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リグレット・コレクター  作者: 天そば
第二章 文化祭一日目
13/42

学生証捜索 4

10(川口柚希5)


 住宅街を歩いてコンビニに向かいながら、わたしは必死に顔がにやけそうになるのを抑えていた。

 さっき、グラウンドのフェンスを越えて着地したとき、少し前によろけてしまったわたしに、嶋くんが手を伸ばしてくれた。けっきょく、わたしは自分でフェンスを掴んだからその手を握ることはできなかったけど、それはどうでもいい。


 嶋くん、わたしのこと心配してくれたんだ。たぶん相手が誰でも同じことをするんだろうけど、なんだか無性にうれしかった。

 最近、ぎくしゃくした雰囲気が続いてたから、嫌われてるんじゃないかって不安だったけど、そんなことないのかなあ、なんて。……えへへ。

 うきうき気分のまま住宅街を抜けて、バスやタクシーが多く通る大通りに出る。おじいちゃんとおばあちゃん夫婦で経営している小さな和菓子屋さんと、年月を感じさせる造りのお弁当屋さんを過ぎてすぐの信号を渡ると、そこはもう柚香との待ち合わせ場所のコンビニだ。


「まだ来てないみたいだな」


 少し手前で立ち止まって、嶋くんが言う。確かに、申し訳程度に作られた駐車スペースにも、入り口の近くにも人の影は見当たらない。


「やっぱり、わたしたちのほうが先に着いちゃったんだね」


 電話では繁華街を抜けたところって言ってたけど、それでもこのコンビニまでは五分はかかる。風邪を引いた柚香は速く歩けないだろうから、もっとかかるだろう。フェンスを越えれば二分もかからないわたしたちのほうが早く着くのは当然だ。

 中に入って待ってよっか、と言いかけたとき、コンビニから女の人が出てきた。

 明るくウェーブのかかった茶髪に、大きめのサングラス。無地の白いシャツの上から紺の革ジャンを羽織って、下はブルーのジーンズと黒のスニーカー。わたしたちを見るなり手を振ってきた。あ、と声を出して、わたしと嶋くんはその人に駆け寄る。


「柚香。もう来てたんだ」


 カツラと服装のおかげで年上のようになった双子の姉に、わたしは言った。柚香はサングラスを外して、


「本当は、電話した時点でもうかなり近くまで来てたのよ。……嶋くんも、わざわざありがとう」


 ふわりとした笑みを向ける。綺麗だな。わたしじゃこんなに柔らかく笑えない。

 柚香は後ろのコンビニを指差しながら、


「ここのコンビニ、食事スペースがあるでしょ? そこで話を聞かせて」


     *


 なにも買わずに席だけ独占するのはなんなので、ということで、わたしたちはそれぞれ飲み物を買って食事スペースの一番奥のテーブルに着いた。二人掛けの席しかなかったから、隣の席から一つ椅子を借りて無理やり三人でテーブルを囲む。わたしと柚香が向き合い、その横に嶋くんという形。


「わたしが学生証を落としたわけじゃないかもしれないっていうのは、他にも何人か、学生証をなくしたっていう人がいたからなんだ」


 食事スペースに他のお客さんはいなかったけど、なんとなく小声でわたしは話を始めた。


「なくしたって、どうやって? 文化祭中は学生証は持ち歩かないでしょ?」

「あ、うん。ごめん、だから正確にはなくしたんじゃなくて……盗まれたみたい」


 盗まれた? と柚香は首を傾げながらオウム返しする。わたしは、さっきの荷物置き場での出来事を説明する。


「バレー部の多村さんと吉川さんって知ってる? なんか、二人の学生証がなくなってる、って話してて。詳しく聞いてみたら、他の人たちと同じようにパスケースに学生証を入れて鞄を置いてたのに、それがなくなってるって」

