざわざわと落ち着かないものが広がっていく。
柚香は私に、自分か柚希か、どっちか好きなほうを応援してって言いたかったのかな。そんなの考えたこともないし、どっちか選んでなんて言われても困るよ。
昨日の柚希もだけど、こんなこと言われるなんて考えもしなかった。二人からすれば、私がどう思ってるかわからないっていうのもあるかもしれないけど、でも、双子だってわかった途端、急にどっちか一方とだけ親しくしたりしないよ。私にとってはどっちも、大切な友だちだよ。
お腹の中が、重たい鉛でも詰め込まれたようにずしりと重くなる。
私って意外と、二人に信用されてないんだな。
……どうすればわかってくれるかな。




