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リグレット・コレクター  作者: 天そば
プロローグ
2/42

前々日の報告会

初っ端から、前作「リバース・シンデレラ」の重大なネタバレがあります。未読の方はご注意ください。

川口かわぐち柚希ゆずき 1)


 子どものころ、ニュースで偶然耳にした「ギジロク」って言葉が妙に頭に残った。

 当時のわたしは漢字もろくにわからないような年齢だったから、意味がわかったわけじゃない。ただ、あんまり聞いたことのない響きに興味を引かれた。なんかカッコいい発音だな、必殺技かなにかかな、なんて、いろんなことを想像したのを覚えてる。


 けど、高校二年生になったいまでは、その予想がぜんぜん違っていたとわかる。

 ギジロクは、漢字にすると議事録。辞書で調べると、議事の内容、経過、決定事項などを記録したもの、と書かれていた。簡単に言うと、会議の記録をつけた紙みたいなものなんだろうな。ミーティングで決まったことを紙に書いて野村のむら先生に提出することがあるけど、きっとあんな感じのやつだ。

 じゃあ、毎日の報告会でわたしたちがつける記録も、議事録ってことになるのかな? 二人で交わす秘密の会議程度のことでも、議事を名乗ることが許されるならだけど。


「――柚希、もう終わりなの?」


 掌に置いた手帳に視線を落としながらそんなことを考えていると、すかさず叱咤の声が飛んできた。わたしは慌てて、座椅子にもたれかかっていた背筋を伸ばす。

 声の主、柚香ゆずかは、ベッドの上から憮然とした表情でわたしを睨みつけていた。右手にはシャーペン、左手には手帳。


「ご、ごめん。ちょっとぼうっとしてた」

「やめてよ。……ま、眠いのはわかるけど」


 言ったあと、ふわあ、と大きく欠伸をする。時刻はもう十一時。わたしはともかく、連日五時起きの柚香は眠くて仕方ないと思う。いまはベッドに座ってるだけだけど、本当ならいますぐ横になりたいはずだ。

 九月二十七日、木曜日。双子の姉妹であるわたしたち――川口柚香と川口柚希は、恒例となった夜の報告会で、お互いの学校で今日起こったことを報告しあっていた。

 なぜ眠いのを我慢してまでこんなことをしているのかというと、わたしたちが一日おきに入れ替わって、お互いの高校を行き来しているからだ。


 わたし、川口柚希は武広たけひろ高校の二年生。姉の柚香は、公星こうせい高校の二年生。柚香にある左目の泣きぼくろがわたしにないという以外はまったく同じ外見で、声もほとんど変わらない。それをいいことに、わたしたちは高校入学以来、それぞれの学校を行き来する生活を続けていた。

 火、木、土曜日はわたしは「川口柚香」として公星高校へ通い、月、水、金曜日は「川口柚希」として武広高校へ。柚香はその逆で、月、水、金、日曜日に公星高校へ行き、火曜日と木曜日は武広高校へ行っている。そしてお互い、公星高校へ行く日は、野球部のマネージャーとしてそのまま部活にも出ている。今日は木曜日だから、わたしが公星高校へ行った。


「授業中には完全に決めきれなかったから、放課後にも話が食い込んだの。それで、部活には少し遅れちゃった」

「うんうん」


 お互いの高校を行き来するにあたって、一番大事なことが情報の共有だというのは、この一年半でものすごくよくわかった。例えば、わたしが柚香として公星高校に行ったとき、そういえば昨日こんなことがあったよねとクラスメイトに話しかけられても、うまい反応ができない。昨日学校に来ていたのは柚香で、わたしじゃないから。一回や二回だけならまだ大丈夫かもしれないけど、何回も続くと不審に思われてしまう。

 それを防ぐために、わたしたちはこうして毎日、お互いの高校であったことを報告しあっている。


「放課後の話し合いで、材料の調達係は夕子ゆうこちゃんたちに決まった。衣装は、各自でエプロンを持ってくるってことで」


 頷きながら、柚香は手帳にわたしの言ったことをメモしていく。

 柚香と二人の夜の報告会は高校に上がってからほぼ毎日してるけど、こうやってメモまでとるようになったのは二ヶ月前からだ。


 わたしたちが入れ替わりをするようになった理由は、まあ、いろんな事情があるんだけど、簡単に言うと、わたしが公星高校の野球部キャプテン、しま良次りょうじくんを好きになってしまったから。