「へえ……」


 柚香は関心を引かれたように目を大きくして、


「そっか。そうよね。パスケースに入れた学生証がなくなってるってことは、盗まれた以外にないもんね」

「うん。それに、犯人からの文書もあった」

「文書って……。なに、犯行声明みたいなもの?」

「うん。プリント用紙に『わたしは学生証コレクター。数名の生徒の学生証をいただいた。わたしを見つけたられたら五千円!』って」

「なによそのネーミングセンス。まあ、要は文化祭のおふざけってことね」

「たぶん。プリントの一番下のほうにも、学生証はあとで返しますごめんなさいってあった」

「ふうん。じゃあつまり、柚希は自分のもそいつに盗られたんじゃないかって言いたいわけね」


 わたしが頷くのを見ると、柚香は視線を横にずらした。


「嶋くんはどう思うの?」


 話を振られた嶋くんは、手に持っていたホットココアの缶をテーブルに置いて淀みなく答えた。


「まだ結論を出すのは早いと思う。学校に来る前にどこかに落としただけって可能性もあるわけだし。ただ……」


 一拍の間を空けて、続ける。


「本当に誰かに盗まれたんだとしたら、あとで返ってくるんだから大丈夫だってのんびり構えてるわけにはいかないと思う」


 嶋くんの言うとおりだった。

 わたしたちの入れ替わりを可能にする一番の鍵は、柚香の双子の妹、わたしの存在を隠し通すこと。なのに、そのわたしの学生証が盗まれたってことは、少なくとも犯人にはわたしの存在が知られてしまったってことになる。

 それは柚香もわかっているようで、そうよね、と大きなため息と一緒に呟いた。


「犯人が誰かってのが一番の問題よね。わたしのことを知ってる人だったら、もう一発でアウトだし」


 わたしは顔を俯かせてしまった。

 犯人が柚香のことを知っている人なら、学生証を見た時点で、これは柚香の妹だ、あいつにはこんなにそっくりな双子の姉妹がいたんだとわかるはず。それはいけない。


「……ね、柚香。犯人が外部の人ってことはないのかな。いちおう、荷物置き場には誰でも入れるんだし」


 外部の人になら、わたしの存在がばれてもそこまで大事にはならないはず。柚香に双子の妹がいるって知られたところで、学校で会わないんなら入れ替わりに気づかれる可能性はないんだから。

 柚香は妙に冷たい目でわたしを見てきた。


「可能性がゼロとは言えないけど、外部の人がわざわざ荷物置き場に忍び込んで学生証盗んで、くだらない犯行声明まで残していくと思う? どんな理由があってそんなことするの?」

「それは、わかんないけど。でも、わたしたちは知らないけど、犯人にはそうしたい理由があったのかなって」

「その理由ってなによ? この際だから言っとくけどね、こうなった以上、最悪の事態を想定して動くべきよ。入れ替わりができなくなって一番困るあんたが、都合のいい可能性に安易に飛びつくのはよくないんじゃない?」

「ご、ごめんなさい……」


 柚香の言うことがあまりにももっともすぎて、それしか返す言葉がない。夜の報告会のときなんかも、わたしは柚香にこうやって叱られてばっかりだ。

 嶋くんが焦ったように、まあまあ、と柚香をなだめる。


「妹さんも、いちおう可能性を潰すってことで言っただけだし。……で、いま考えられる最悪の事態っていうのは、盗んだのは公星高校の生徒で川口の知り合いだった場合だよな?」

「うん、そうね。さすがに、柚希の学生証を見ただけでわたしたちが普段入れ替わりをしてることまで気づくことはないでしょうけど……」


 ふう、と柚香が一息吐く。


「もし犯人がもの凄く口の軽い人だったら、いろんな人に伝わるかもね。わたしには顔がそっくりな双子の妹がいるって」


 う……。それはちょっと、まずすぎる。

 犯人が本当に口の軽い人だって決まったわけじゃない。でも、誰にも言わないって保障もない。それならさっき柚香の言ったとおり、最悪の事態を想定して動くべきだ。


「どうにかして犯人を突き止めて、わたしたちのことを内緒にしてくれるようにお願いしなくちゃ……」


 わたしの呟きに、柚香もこくりと頷く。


「できるかどうかはべつにして、わたしもそうするのが一番だと思う。見つけたら五千円って言うからには、犯人が口の軽い人だったとしても、いまはまだわたしたちのことを言いふらさないでしょうね。言うとしたら、盗んだ学生証を返して、おふざけが終わってからだから、それまでに犯人を見つけるってことになるけど……」


