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リグレット・コレクター  作者: 天そば
第二章 文化祭一日目
10/42

学生証捜索 1

5(川口柚香3)


 ご飯を食べて薬を飲んで、ベッドに入って眠った。それでもいきなり熟睡はできず、一時間もしないうちに目が覚めたけど、起きたら起きたでテーブルに置いたポカリを飲んでもう一度眠る。それを繰り返しているうちに、やがて深い眠りが訪れていた。

 窓から差し込んでくる日差しを感じて瞼を開ける。わたしの部屋とは違う、物の少ない質素な光景を目にして、なんで柚希の部屋で寝てたんだろうと一瞬考えたけど、すぐに今朝のことを思い出した。


 柚希は大丈夫だろうか。家を出たのはかなりギリギリの時刻だったけど、遅刻せずに学校に着けたかな?

 寝転がったまま枕元に置いたケータイを取って時刻を確認する。午後一時二十分。思ったより眠ってなかったんだ。なんとなく、もう四時ぐらいかと思っていたけど、身体は今朝に比べて格段に良くなっている。滅多に風邪を引かないから、きっと薬がよく効いたんだろう。その証拠に、熱を測ってみると七度二分にまで下がっていた。


 よかった。これで明日は文化祭に行けそうだ。

 ベッドの上で体温計の液晶を見ながらほっとする。けど、安心したのも束の間だった。

 ベッドに置いたケータイが着信音を鳴らす。相手は……柚希だ。なにがあったんだろう。


「もしもし」

「あ、柚香? ごめん、風邪はもう大丈夫?」

「かなり良くなったけど……。なに、あんたこそ大丈夫?」


 電話の向こうから聞こえてくる声は明らかに震えていた。まさか柚希まで風邪を引いたんじゃないでしょうね、なんて考えが頭をよぎったけど、返ってきた答えはそれより遥かに悪いものだった。


「わたしは大丈夫……たぶん。あの、ちょっと訊きたいんだけど、柚香、武広高校に行ったとき、わたしの学生証を取り出したりしなかった?」

「そんなことしてないわよ。学生証使うことなんて滅多にないし」


 友だちとカラオケや映画に、なんてことがあれば使うけど、高校に入って以来そういう機会はほとんどなくなった。柚希として武広高校に行くときは特にだ。あっちでは部活に入っておらず、本当に地味に、ひっそりと過ごしている。あかりのような親密な友だちもいないし。


「そっか。そうだよね。あの、じゃあ、最後にわたしの学生証を見たのはいつだったか覚えてる?」

「えーっと…………あ、一昨日。一昨日見たわ。更新期限を確認しようと思って、パスケースから定期を出したの。そのときに見た。ちゃんと定期の後ろに入ってた」


 そっか……と沈み込むような返事が聞こえてくる。なんなんだこいつは。


「なんでそんなこと訊いてくるのよ? なんか面倒なことになってないでしょうね?」


 息をのむ気配。ああ、絶対なんかあったな。


「なに? なにがあったの? 怒らないから教えて」

「あ、あの。……実はね、なくなってたの。わたしの学生証」

「…………え? ちょっと意味わかんないんだけど。なんでそんなこと知ってんのよ? あんたの鞄は家にあるのに」

「ううん。わたし、家を出るとき慌てすぎてて。間違えて、わたしの鞄を持ってっちゃって……」

「はあッ?」


 なんつー間抜けなミスだ。いくら焦ってたからってそれはないでしょ。

 そのあと、しどろもどろに続いた柚希の話をまとめると、こういうことだった。

 間違えて武広高校の「川口柚希」の鞄を持っていってしまった柚希は、その鞄をそのまま荷物置き場に置いた。途中、パスケースの中に「川口柚希」の学生証が入っていることを思いだしたが、定期の裏にあるから誰かに見られることもないだろうと思って、無理に取り出すことはしなかった。だけど時間がたつにつれて気になってきて、クラスのシフトが終わったあと、口実をつけて学生証を取りに行くことにした。だけど、いざ確認してみると、パスケースには定期しか入っていない。学生証は消え去っていた。

 悪夢のような状況だ。頭の中で話を整理したあと、わたしは柚希に訊いた。


「つまり、学生証はわたしが見た一昨日から、さっきあんたが確認するまでのあいだになくなってたってことになるけど……。なんか心当たりある?」

「今朝、遅刻しそうだったから駅から公星高校まで走ったの。落としたとしたら、そのときが一番可能性あると思う」


 走ったぐらいでパスケースから学生証が落ちるもんかしら? それなら、定期のほうも一緒に落ちてそうだけど。

 そう思いはしたけど、他に心当たりがないのも事実だ。


「わかった。じゃあ、これからわたしが駅まで歩いて、学生証が落ちてないか探してみる」

「えっ。でも、風邪は大丈夫なの?」

「もう熱は下がってるから。……で、一つ訊きたいんだけど。学生証を落としたのは、公星高校にいるときってことはない?」

「……わかんない。落とすようなことをした覚えは、ないんだけど」


 そう言いながらも、柚希の言葉からは不安がにじみ出ていた。無理もない。

 学生証には、クラスと氏名、生年月日のほかに、顔写真も載っている。これが一番まずいのだ。もし柚希が学生証を落としたのが公星高校内だったら。そして、わたしを知っている人が偶然それを拾ってしまったら――。

