~第三章~ 第四十六話
「いんやぁ~。よくまぁこんな量を短期間で終わらせたなぁ。オレもやったけど」
「ははは。オレは愨夸だからな。それくらい出来ないとダメだろ。手伝いども!」
「軽い!礼が軽いって!」
高らかに笑う薪と儒楠を見て和む穂琥だったが、薪がさっと立ち上がって部屋を出て行ってしまった。
「ちょっと、薪!何処に・・」
「よしな。あれの行き先を止めちゃダメだ」
「え・・・?」
儒楠は穂琥にそっと微笑みかけ、軽くウィンクをすると薪の後を追うように部屋を出て行ってしまった。
気配を感じて振り向くとそこには儒楠が立っていた。
「なんだ、着いてきたのか」
「まぁね。久しぶりだ、挨拶くらいしないとな」
薪の向った場所は両親の、そして仲間の眠る場所。そこへ向っている途中に儒楠が薪との出会いを穂琥が知ったことを打ち明けた。薪はそっと瞳を落としてそうか、とだけ答えた。
「あ、薪。ちょっと提案なんだけどさ」
「ん?」
薪は儒楠の言葉に耳を傾けた。
部屋で待っていた穂琥はいい加減戻ってくるのが遅いと文句を言っていたときだった。
「おっせぇ!いつまで何やってんだコラァ!!」
「随分口が悪いな」
突然の登場に驚いて前のめりに倒れた穂琥だった。
「なにやってんの。アホか」
「うるさい!驚いたの!薪のバカ!もっと音立てて入ってきてよ!」
「一々、音を立てて入るか、普通。眞匏祗として失格だろう」
スパッと斬り捨てられて口を尖らせる穂琥。薪を相手にしたらどう足掻いても勝てるわけ無いんだ。口でも、力でも。
「なぁ、穂琥」
「ん?」
呼びかけた薪はどこか沈んでいるような雰囲気だった。そしてそれから黙ってしまった。
「珍しいね」
「え?」
「薪から話しかけておいて言葉を詰まらせるなんてさ!」
薪は再び目線を下に落とした。
「穂琥は・・・」
言葉を終えてしまった薪。穂琥は首をかしげて薪の次の言葉を待った。しかしいつまで待ってもその続きの言葉が出てこなかった。
「もう。何さ、薪らしくないな。どうしたのよ?いつもならズバッと聞くくせに」
「まぁ・・・・」
薪はすくっと立ち上がってドアのほうに歩いていく。
「薪?」
「穂琥は父上をどう思っている?」
「何よ、突然。変な薪。私はほとんど記憶が無いからなんともいえないよ。まあ実験とかして眞匏祗たちを苦しめていたから酷い方だとは思うけど・・・」
「そっか。儒楠が遅いから探してくる」
「え・・あ・・うん・・・」
不可解な薪の行動に戸惑う穂琥だった。薪がこんなにも言い淀むことはそうそう無いと思っていたのに。それに自ら父親の話を振るなんて思っていなかった。薪が出て行ったドアを見ながら考えに耽っていたけれどだんだんそれにも飽きてソファに寝転んで鼻歌を歌っていた。
ドアの開く音がしたので身体を起こすと儒楠が入ってきた。眞匏祗としてどうこう言っていたけどほら、音がするじゃん、と文句を内心で思いつつ儒楠の後ろに薪がいないことに気づいた。
「あれ?薪は?儒楠君を探しに行ったはずだけど?」
「ん?入れ違ったかな」
儒楠は廊下を一度見てから部屋の中に戻ってきた。待っていれば直に来るだろうと言いながらソファに腰を下ろした。
「あのさ、儒楠君。儒楠君にとって薪ってどんな存在?」
「え?いきなり何さ」
「ちょっと、色々考えていて・・・」
俯いた穂琥。それを見て儒楠は逆に穂琥にとって薪はどんな存在であるのかを尋ねられる。
「大事。近くにいるのに凄く遠い。目の前にある薪の背中に何度も手を伸ばしてもその手は決して薪の背を掴むことができないの。薪は、ここにいるようで全く別のところにいる。これ以上、遠くならないで欲しいけれど」
「そうか・・・」
儒楠の様子に違和感。けれどその違和感が何であるのかわからない。だからそれを追求することが出来なかった。仕方なく儒楠のほうはどう思っているのか再び尋ねることにした。
「さぁね、なんだろうか」
儒楠は小さく笑ってそう言った。
「わからないの?」
「いいや。オレにとっては命を救ってくれた奴だからね」
優しく微笑む儒楠。こんな笑みを薪が出来るものならしてみろと言いたい。生まれも育ちも全く異なったあの二人が全く同じ顔をしていることが未だに信じられない。しかし、全く違うのは表情だろう。薪はこんな風に笑みを浮かべることは無い。そんな事を考えながら穂琥は薪の育ちのことに思考が移った。
「どうしてあんなふうに育ったんだろう・・・?」
「え?」
穂琥の記憶ではわずかでしかない断片的なものではあるが、父、巧伎に幽閉され穂琥が何度もそこへ足を踏み入れたことで巧伎に眞稀を打たれ生死の境を何度もさ迷った。そんな苦しい思いをさせてきたのならたとえ妹であっても恨みを少しでも抱くものではないだろうか。
「だけど薪は私を護るって、全力で護るって言ってくれる・・・」
「嬉しかった、んだろうな・・・」
「え?」
儒楠はどこか切なげに微笑みながら床を見詰めて語った。確かにそう言った行為は己を苦しめることになるから腹の立つことかもしれないけれど心配してきてくれた穂琥の気持ちが。
「嬉しかったんじゃないかな」
「そっかぁ・・・。薪って本当なんだろう。お父様はそんな酷い方なのによくまっすぐ育ったなぁ~」
「いや、真っ直ぐかどうかは知れないけれど。母親、紫火様の影響が大きいだろうね」
「あ、そうか!」
穂琥はぽんと手を叩いた。儒楠はどこか呆れたように微笑んだ。それからすっと真面目な顔をして穂琥に尋ねた。
「ねぇ、穂琥は・・・ずっと一人でどうだったの?」
「え?一人?何のこと?」
穂琥は首をかしげて儒楠を見詰めた。儒楠はばつが悪そうに穂琥から視線をずらした。
「穂琥は地球で育ったでしょう?薪が送ったから。その間、穂琥は一人じゃなかったの?」
「あぁ、そのこと!まぁ、確かにほとんど一人だったよ。でも実は幼い頃から中学卒業までは私を拾ってくれた人の下で育ったんだよ」
「へぇ?」
人間のご夫婦。若い夫婦で雨の中公園で泣き叫んでいた穂琥を拾ってくれたらしい。当時、3歳で己の名前が『穂琥』であること以外全てを忘れていた穂琥を大切に育ててくれた。それでも心のどこかにぽっかりと開いたような穴がある気がしてどこか恐ろしくて時折枕を濡らしたことがあった。
そして幾年月がたち、あまり迷惑を掛けちゃいけないと思って高校に入る頃には一人暮らしを決意した。夫婦はいつまでもいていいといってくれたけれど穂琥は大丈夫だといってその家を出た。心の底から感謝を篭めて。