第七話 マリン
愨夸紋は絶大なる力を有している。普通の眞匏祗が触れれば即座にその身を焼かれ魂石を砕かれてしまう。そんな恐ろしい紋章。愨夸としての証の紋章。それが愨夸紋。そして今の愨夸、つまり薪にはその愨夸紋と並んでもう一つの印が存在している。それが毅邏の呪印。この話は後に語るとして、薪にとっては忌々しい過去の遺物。それを見せれば愨夸であることを証明できるのなら見せるとしよう。
左の腕、肩より少し下にそれは存在する。袖をまくってその証を皆に見せる。その直後にすさまじい眞稀が辺りを取り巻く。それによってただでさえ青白い顔だったのに、余計に青ざめ、もはや血の気を感じさせないくらいにまで青ざめてしまっていた。
「これじゃダメか?」
「い、いえ・・・ほ、本当に申し訳・・・ございませんでした・・・。数々のご無礼を・・・」
悲痛な表情で謝罪するリン。その他の男たちも震えながらに頭を下げる。
「わかればいいって!気にすんな」
軽い薪の発言にリンたちは恐怖の中に不思議そうな表情を入れる。
「と、なりますと・・・そちらの女性は・・・」
「穂琥様ですね」
この場にはいなかった声。後ろから聞こえた声だった。薪はくるりと振り返る。
「よう、久しぶりだな、良洙」
「お久しゅう御座います。相変わらず眞稀を振りまくのがお好きなようで?」
「はははは。言うな」
良洙の少しからかう様な言葉に感情無く笑った後にまずいことをしてしまった子供のように言う薪。それもそのはずだ。その隣であんたも眞稀を振りまいているのではないか、と穂琥の訴える視線があったからだ。そんな穂琥の視線に良洙が気づくわけもなく良洙は不甲斐ない弟たちを睨む。
「なんと情けない!少しは頭を使え!薪様に対し何たる無礼を!」
黙る弟たちを目の前に良洙は困ったような表情を浮かべていた。
「いいって。そんなことより痲臨をよこしてもらいたいんだが」
良洙にそういった直後、室内の空気が変わった。まるで今それをここで言わないでほしいと言わんばかりに。その空気が指し示したのか、良洙の表情が怪訝なものとなる。
「ま、りん?」
「知っているだろう?」
「いいえ、知りませんでした。あれほど触れるなと言ったものに手を出したのか!」
兄の怒号に兄弟全員が身を縮めて謝罪の言葉を叫ぶ。怒りで言葉を震わせる良洙に薪は落ち着くようにという。薪の言葉を得て良洙は小さくため息をついて申し訳なさそうに顔をゆがませた。
「申し訳ありません。痲臨を誤った方法で使い、両親を失ってしまっているのです」
良洙は切なげに表情を落とした。薪はそれを得て相槌を打つ。痲臨とは強力な力を持つ不思議な玉。眞匏祗の有している魂石に近しいものではあるが、そのもの単体で比較した場合、はるかに痲臨の方が力を有している。それほどにまでに強力で且つ、危険なものである。そしてこの痲臨を正確に扱うことができるのは今では愨夸である薪くらいしか存在していない。
「これを、貴方様にお返しいたします」
良洙が本当に申し訳なさそうな表情をして痲臨を手渡してきた。薪は小さく謝礼の言葉を述べ、呆然としている穂琥に声をかけてその屋敷を後にした。
しばらくの沈黙が続いたのち、穂琥が先ほどの者たちは何であるかを尋ねてきた。
「ルヴィ=ケルカン。昔オレが少し世話になった者だ。と言っても会ったのは良洙だけだがな」
「そっか・・・。で・・・あの、痲臨って・・・?」
穂琥の質問に対し、薪はあぁ、忘れていたと言わんばかりの顔をして少し面倒くさげに説明してくれた。
「大事なことだから覚えておけ。痲臨っていうのはいわゆる『願い玉』だよ。眞匏祗個々によって効力が様々に変化すると言われている。その使い方を知っているものはこの世界でもごく一部だ」
そう、ごく一部。何も知らぬものがそれに触れたところで何が起こるわけでもないただの綺麗なガラス玉に過ぎない。しかし、それを活用できる方法を知っていれば如何なることでもその痲臨によって願いをかなえることができるまさに究極の力。ただし、先ほどにも述べたようにその痲臨を『願い玉』として効力を発揮させることができるのは薪のみ。正しい使い方を知らぬ者はその痲臨によって使用者だけではなくその周囲のものまでも生命を吸い喰われる。ともかく。正しい使い方さえわかれば何でも手に入ると言っても過言ではない。
「といっても。オレは何でも手に入るなんて思ってはないな。夢や、愛や友情がそんな不安定で不確かなもののおかげで手に入ったところで本当にうれしいとは思えねぇな。まぁ、切っ掛け程度、で押さえておくべきだろうな」
「うん、そうだね」
どこかせつない顔をした薪に気を取られて曖昧な返事をした自覚を持った穂琥は薪のひらひらと風に舞う裾をつまむようにつかみすたすた歩いて行ってしまう薪の後を追った。
広大な土地を歩き続け、再び崖のような、丘上のようなところに出る。そしてその先に見えるのが。
「ご到着だ」
「うっわぁ!大きい!ここが・・・薪と私たちが住んでいた場所・・・」
目の前に広がる巨大な建物。荘厳な空気を漂わせているその『城』に穂琥は見とれ言葉を失った。薪の目はどこか冷たかったが、穂琥にとっては初めて見る『我が家』と城に感激していてそれどころではなかった。そしてその城の袖、丘の下には広がる街々。城下街だ。賑わう眞匏祗たちの様子が米粒のように見える。
「嫌な思い出が出てくるなぁ~」
ぼそっと言った薪の言葉を聞き、穂琥は一瞬どうしたものか悩んだが、ニコリと笑って答える。
「昔は昔。今は今。ね?」
「まぁな」
遠い過去に思いを馳せるように薪は瞳を閉じる。