第八話 アラシ
穂琥の腹部に痛みが走ったのはその直後だった。薪が穂琥の腹を抑えて横に倒したのが倒れてから理解した。
「な、何!?」
倒れた穂琥を庇うように薪が立ちはだかる。何が起きたのか全く理解ができない。
「よく防げたな・・・。性懲りもなくきやがって!」
低い女性の声。荒れたその声に薪は軽く答える。
「知らんよ。オレとお前さんは初対面だぞ?いきなり攻撃を・・うわっ!」
「うるさい、黙れ!」
その女性は薪に向かい刃を振るう。薪が愨夸を継承してからは随分と変わったが、このように愨夸に対して刃を向けることは無論してはならないこと。昔の政治であったのなら、この女性の命は・・・。
「はいはい、ストップ!とりあえず落ち着いてな。何があったのか訳を・・・」
「黙れ!この下種が!」
女性の暴言に穂琥は少し遠い目をする。
―あぁ、この女性は薪を『薪』と知った時、どんなに悔いるだろうか・・・・
「名前をプラカードにして首から下げておくか」
「うん。私はその方がいいと思う。特にあんたは。周りの方のためにもいいと思うよ」
女性は相変わらず剣を構え、薪に攻撃の一手を加えようとしている。薪相手にそんな真っ向からの攻撃が効くはずもない。もっと強ければ別だが。
「村を壊しているのは貴様らだろう!」
「は?オレらは村荒らしじゃないって・・・って、おい!?聞こう!?オレの話、聞いてね!?」
薪は女性の剣をかわしながら困った表情で叫ぶ。そんな薪を見て、さすがにこのままでは色々支障をきたすと判断した穂琥は仕方なしに薪に手を引くように交渉を持ちかけることにした。
「ちょっと!もうやめなって!諦めようよ。退散するべきだよ、薪!」
そう叫んで、止まったのは薪の方ではなく女性の方だった。そしてその理由を一瞬だけ考えて、理解したと同時に薪に土下座する思いで謝罪の言葉を叫ぶ。
「ごごご、ごめんなさい!!不用意に!!本当に!あの・・・!」
必死で謝る穂琥にこれまでにないくらい冷たい視線が送られる。愨夸である薪の容姿はあまり世間に伝わっていないが、名前はしっかりと通っている。それ故に一般の眞匏祗を前に薪はあまり名乗ることをしない。先ほどの屋敷で名乗った理由は良洙の家系であるということを理解した上だ。故に今不用意に穂琥が名を呼んだせいできつい表情で穂琥を睨んでいるのだった。
「シン・・・サマ・・・?」
震える女性の声で薪はその女性に向き直る。剣が小刻みに揺れ、悲しい金属音を響かせている。薪はそれを見ていまだに『こちら側』は前代愨夸の圧力が残っていることを痛感する。
「い、今でのご無礼をお許しくださいませ!どうか、どうか・・・・首をはねないでください!」
悲痛の叫びを女性は上げる。薪はそれを何とも言えない苦しい表情で返す。穂琥はその女性の叫んだことがあまりにも衝撃的で言葉を失っていた。
「んな危ねぇことしねぇよ。オレは今までの愨夸とは違う」
女性は涙を目に貯めて必死で謝礼を述べる。穂琥は薪にそっと尋ねる。首をはねるとは一体何事かと。
前代愨夸、つまりは薪の父にあたる存在。それは至極冷徹な存在だった。前愨夸は違反、無礼を働いた者の首をいともたやすく撃ち落とした。そしてそのまま。
「そのまま?」
「いや、なんでもない。さて。村荒らしがいるのか?」
薪は話を強制的に区切って女性の方に言葉をかけていた。前愨夸がそうして行ってきた強烈な圧力制度は未だにこの地に根付いている。もうすでに何年も前に愨夸が変わったというのに今の愨夸つまり薪の思考が根付いていないという悲しい現状がこれだ。そんな切ない感情を持ちつつも徐々に変わってきているこの世界を見ていつかの平和を願う。
そして今は村荒らしだ。
「はい。半年ほど、前からです」
薪の質問に女性は答える。半年もの間、狩られる側として生活していれば確かに見慣れぬ怪しげな者たちがいれば斬り掛かってしまいたくなる衝動がわからないでもないかもしれない。きっとそれを疑心暗鬼というのだろう。
