第五十一話 ハカイ
穂琥としては喉が渇いたので部屋にある冷蔵庫をあさって適当に選び出した飲み物を飲んで。それから記憶が飛んでいるようだった。
「それ、水じゃなくて酒だぞ」
「何で私の部屋にそんなものが!?」
薪は小さくため息をつく。療蔚である穂琥の部屋に百薬の長といえる酒をおかずにどうするというということだ。
「ま、とにかく穂琥の部屋からは撤去だな、酒」
「オレもそれに賛成・・・」
儒楠の反応とかも含めて穂琥は疑問そうな顔をする。どうやら酔っている間のことは記憶にないようだった。何をしたのか教えて欲しいとせがんで来たが薪は知らないほうがいいとせせら笑う。騒ぐ穂琥をそろそろ黙らせようと判断した薪は発言をする。
「しばらくしたら行くぞ」
「・・・え?」
薪の発言に穂琥は硬直する。そしてそのあと、薪にどこへ行くかを知らされてぞわっと全身が鳥肌立つような感じがした。喜んでいるような感じがしている穂琥をおいておいて薪は儒楠に確認をする。
「じゃ、城のこととか頼むわ。長夸や役夸にもちゃんと言って置くから負担はねぇと思うけど外の用事とかは任せておけるかな?」
「構わないさ。お前の頼みだしな」
儒楠は笑みを浮かべる。するとその発言に反応したのは穂琥のほうだった。
「え?!儒楠君は来ないの!?人間嫌い!?」
「いや、キライじゃないよ・・・」
「だったらどうして!?」
「地球に行く理由が嫌なのさ」
薪がどこか切なそうに笑った。穂琥はきょとんとした顔をした。薪は痲臨が地球にあることを穂琥に教える。実際、そんな事がありえるのかどうか疑問に思う。眞匏祗があるこの世界と人間の住む世界は全く異なった存在である。それなのにも関わらず眞匏祗の世界にある痲臨が人間の住まう世界へ行くわけもない。
「まぁ。痲臨だしな。強大な力を有しているわけだからそれもありえないことじゃないさ」
穂琥は口をあけたまま頷いた。儒楠は表情を暗くしている。
「お前・・・魂石を持っていたよな・・・?」
儒楠が何かを思い出したように言った。穂琥には何のことだかさっぱりわからなかったけれど、薪のほうはその魂石が何のことだか理解しているようだった。
「なんだよ、急に。どうでもいいだろう、そんなこ・・」
「どうでも?本当に?」
威嚇するような儒楠の声を初めて聞いて穂琥は少しだけぞっとした。
「よこせ・・・。ぶち壊す・・・!」
低い声で怖い。儒楠がこんな風な感情を表に出すところを見たことなかった穂琥にとってそれは恐ろしいことだった。
「破壊したところでお前の気持ちはやわらぐのか」
「・・・っ!破壊したほうがましだ!」
穂琥はふと気づく。儒楠の口から漏れているのは怒りではなく悲痛だと。どこか悲しげでどこか辛そうだった。
「言うがな・・・。破壊したら。死ぬぞ。それでもいいのか」
薪の言葉に儒楠は唇をかんで押し黙ってしまった。
「どんなに嫌いでも殺してしまったら後悔するぞ。絶対に」
薪の重たい言葉で儒楠は拳に握り締めそれが震えた。
「ふざけるなよ!後悔って!お前はわかるのかよ、そんな事が!」
儒楠が叫び、薪は黙っている。その沈黙がやたらと空気を重くした。
「言うか?オレは数え切れない眞匏祗を殺し、大嫌いだった父すらも失った。わかるだろう?」
それには穂琥も固まった。
「それでもオレは相当後悔しているんだよ」
薪のその声は酷く切ない声。
「それを壊したところでお前の気が晴れるわけ無いだろう」
儒楠はそれっきり押し黙ってしまった。穂琥はこの状況がわからなくて首をかしげた。話から察するに、薪と儒楠または儒楠の知り合いの魂石を薪が保有しており、その者の魂石を儒楠は何故か破壊したがっているようだった。しかし、破壊するということは散々教わってきたとおり、持ち主は死に至る。それでもいいといわんばかりの雰囲気を出していたが、薪の言葉からするに儒楠は薪で欲しいとは思っていない様子を見せる。では一体その魂石の主とはどういった関係なのか、穂琥は額に力を入れて二人の様子を観察するしかできなかった。