 まず間違いなく、これはわたしの双子の妹の学生証だと気づく。つまり、川口柚香にはまったく同じ顔をした双子の妹がいると知られてしまうのだ。ただでさえ双子は珍しいのに、それがわたしたちのような美少女姉妹だと、その事実はあっという間に広がってしまうだろう。そうなったらもう、入れ替わりなんて続けられない。

 だから、学生証を落としたのが公星高校だったら、それはもうとんでもなくまずい。それは柚希も重々承知しているようで、


「電話する前に、今日わたしが歩いたルートをたどって捜してみたんだけど、やっぱり見つからなかった。……でも、いまからもう一回捜してみる」

「わかった。……あれ? でも、もうすぐ嶋くんの劇が始まるんじゃない?」


 時計を見る。一時三十二分。もうすぐ始まるどころか、プログラム通りに日程が進んでいるなら、もう始まっている。


「うん。でも、そんなこと言ってられる状況じゃないから。あかりに場所とって貰ってるけど、行けない」

「そっか……」


 口調には残念そうな気持ちがありありと表れていたけど、本人がそう言ってるんだし、強いてまで観に行ったほうがいいよとは言わない。しかし、当然だけどあかりには事情を説明していないらしい。心配してるだろうな。


「てかあんた、いまどこから電話してるの? やけに静かだけど」

「理科室棟のトイレだよ」


 納得する。理科室棟は主に荷物置き場だから、人通りはあまりない。

 わたしはベッドから立ち上がった。


「わかった。それじゃあわたしもそろそろ行くから。また連絡する」

「うん、ありがとう。……それじゃ」


 通話を終える。それと同時に、大きなため息をつく。

 随分とややこしいことになってしまった。すぐに見つかってくれればいいんだけど、駅までの道に落ちているかどうか……。あまり期待はできないような気がする。見つからなければ、柚希は今日一日、一人で学生証を探し続けるだろう。


 そう思いながら頭に浮かんだのは、あかりの顔だった。

 文化祭は一緒に回ろうねって約束したのに、やむを得ない事情があったとはいえ裏切るような形になってしまった。まあ、あかりは友だちが多いから、一緒に回る相手はすぐ見つかると思うけど、申し訳ない気持ちはどうしても胸に残る。たぶん当事者の柚希はもっとそう思っているだろう。


 わたしは眉間を指でつまみ、かぶりを振った。

 いまはとりあえず、学生証を捜すことだ。できることをやろう。

 無理やりに気持ちを切り替えて、ベッドから出た。


6(川口柚希4)


 何人かの友だちと連れ立って、明るい顔で文化祭を満喫する人たちの横を、わたしは一人、地面に目を向けながら、駆け足で通り過ぎていく。

 学生証がない。校内のどこを捜してもない。今日わたしが通ったルートは三回ぐらい往復した。でも見つからない。いまは中庭を捜索中だけど、学生証どころか落とし物一つ見当たらない。だからって、ここまで探しても見つからないんだから、きっと学生証を落としたのは学校に来る前だったんだ、よかったよかった、とはとても思えなかった。


 本当はもう、わたしの学生証は公星の誰かに拾われてしまったんじゃないか。その人を通じて、川口柚香の双子の妹、川口柚希の存在は広まってしまってるんじゃないか。

 そんな不安ばかり大きくなっていく。どこかで学生証を見つけるまでこの不安は消えないと思う。だから一刻も早く見つけたいんだけど、どこを捜しても見つからない。柚香は家から駅までの道に落ちてないか探してみるって言ってたけど、見つかるかどうか……。