 わたしたち二人とも、揃って嶋くんを見る。その視線を受けて、嶋くんも顎を引いた。


「二人がそう言うなら、俺も手伝う」


 これで全員一致だ。

 学生証を盗んだ犯人――自称「学生証コレクター」を見つけ出す。容疑者は公星高校の生徒約千名。

 ものすごく難しいことだってわかってるけど、いまはやるしかない。


     *


「まだいろいろ考えたいこともあるけど、学校に戻って情報収集するのがいいでしょうね」


 ペットボトルのアクエリアスを飲んで、口元を拭いながら柚香が言った。


「学生証を盗まれたのが誰なのか、まだ具体的な人数も知らないわけだし。多村さんたちにも、そこまで詳しく訊いたわけじゃないんでしょう?」


 柚香の問いにイエスの返事をしたあと、嶋くんは時計を見て、


「あんまり時間がなさそうだから、急いだほうがいいな」


 言われて、わたしも壁に掛かった時計の時刻を確認する。もう三時を回ったところ。文化祭は五時までだけど、四時から始まる「ペアゲーム」中に話を聞くことはできないと思うから、実質あと一時間ないぐらいか。

 じゃあもう行こう、と立ち上がりかけたわたしを、柚香が手で制してきた。


「ちょっと待って柚希。急がなくちゃいけないところ悪いんだけど、いまから服装チェンジしてくれない?」

「えっ。な、なんで?」

「わたしたちのうち、一人は外部の人のふりして学校に行かなくちゃならないでしょ? でもそうすると、生徒に話しかけて情報を集めることはできないから、学校内を歩き回って怪しい人物がいないか、学生証が落ちてないか再確認するかぐらいしかできない。で、わたし、いろいろと歩き回るのはキツそうなのよ」  


 腰のあたりをさする。そういえば、柚香は風邪を引くと腰や間接の節々が痛くなるタイプだっけ。確かにそれなら歩き回るのは辛いだろうな。

 わたしは頷きながら答えた。


「わかった。じゃあ、トイレで着替えてこよ」


11(藤井一樹3)


 一年三組の教室でやっていた金魚すくいでは、一つのネットで金魚を五匹すくい、それを物欲しそうに見ていた女の子にまるごとプレゼントした。体育館でダンス部がブレイクダンスを踊っているときは、客席の列の最前線でダンス部以上に踊って騒いだ。

 そしてなにより、クラスの喫茶店ではフジイの国のアリスちゃんとなり、川口以上に客を集めた。


「今日のおれは四打数四安打、一犠打二盗塁ぐらいだな」

「なに言ってんだ急に?」


 家庭科室で買ったチョコバナナを頬張りながら、クラスメイトの加治前かじまえが不審者を見るような視線を向けてくる。こいつは金魚もすくえなかったし、喫茶店では飲み物を運ぶときにミスってコップに指つっこんでたっけ。


「お前は三打数無安打一失策な」

「な、なんだよ。俺、いいとこなしじゃん」

きしは内野安打一本、森岡もりおかはヒットはないけど守備でファインプレーってとこか」


 同じく一緒に歩いていた岸と森岡は、ああそう、と適当に受け流した。ちくしょうノリ悪いなあ。時刻はもう三時十五分で、初日の終盤に差しかかってるから、しょうがねえのかもしれねえけど。

 おれたちはいま、一年の教室で占められている教室棟四階の廊下を適当にぶらぶら歩いてるが、さっきまでの活気はどこへと思うほど人気がなくなり始めている。四時からのペアゲームに間に合わせるために、どこのクラスも店を畳んでしまっているのだ。


 一年は始めてのペアゲームだからな。始まるまであと四十分あるが、張り切って中庭に向かってる奴が大勢いるんだろう。実際、窓から中庭を見てみると、ゲームの準備を進める生徒会役員の周りをずらりと人垣が囲んでいる。

 テンション上がってんだろうな。おれも一年前は、公星祭名物のペアゲームとはどんなもんだろうとわくわくしたもんだ。そして実際、ゲームは期待を裏切らない盛り上がりっぷりで、流石は公星祭の目玉と言われるだけあると思った。

