第五十二話 アコガレトウラミ
そんなやり取りが一段落つくと綺邑は鋭い目つきで儒楠を睨んだ。その眼光に一瞬だけ儒楠は押されて息を呑んだ。
「その餓鬼のか?」
「あぁ、そうだ」
綺邑はしばらく儒楠を観察するように見てからふんと鼻を鳴らして視線をずらした。それから薪に魂石を持ってくるように命令を下す。薪は急ぐように部屋を飛び出していった。
「・・・魂石・・・?」
穂琥が小さく儒楠に尋ねる。儒楠は困ったような笑みを浮かべてそれからふわふわと浮いている綺邑のほうへそっと眼を動かしてどうしたものかとぼやいていた。
今から8年前の太陽が燃ゆる暑い日だった。相変わらず忙しそうにしている薪の様子を見に城へ足を運んだ、当時9歳の儒楠。城では既に儒楠は顔見知りというか、慣れているというか。そんなわけですんなりと中に入ることが出来る。とはいっても薪としてはどうやらそれはよくないことだとぼやいていたような気がするが、それがどうしてなのかは儒楠が知るにはまだ早かった。
薪の部屋に行く前に一度、あの美しい中庭を見てからにしようと儒楠はその足を中庭へと向けた。
中庭を覗くと誰かが立っていたので少し意外な気分になった。ドアを開けてその立っているものの後ろに立った、その直後。そのものが勢いよく振り向いたと思ったら刀を首もとめがけて振ってきた。あまりの出来事に儒楠は硬直した。眞匏祗としてそんな事本来はあってはならないことなのだが、硬直した。してしまったのだ。別にその動きが早すぎてとか読めなくてとか恐ろしくてとか・・・そう言ったことではない。ただ純粋にその動きに無駄が無く美しかったからだ。首元で寸止めされた刀に目を奪われた。ここまで美しく刀を保っているのを薪以外では見たことが無かった。
「あ、あの・・・」
振り向いたその眞匏祗は鋭い目つきをした男だった。紫がかった髪に深い紺色をした瞳。年齢は儒楠とそう変わらない様に見えた。そしてそんな彼の凛とした立ち姿に儒楠はどこか憧れを抱いた。燦々と照りつける太陽が中庭を照らし暑いのにも関わらず儒楠は一瞬その暑さを忘れた。ここまで見惚れる動きを出来るものがいるなんて。
「お前、何?俺、敵?」
言葉に違和感を覚え儒楠は怪訝な表情をした。相変わらず鋭い目つきで睨むその眞匏祗に儒楠は笑って答える。
「敵じゃないよ?」
「薪様、似てる。けど、違う。お前、何?」
彼の発する言葉にはどこか不自由さを感じさせた。儒楠は必死でただ似ているだけだと訴えた。その眞匏祗は睨んだまま刀をしまわない。一体どうしたらいいものかやっと儒楠は焦りだした。
「あははは。何しているの?そいつを斬ったらお前を斬るぞ!」
明るい声が中庭に響いた。儒楠はその声にほっとして振り向いた。自分と全く似た用紙の少年、この世界の天下。薪が此方に歩いてきた。
「薪様、知り合い?」
「あぁ、そうだよ」
薪がやわらかくそういうと彼は刀をしまった。
「すぐにこっちに来ないからこういうことになるんだよ。オレがここにこなかったらお前、斬られたぞ」
笑いながら言う薪に儒楠は首をかしげて答える。薪はにこりとしながら紹介をした。
「梨鹿だ。リシカ=ウォン=デートル。若干言語に支障があると感じるだろうけどそれは気にするな」
薪の言った言葉に頷く儒楠だった。
梨鹿は生まれてからすぐに両親を失った。原因は薪の親。簡単なことだ。ただ単に実験台の人形のようにして扱われてしまった哀れな眞匏祗の子。その後、言葉など教えてくれるものとの接触も無く成長してしまい、数年前に薪とであって言葉を学んだ。故に今後、言葉を自在に操ることが出来るようになることは無いだろうと判断しているようだった。言語とはそういうものなのだと薪は語った。生まれる前から言葉を使える薪と生まれてからも言葉を使えなかった梨鹿。正反対のこの二祇が相容れたのは不思議な運命の巡り会わせなのだろうかと儒楠は思うのだった。