「村まで案内してもらえるか?潰してやるよ」
軽く言った薪の言葉に女性は目玉が落ちるほど目を見開いて否定を入れた。薪、つまり愨夸の手を煩わせるわけにはいかないと必死になって首を振る。しかし薪はそんな女性の気遣いもなしに半年も苦しんでいるという事実を叩きつけ、女性も言葉を失っていた。
「じゃぁ決定。穂琥、行くぞ」
薪にそう言われ穂琥は返事をする。悪党退治という訳だ。村に向かっている途中で女性の名がネムということを知った。
村に着くと眞匏祗たちが集まってきた。そしてネムの連れている薪と穂琥を見て怪訝そうな顔をしていた。
「捕まえた・・・訳ではなさそうだな? この方たちは?」
男が疑問そうな声を上げた。愨夸であることをたやすく言ってよいものではないということをネムも承知しているために下手に言葉を続ける訳にはいかず黙ってしまった。その沈黙を一瞬のものとするように薪が村荒らしを潰しに来たと宣言した。一同みな驚いたようだったが少し喜びの気配を見せたので穂琥は少し安心した。疑われていてもおかしくないのだから。
村荒らしは夜に出るとのことなので村の使われていない家屋を一つ借りてそこで腰を落ち着けた。
「狭いところで申し訳ありません。ではごゆるりと」
ネムは頭を下げて退室した。
「村荒らし、夜だってねぇ。それまで暇だなぁ」
「出るといいけどな」
「え?」
意味深な発言をした薪に追及を求めたが薪は不敵な笑みを浮かべてそれ以上は言ってくれなった。疑問で首をかしげるも薪は何も言わずにネムの用意してくれた食事にありついていた。
随分と夜が更けてきたころ。薪は小さな声で穂琥を起こす。寝ぼけている穂琥が妙な声を出さないように警戒しながら。
「フエ?」
案の定変な声は出たが制裁を加えるほど大きくなかったので無視することにした。
「お出ましだよ」
「・・・・・・・・。あぁ!」
長い思考の末、自分たちが何を待っていたのかをやっと理解して起き上がる。そしてそのままそっと外に出て辺りを確認する。
「あそこだな」
薪の発言に穂琥は硬直する。一体この暗闇で薪は何を見ているのだろうか?何も見えないって。明かりを用意しろと言いたいくらいだった。それでも近くにいる薪の表情はものすごくあきれている中に軽蔑の表情を浮かべているとわかる。
「お前、城に着いたらオレが特訓してやるよ」
「ご、御勘弁を。それで?どこに?」
わずかながらの月明りで建物や木々の影はとらえることができる。そしてその中の一本の木を指差して薪はそこにいると穂琥に伝えた。
踏み込んでさっと移動する。警戒しているはずの村荒らしの後ろを意図も容易くとる。それができるのは上級の証拠。
「こんな所で何をしている?」
「村荒らしさん!」
薪と穂琥に後ろを取られて慌てふためく村荒らし。逃げようとしたその村荒らしを薪は素早くつかめて後ろ手に捉える。眞稀で村荒らしの手を縛るとその場に座らせる。それを解こうと必死にもがくが、外れる様子は全くない。
「オレの眞稀はそんなに簡単に壊れないよ」
薪が言い放つと村荒らしはどこか諦めたようにおとなしくなった。
捕まえたという報告を得て村の者たちが次々に集まってきた。あたりには灯がともり明るく見渡せる程度にまでなっていた。ネムも血相を変えて走ってきた。
「スイギさんがいらっしゃらなくて・・・!」
「この村荒らしがそれだ」
薪が首根っこを掴んでその村荒らしをグイと前に押し出す。悔しそうに顔を歪めたスイギという男の顔が明かりに照らされる。村の者たちは絶句していた。そのままスイギを手放すと薪はネムに目で軽く合図を送ってから踵を返して歩き始めた。
「あ、お、お待ちを!」
村の誰かが叫んだがそれに呼び止められる訳もなく、薪と穂琥はさっさと歩き去ってしまった。のちにその村はネムを長として立派に繁栄したと報告が入るのだった。