 中学時代に偶然観た野球の試合で嶋くんに一目惚れしたわたしは、あの人と同じ高校へ行きたいと願って勉強に励んだけど、彼が武広か公星かで悩んだ末に公星に受験届けを出したと知って愕然とした。すでに武広高校へ願書を出したわたしは変更できない。落ち込むわたしに、公星高校を受験した柚香が、一日ごとに入れ替わってお互いの高校を行き来しないかと提案してきたのだ。


 どっちの高校にも親しい人はいないし、双子がいるということを隠しておけば、よっぽど大きなミスをしない限りバレないだろう。そんな算段の元でわたしたちは入れ替わり生活を始め、目論見通り誰にもバレることなく一年が過ぎたんだけど、二ヶ月前に事件が起きた。


 誰あろう嶋くん自身に、わたしたちが双子で、しかも一日ごとに入れ替わっていることに気づかれたのだ。その後のゴタゴタで、ついうっかり嶋くんに告白してしまったりと、あのときはホントにどうなることかと思った。幸い、柚香の機転や嶋くんの優しさもあって大事には至らず、わたしたちはそれからも入れ替わり生活を続けているんだけど。


 ただ、それから変わったこともいくつかあった。その一つが、夜の話し合いのときに手帳に記録を付けるようになったことだ。

 前々から、報告会にはけっこう時間をかけてたんだけど、嶋くんにバレてからはさらに念を入れるようになった。ただ話すだけよりメモもとったほうが頭に入るのは確かだけど、おかげで以前にもまして長引くようになった。

 しかも、いまの時期なら尚更だ。


「あと、女子からも四人ぐらいキッチンに回ってほしいって。もしかしたら明日、それも決めるかも」

「え? でも前から、女子は全員ホールって言ってたじゃない」

「そうだったんだけど、急遽、ホットケーキとクレープもメニューに加えることになっちゃって。で、こういうのは女子のほうが得意だろうから、キッチンにほしいって」

「急すぎじゃない? 明後日本番なのに、なに考えてんのよ」


 あくびをかみ殺しながら、柚香がさらっと毒を吐く。

 公星高校の文化祭、通称公星祭は、今週の土日に行われる。わたしたちのクラス、二年四組は喫茶店をやることになってて、連日この準備に追われているため、報告会で話すことも多くなる。ちなみに、武広高校は文化祭と体育祭を一年ごとに繰り返すシステムで、今年は体育祭の年だった。それも先週で終わったから、そっちはひとまず落ち着いてる。

 柚香は手帳をじっと見ながら、考え込むように顎に手を当てる。


「キッチンねえ……。できるならホールよりそっちがいいんだけど。あかりはなんか言ってた? キッチンやりたいとか」

「あんまり乗り気じゃないみたい。たぶん、やるんだったらデザート系の注文が多い一時とか二時ごろになるだろうからって」

「ああ、そっか。その時間帯はまずいわね」

「うん。ユズも困るでしょって言ってたよ」


 普通にそう言ったつもりだったけど、柚香は微かに眉をひそめた。まずいな、わたしが思ってること、声に出ちゃったのかな?

 あと二日に迫った文化祭だけど、わたしはそれを楽しみにする余裕がなかった。だって、当日はわたし、家で留守番なんだから。

 文化祭は二日間通して行われるけど、一日目も二日目も柚香が行くことになっていた。文化祭や体育祭では入れ替わらないってルールは最初から決めていたことだけど、話し合いや準備には参加して本番はなにもできないなんて、やっぱりちょっと寂しい。


 でも、それだけならまだ我慢できる。わたしがなかなか諦め切れないのは、嶋くんのいる二年六組の演劇を観られないことだ。

 昼過ぎの一時半に始まるその劇で、嶋くんは貴族の役をやるそうなんだけど、なんと、終盤にプロポーズのシーンがあるのだとか。オリジナル脚本だから詳しいストーリーはわからないけど、あの嶋くんがプロポーズだなんて、これはもう、なにがなんでも観たいっていうのが本音だ。

 でも、いまさらルールに口を挟むことはできない。せめてお客さんとして見物に行ければいいんだけど、わたしの場合それもできない。柚香に双子の妹がいるってことがバレたら、それだけでわたしたちの入れ替わりに気づく人が出てくるかもしれないからだ。変装をしても、あかりや野球部の人たちには見抜かれる恐れがあるし。


 わたしがこれからも公星高校に通いたいなら、今回のことは諦めるべきだ。それはわかってる。わかってるけど、まだちょっと完全に割り切れないところがあった。

 そんな感情が無意識に顔や声に表れてしまったのかもしれない。柚香は黙って床に視線を落としていた。少し気まずい。どうしよう、なにか言うべきかなと考えてると、柚香が先に口を開いた。