 途方に暮れていると、ポケットの中のケータイが震えた。あかりからの着信だ。そういえば、荷物置き場で別れてからまだ一回も連絡してない。


「も、もしもーし」


 人の少ないほうへ移動しながら電話に出る。思ったとおり、返ってきたあかりの声はひどく心配そうだった。


「ユズ、もう嶋くんたちの劇終わっちゃったよ。大丈夫? なんか変なことになってない?」

「あ、うん。大丈夫。ええと、ごめん、でもわたし、ちょっと気分が悪くなっちゃって。保健室で休んでくるね」

「えっ。そんなに悪いの? いま保健室じゃないよね。外?」


 中庭は喧騒に包まれている。電話越しでもこの音はしっかり聞こえるみたいだ。


「いまは、中庭だけど。これから保健室行く」

「じゃあ、私もいまからユズのところ行こうか? 一人じゃ行きづらいでしょ」

「あ、いや、大丈夫。あかりは文化祭楽しんで。わたしのことはいいから!」


 しまった。気分が悪いはずなのに、つい、大きい声を出してしまった。


「そ、そう? なら、うん。わかった」

「ごめんね。……一緒に回ろうって言ったのに」

「ううん。いま近くにヨシノリたちがいるから、そっちに混ぜてもらうよ。……でも、ユズ、体調良くなったらすぐ電話してね。保健室まで迎えに行くから」

「うん。ありがと。……ごめん、じゃあね」


 電話を切って歩きだす。学生証が落ちてないか注意深く下を見ながらも、胸の中にはもやもやが残っていた。

 あかりってやっぱり優しいな。あんなに心配してくれるなんて。……でも、そんなあかりにも本当のことは話せず、嘘をついてしまった。


 仮に、今回このことでわたしたちが双子だってばれてしまったら、もう入れ替わりはやめなくちゃならないだろう。そうなったらもう、あかりとも会えなくなっちゃうんだな。もうあかりのプロ野球談義を聞くことも、一緒にお弁当食べることもできなくなるんだろうな。あかりだけじゃない。瑞樹や夕子ちゃん、野球部のみんなともこれ以上話せないままになっちゃうんだ。


 それに、嶋くんとも。

 わたしたちの入れ替わりのことは知ってるけど、あくまで接点は柚香として学校に来てるときだけだ。入れ替わりをやめてしまったら、今後会うことは難しくなる。最近の、ちょっとよそよそしい感じのまま、普通に話せていた頃に戻れないまま終わっちゃうのかな。


 目頭が熱くなってきた。

 中庭の人ごみの中で、顔を俯かせて目元を拭う。そのときだった。

 どん、と肩に衝撃が走った。下を向いて歩いてたせいで、誰かにぶつかったんだ。よろめきながら慌てて顔を上げる。


「ごめんなさいっ。……あ」


 ぶつかった相手を見て、つい間抜けな声を出してしまった。

 背の高い、坊主頭の男の子。演劇の衣装なんだと思う、胸元にフリルのついた白いブラウスの上からずっしりした紺色のジャケットを羽織って、その下に制服のスラックスを履いている。

 噂をすれば影って言葉があるけど、その通り、こんなタイミングで嶋くんに会ってしまった。


「ご、ごめんね嶋くん。大丈夫?」

「う、うん。俺はなんともないけど……。川口のほうこそ大丈夫か?」


 わたしの顔をまじまじと見ながらそう訊いてくる。そんなに、痛そうな顔しちゃったかな? ぜんぜんそんなことないのに、なんか申し訳ない。


「わたしも大丈夫。ごめんね。えっと……じゃあまたね」


 クラスの友だちも一緒だし、突然のことになにを話したらいいのかもわからなくて、すぐ嶋くんから離れてしまった。とりあえず校門のほうへ歩く。

 そうしながら、いまさらになって、やっぱりもうちょっと話せばよかったと後悔の念が湧いてきた。

 せっかく嶋くんに会えたのに、なんであんな、会話らしい会話もないまま別れちゃったんだろう。せめて衣装似合ってるねぐらいは言えたはずだし、それに、そう、嶋くんになら事情を話せたのに。そうすれば、友だちと歩くついでにでも、わたしの学生証を探してくれないかなってお願いもできた。

 いまからでもメールして、お願いしてみようか。そう思ってポケットのケータイに手を伸ばしたけど、途中で止めた。


 ……やっぱりそんなこと頼めない。最近の嶋くんはどこかよそよそしいし、わたしと話すときもなんとなく気まずさみたいなものを感じてる気がする。せっかくの文化祭に、そんな人から助けを求められても迷惑だろう。

 一人で探そう。心細いけど、嶋くんに迷惑かけるよりはいいよね。

 そう決心したときだった。


「川口!」


 後ろから呼びかけられた。驚いて振り向くと、そこには嶋くんの姿があった。クラスの友だちと一緒じゃなく、一人だ。


「どうしたの?」

「ああ、いや。ちょっとさ……」


 嶋くんはそう言いながら、わたしに近づいてくる。


「なんか気になって。大原とも一緒じゃないし。それに……さっきちょっと、泣いてるように見えたから」


 わたしにしか聞こえないような大きさで、だけど優しい声で、嶋くんは続けた。


「本当に大丈夫か? お姉さんと喧嘩でもした?」


 胸の中にじんわりと温かいものが広がっていく。

 最近、わたしたちの間にぎこちない空気があったのは確かだ。それでも嶋くんは、困ってるのを見たら、こうして助けに来てくれるんだ。

 わたしは俯いて、またこっそり目元を拭った。


「あの、嶋くん。実はね……」

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