 でもなあ、だからこそ、今年はおれも出てやろうと腹を据えていたのに。


「あーあ。なんでお前ら、誰もノらねえんだよ」

「俺はちゃんと、お前の意味のわからん発言にもノッたじゃん」

「ちげえよ。ペアゲームだよ。おれが一緒に出ようっつっても、誰も賛成しなかったじゃねえか」


 ああ、とばつが悪そうに目を合わせる加治前、岸、森岡。人差し指でぽりぽり頬をかきながら、岸が言う。


「だって、ペアゲームってあれじゃん。三年以外は出にくい雰囲気が漂いまくってんじゃん」

「そうそう。二年が出ても空気にしかならないって」


 ちぇ、森岡まで追従してきやがる。まったく見損なったぜ。ちなみに、野球部のやつにも何人か声をかけたが、みんな同じような理由で断りやがった。


「なんだよなんだよ。雰囲気がなんだっつーんだよ。そんなもん無視したって死ぬわけじゃねーだろ。だいいち、村中は出るだろうが」

「いや、あいつは特別だって。ペア組むのも三年の先輩だろ?」

「ああ。野球部の稲葉いなば先輩だよ。でも、村中は二年なのに出ることに変わりはないだろ? なんで誰も、それに続こうとしねえんだよ」

「そう言われても……なあ?」


 加治前の言葉に、そうそうと頷く残りの二人。まったくどんだけ腑抜けなんだ。くそう、二人組じゃなくてピンでの参加もオッケーだったら、おれぜったい出たのになあ。


「ま、参加するのは来年から、今年までは観て楽しむ側っつーことで。……で、そろそろ俺らも中庭行かね? 早くしないといい場所とられるぜ」


 加治前がそう言ったので、そのまま中庭へ行くことになる。いまいる場所からなら、廊下の突き当たりにあるドアから外階段を下りるのが最短ルートだ。

 先頭に立つおれがドアを開けると、まず現れたのは二畳ぐらいの踊り場。その左側に階段がある。階段や踊り場の床、壁も、すべてコンクリート造りだ。


 一歩外に出ると、温かい日差しがジンベエから伸びるむき出しの手足に突き刺さる。午前中は天気が悪くて肌寒かったのに、見事に回復したなあ。ジンベエを着てきたのは失敗だったか、と思ってた身としてはありがたい。……ま、お祭り男の使命として、そんなことぜったい口には出さんが。

 太陽の温かさに感謝しつつ、階段を下りようとしたときだった。


「ん? あれって、川口さんと嶋じゃないか?」


 森岡がそう言った。胸ほどまでの高さに設けられた踊り場の壁の先に見えるのは、体育館裏の駐車場と裏庭、そして、おれたちがいつも練習で使うグラウンド。森岡はそのグラウンドの一番奥、バックネット裏のフェンスを指さしていた。

 フェンスを伝ってグラウンドに降りてこようとしている女と、グラウンドに立ってそれを見ている男がいる。間違いない。森岡の言うとおり、あれは良次と川口だ。なにやってんだあいつら。


 川口はある程度の高さまで降りてくると、最後はフェンスからジャンプするようにしてグラウンドに着地した。スカートがほとんどめくれないぐらいの高さだったが、地面に足を着けた瞬間、前によろける。慌てて手を伸ばす良次。それを掴む川口。


「あ、川口さんの手ぇ握ってやがる!」

「ちくしょう、嶋の野郎!」

「うらやましい!」


 三者三様の言葉を発する。しかし、良次はうれしそうな素振りを見せず、川口の手を掴んだ瞬間、驚いたような顔になった。立ち上がった川口に向かって、心配そうな顔でなにか言っている。それを受けた川口は、笑いながら胸の前でワイパーみたいに手を振った。なんだ、なんのやりとりしてんだ?


 いや、それ以前に、あいつらなんで二人でいるんだ? しかも川口は、外からフェンスを越えてグラウンドに入ってきた。ってことはあいつ、学校外に出てたってことじゃねえか。もしかして良次もか? 文化祭中に二人で学校を抜け出すなんて、完全にカップルの行動じゃねえか。昨日、川口に返事するのは部活を引退してからって言ってたのに。

 どうなってんだ? ポケットからケータイを取り出す。電池切れ。くそ、昨日の夜充電しとけばよかった!

 いまさら、でもなんであの二人が一緒に? などと話す加治前たちに向かって、おれは言った。


「わり。おれちょっと、行くとこできたわ!」


 呼び止めるような声が聞こえたが聞く耳持たず、階段を駆け下りる。

 良次に川口、いったいどうなってやがる? あんなに気になるもんを見せられて、今度会ったときに訊けばいいか、なんて思えるかってんだ。

 このままグラウンドまで走って、あいつらに直接話を聞いてやろう!

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