「今日の報告は、もう終わり?」

「あ。……うん、他には特にないかな」

「ん。じゃあ、おやすみ」


 それだけ言って、柚香はベッドに横になって布団を被った。これ以上わたしと話したくないんだろうなと思わせるには充分な態度だった。きっと、わたしがなにを思っているのかわかってるから、さっさと話を打ち切ったんだ。

 なにかフォローの言葉をかけたほうがいいかなと考えるけど、なにも思い浮かばなくて、結局無言で立ち上がった。今日の報告会は柚香の部屋でやっていた。部屋の主がもう寝る気でいるのに、長居はできない。


「出るとき電気消して」

「わかった」


 ドアのわきのスイッチを押す。真っ暗になった部屋を振り返って、おやすみ、と声をかけたけど、それに対して言葉は返ってこなかった。

 部屋を出て、後ろ手にドアを閉めようとした直前、柚香が口を開いた。


「ねえ」


 もう少しで聞きのがしそうなほど小さい声だった。顔だけ部屋に入れて、なに、と訊き返す。


「文化祭ね……やっぱり、二日目は柚希が行っていいから」


 驚いて咄嗟に声が出なかった。なんで急に、と思うけど、電気の消えた部屋で寝そべる柚香の顔は見えず、表情からなにを考えているのか推し量ることもできない。


「えっと……なんで?」

「なんでもいいでしょ。なに、行きたくないの?」

「そういうわけじゃないけど……」

「じゃあ決まりね。おやすみ」


 寝返りを打つ音が聞こえる。たぶん、壁際に顔を向けたんだろう。こうなったらなにを訊いても答えてくれない。わたしは、じゃあおやすみ、とごにょごにょ呟いてドアを閉めた。

 自分の部屋に戻ると、ベッドに座って、ぼんやり考える。

 柚香は、文化祭に行けなくて残念がるわたしに気を遣ってくれたんだろう。うれしい気持ちもあるんだけど、なんだか申し訳ない気持ちのほうが強かった。


 中学のとき嶋くんを好きになり、二ヶ月前に彼に告白したのは、なにもわたしだけじゃない。柚香も一緒だ。つまり、わたしたちは恋のライバルってことになる。

 そんなわたしに、文化祭に行ってもいいよって言うなんて……。報告会のとき、わたしが、今日は嶋くんと二人で話したよというようなことを言ったら、柚香は必ずちょっと不機嫌そうになる。本当はわたしと嶋くんが接近するのを快く思っていないんだ。それなのに無理に気を遣ってくれて、なんだかわたしが遠回しに誘導したみたいだ。


 ただ、申し訳ないなと思う一方で、なんでだろうとも思う。

 わたしと嶋くんが話すのが嫌なら、文化祭に行かせなければいい。自分の感情を抑えて他人を優先してしまう人ならそんなことはできないけど、柚香は違うはずだ。

 記憶を辿ってみても、高校に入学するまで、わたしはあまり柚香に優しくされた覚えがない。中学時代はほとんど口をきかなかったし、もっと小さい頃はおやつを横取りされたり家の手伝いを押し付けられたりした。いたずらで一時間ぐらい押入れに閉じ込められたこともあって、そのせいで未だに狭いところが苦手だ。わたしたちの間には完全な上下関係ができていた。


 中学の頃までの柚香なら、公星高校に合格したのはわたしなんだから、文化祭に行けて当然でしょ? と、自分の権利を主張するはずだ。わたしに気を遣って自分の気持ちを押し殺すなんてありえなかったはずなのに……。

 柚香のそういう面が崩れたのは、あの日からだ。高校に入ったら一日ごとに入れ替わらないかと提案してきた、あの日から。

 恋のライバルであるわたしに、嶋くんと関わるチャンスをくれた。それは、いままでの柚香からしたら考えられないことだった。

 どうしてそんなことをしてくれたのか、いまだによくわからない。柚香にも、これはあんたが気にすることじゃないと一蹴されてしまった。


「……なんでだろ?」


 呟いて、わたしは仰向けにベッドに倒れ込む。

 わたしたちは双子で、生まれたときから一緒にいる。本当なら、一番近くにいて、お互いを理解しあっているはずなのに……。

 わたしは柚香のことをぜんぜん知らない。それどころか、一番遠くにいるような気さえする。

 柚香はわたしのことをどう思ってるんだろう? 本当にわたしが文化祭に行ってもいいのかな?

 白い天井を見上げながら、無意識のうちにため息みたいなものが漏れた。

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