「お前は、どうしたいんだ?このまま『アイツ』をこの世から完全に消し去るか?」
薪の声音はとても穏やかで何かを諭すような風すら感じさせた。悪いことをして落ち込んでしまった子ども諭すように。
「・・・そんな・・・こと・・・」
儒楠が言葉を選んでいる。どうやら儒楠の答えは完全に出ているようだが、それをうまく言葉に出すことが出来ないようだった。それを既に感じている薪は儒楠が何とかして言葉に出せるまで待っている様子を見せる。
薪の援助あってか、儒楠は比較的早めに回答を述べた。
「消えて欲しいとは思ってない」
端的でぶっきらぼうで。それでもどこか温かいその言葉に穂琥はほっとした。薪はわかっていたように笑って立ち上がった。
「薪・・・?」
不思議そうな表情で儒楠が薪を見上げた。
「ま、本音が聞けたからそれでいい。運がよければ助けることが出来るよ」
「運・・・?」
「そう、運。後は・・・。機嫌だな」
薪は小さく笑ってからにやりと口元をゆがめた。儒楠ははっとした表情をしていたから薪がこれから何をするのか大体の予想は出来たようだった。それが出来ていない穂琥は表情は笑みのまま頭にハテナを浮かべて様子を窺っていた。
「穂琥」
そんな穂琥の様子を悟った薪が声を掛けて来て、少しだけ警戒して薪を見ると薪は楽しそうにでも優しく笑っていた。
「ちゃんと話はしてやるから少し待っていな」
薪が言った。穂琥はしっかりと頷いた。こういったときの薪は絶対にその約束を護ってくれることを穂琥は知っている。
「さて、さて。では聞いてみようかね」
薪は人差し指をピンと立てて眼を閉じて息を吸う。
【と、言うわけで。助けて頂きたいんでいいですかね?】
妙にずれて聞こえる薪の言葉。前にもあったこの響き。死神、綺邑への通信時に使われるものだ。
「ちっ。シカトしやがって」
舌打ちして薪は眼を横に流した。それから再び綺邑の名を大声で呼ぶ。するとかなり不機嫌そうな声でうるさいと返答が返ってきたので薪は勝ち誇ったように笑って話を進め始める。
【オレの朋が困ってんだ。助けてくれないか?】
【私の知ったことか。くたばれ】
【その言葉要らなくない・・・?酷いよ、綺邑・・・。でもまぁ、さ。ほら、魂石を破壊してもどうせお前に迷惑かかるだろう?】
薪の言葉に綺邑の返答は無い。薪が苦笑いをしているということは何か嫌な予感がする。突然、薪が屈伸したので儒楠も穂琥も驚いて固まる。薪がかがんだすぐに風圧のようなものが儒楠と穂琥の額を掠めた。一体今のが何かは想像できないが、薪が屈んだ状態から大きく前へ飛び出して刀を構えたときにはさすがの儒楠も腰の刀に手を置いた。刀を構えはしたものの、薪は何かから逃れるために、勢いよく脇へ飛んだ。すると薪が背にしていた壁が一気に壊れた。ガラガラと音を立てて崩れたその壁の向こうは外になっており、そのまま薪が構えていたらきっと薪は外に放り出されていたかもしれない。
「ちょっ!?たんま?!な!?ストップ!ストップ!!!」
薪が叫びながらあちこちを走り回っている様子を見て儒楠はやっと刀から手を離して穂琥を連れて入り口付近まで逃げた。
「じゅ、儒楠君・・・?」
「いや、あくまで予想だけど、見えないだけでたぶんそこに綺邑がいるんだと思う」
先程までとは打って変わったいつもどおりの儒楠の声音にほっとしながらそのまま逃げ惑う薪のほうへ視線を移す。薪の前に黒いぼやんとした影を一瞬だけ見た。そしてそれがきっと綺邑なのだと悟った。
「先程の発言は謝ります!ごめんなさい!」
この世の天下、愨夸がこんなに低姿勢で謝罪を述べるなど実際は言語道断といえる行為だが相手が死神クラスになってしまうとそれもまた普通なのかもしれない。そしてむしろ薪はそう言った『対等』を求めているのだから薪としては別段問題があるものではないのかもしれない。
「ふん、貴様程度が私に意見とは大した度胸だな」
綺邑がふわっと姿を見せて薪を見下すようにして言う。薪は苦笑いをしながら頭をさすっている。どうやら逃げている間にぶつけたようだった。