それが梨鹿と儒楠の最初の出会い。始めのころはかなり警戒されていた儒楠だが、だんだんと時が経つに連れて梨鹿は笑みを零すようになった。そうして仲良くなっていった。薪とともに歩んできただけあって梨鹿の眞匏祗としての剣を振るう力は尋常ではないほどうまかった。儒楠はそんな梨鹿に尊敬すら抱いた。そんな梨鹿が壊れてしまうのはそれからもう少し後のこと。
ある日のこと。いつものように儒楠は城を訪れて薪と梨鹿と共に語らいあった。薪という存在はこのときの儒楠にとっては壮大すぎて手が届きそうになったのに対し、梨鹿はどこか手が届きそうな憧れだったからより手を伸ばしたくなっていた。そんな梨鹿が手を伸ばしてしまったのが痲臨だった。
素人が手を出してならないもの、痲臨。当時の薪ですら痲臨に触れることを恐れていたほどだった。言葉をうまく理解し飲み込む能力に劣っている梨鹿はそんな痲臨に力を欲してしまった。
薪とは別行動を梨鹿ととっていた。このとき、薪が傍に居ればきっとあんな自体にはならなかっただろうと儒楠は後悔する。梨鹿と共に山脈を越えていた。その折に、休憩のために仮小屋を建てた。その中で梨鹿と共に休息をとっていると、梨鹿が急に立ち上がった。
「どうした?」
「・・・ちょっと、外。見てくる」
梨鹿はそれだけ言うとさっさと外に出てしまった。儒楠はさして気にもせず休息をとっていた。そして、梨鹿が出てから数分後、尋常ではない眞稀が爆発するかのように流れ込んできたのを感じ取って慌てて飛び上がり外に出た。少しはなれたところに呆然と立つ梨鹿の姿が見えた。儒楠は駆け出した。
「梨鹿!?何があった!?」
「儒楠?見て?凄い」
梨鹿の手に握られているものを見て儒楠は絶句した。
「梨鹿!それを離せ!それは痲臨といって!素人が触っていいような生易しいものじゃないんだ!」
「儒楠、気にしすぎ。大丈夫、このくらい、眞稀」
「ダメだって言っているだろう!離せ!!」
儒楠の怒号など梨鹿には届かなかった。そのまま凄まじい勢いで眞稀が渦巻いていく。儒楠にはそれ以上近づくことすら出来なかった。痲臨と梨鹿の眞稀が溶け合い渦巻き辺りをどんどん破壊していく。ありとあらゆる生命が消え去っていくのを目の当たりにした。一歩でも近寄ろうとすると発生している眞稀に押し戻され進むことが出来ない。それに加え無理にでも進もうとすれば目の前に一瞬で命が吸い取られ干からび、形も不明のこの生物のようになってしまうだろう。儒楠はただ痲臨を離すように叫んだ。
「お前はもっと利口だと思っていたのに!梨鹿!」
「俺は、できるよ。このくらい、眞稀、操れる」
にやりと笑う梨鹿は既に儒楠の知っている梨鹿では無かった。絶望を覚えて膝を折った儒楠の肩に何かが触れた。顔を上げると険しい表情をしている薪がいた。軽く息が上がっているのを見るとどうやら物凄い勢いでここまで走ってきたのだと推測できた。
「梨鹿!」
薪が叫ぶ。梨鹿は一瞬だけ、驚いたような顔をしたがすぐに笑った。
「ねぇ、痲臨が力をくれる。言葉が自在に使えるようになってきたんだ。凄いでしょう?」
「何処がだ!痲臨なんかの力を借りて話せて何がいい!そんなのは偽者の力だ!」
薪の叫んだ言葉に梨鹿は少し絶望したような表情を見せた。薪はそんな梨鹿へ一歩、また一歩と足を進めた。
「し、薪!それ以上行ったら薪だって命を吸われる!」
儒楠が止めたが薪は少し振り向いて大丈夫と笑ってそのまま進んでいく。眞稀が強風の渦となって薪の歩行を邪魔した。本来だったら簡単に吹き飛ばされてお終いのその勢いの中を薪は何事もないかのように歩き進んでいく。儒楠ははらはらしながらそれを見ていた。
薪がきっと梨鹿の元に着いた。そう思った瞬間、凄い勢いの爆発が起きた。その爆風に儒楠は軽く飛ばされた。後ろの岩盤に叩きつけられて薄らいでいく意識。その中で薪が此方に歩いてくるのが見えた気がした。
はっと気がついて飛び起きる。自分がいる場所を確認する。見覚えが無いベッドの上。
「ここは・・・何処?」
「気がついたか?オレの部屋のベッドの上だよ」
薪の声に儒楠は振り向く。椅子に腰掛けどこか寂しい笑みを浮かべていた。




