第四十四話 セイシノワカレメ
「はぁ?何言っているんだ?」
薪が首を傾げる。
「おおお、女だったの!?」
「男の子じゃなかったの!?」
「誰が男だって言ったよ」
「女とも言ってない・・・」
「まぁ、言っていないな・・・」
フードを取ったことで顔立ちが大体見える。思った以上に美しい顔立ちをしていたことに驚いた。此方でそうやって叫んでいることすら気にしないように綺邑はフードを取ったことで涼しい顔をしていた。凛とした美しさの中にどこか冷酷な冷たさを感じたのは気のせいではないはずだ。それと同時に儒楠はそっと女だと余計に無愛想に見えるなとか思っていると薪に笑われた。
「余計なこと考えるのはよした方がいいぜ?」
「何でわかるかな」
「そういう顔しているからさ」
それを言うと薪は急に真面目な顔になってもたれていた木から背中を浮かせて座りなおした。正座をして軽く握った諸手を地面につける。この体制は眞匏祗の中でも誠心誠意を篭めた姿勢。そしてゆっくりと頭を下げる薪。
「今回は本当に助かった。礼を言う」
「ふん」
「ありがとう」
綺邑は頭を下げて礼を言う薪を軽蔑するような眼で見てからふっと視線をはずして帰ると言って地面を蹴った。ふわっと高く浮き上がった綺邑の身体。それが空でぴたりと止まって薪のほうに顔を向けた。
「一つ。もう二度と来るな」
「わ、わかったよ。悪いな」
薪は誤魔化すように笑った。そんな薪と綺邑を見て穂琥は無償に尋ねたいことができた。それを聞いていいのかわからないけれど、一度思ってしまったらもう、尋ねずに入られなかった。
「あの、あなた・・・本当に来るなって思っているの・・・? あの、ごめんなさい。そう、感じたから・・・」
綺邑は鋭く穂琥を睨んだ。その眼に穂琥は一瞬だけ恐怖を覚えた。しかし、どこかで薪がこの死神に助けを求めた理由がわかったような、そんな眼に思えた。
「ふん、下らんな。自ら堺へ来るものなど言語道断、消え失せれば良い」
綺邑はそれだけ言うとふっと姿を消してしまった。おそらく境に戻ったのだろう。
一瞬の静寂の後に穂琥が薪にそっと尋ねる。
「綺邑は・・・薪の、何を・・・知っているの?」
「餓鬼の頃さ」
簡潔にさっと答える薪。
「毅邏って言う刀、最凶の刀。本来ならこれに刺されて死ななかった者はいないんだ」
突然薪が左の腕を押さえてそう言った。おそらく愨夸紋と毅邏の呪印が存在する場所だろう。
「これはあくまで推測だけど。オレが死ななかったのは自らで刺したからだと思っている。そしてオレはとある理由の元、あの綺邑の居座る堺へと足を踏み入れることとなった」
真っ暗で何もかもがわからない、上も下も右も左も。そもそも自分の腕と足と頭と腹と。それら全ての感覚すらわからなかった。そういう中で薪は意識を取り戻す。身体が酷く重く自分が死んだのだと薪は悟っていた。しかし、頭と言えるのかよくわからない場所に声が響いてきた。
【死ぬのか】
答えることができない。きっともう無意味なのだろうと諦めているからだ。
【死ぬ積もりなのか】
再び声がする。何処からするのか何がそれを発しているのか。考えることすら嫌になった。それでも、その声がずっと木霊のように残っていた。
【お・・れ・・・は・・】
絞るように声を出す。そして出た声が違和感のあるもので気持ち悪かった。声の主はそれを若干ほめるようなことを言った。ここの場で今のように声を発することは難しいらしい。
【立て。貴様なら立てる】
声に催促される。しかし今の薪にとって立つことが一体どういうことなのかすらわからなくなりかけている。それでも声は立つようにと訴えてくる。そうしてしきりに身体の神経を感じながら足に踏ん張る力を入れる。そうしてやっと足が地面に着いたような感覚を得た。すると今度は眼を開けるようにと催促された。
【貴様が暗いと感じているのはその眼が閉じているからだ】
薪は眼を開ける。その眼に飛び込んできた光に薪は再び眼を閉じた。それからゆっくりと眼を開けた。そこは真っ白な世界。霧のような靄がかかっている不可思議な世界。
【ここは・・・?】
【貴様なら聞いた事位有るだろう。此処は堺だ】
後ろを振り向くとこの真っ白い世界に唯一つ黒い影が存在していた。顔はよく見えない。それでもその存在がどういう経路を辿ってきたのか頭に直接叩き込まれたように理解した気がした。
【再び問おう。貴様、死ぬ積もりか?】
問われて考える。そうして出た答えは肯定。己が犯した罪が重すぎて。生きていく価値すらないだろう。
【死ぬ事こそ最大の逃げだ。貴様は唯単に逃げたいだけだろう。弱いな】
頭の感覚が遠のきながらその声を聞いて少しだけ怒りを覚えたような気がしたがそれを否定できることは何もなっかった。弱い。だからこんなことになってしまったのだと薪は頭を抱える。
【貴様、己が繋がっている事を忘れてしまったのか?】
冷たく言い放つその影に薪は心を奪われる。何もかもどうでもいいかのような、このままその影に委ねてしまえば全てが楽になれるような。
【私の質問に答えろ、餓鬼が。私に頼るな。私の元へ来ることは許さん】
厳しく言われるその言葉でも薪はあまり頭に入っては来なかった。ただ、影のいる向こうへ行きたかった。きっとそこが黄泉の国といわれる類のものになるのだろう。
【考える事すら止めたか。もう少し利口な奴かと思っていたが。買い被りすぎた様だな】
影はそういうと薪の耳元にすっと近寄ってきて小さな声で伝う。
【貴様の母は最期に何を言った?】
【無理だよ・・・頭の中から何もかもが無くなっていくんだもん・・・】
影は薪からさっと離れて眼だけを紅く光らせた。
【黙れ、餓鬼風情が。もう少し努力する奴だと思っていたのだがな】
鋭い視線を受けて薪の頭の中で少しだけ風が吹いたように動いた。そして滞っていた己の記憶が一気に戻ってくる。母の言葉も、自分が何を望んでこんなことになってしまったのかも。
【オレは・・・穂琥と・・・】
【上出来だ。それで?此の侭連れて行っても構わんが、勧めないな】
影が何であるかはもう悟った。堺に住まうもの、死神だ。そんな死神が死を誘わないとは意外だった。目の前に存在する大きな影に薪は決断を催促される。そして答える。
【返して!元の世界へ返らせて!】
【受け入れた。返してやろう。帰り道なら貴様が判っているはずだ。ゆけ】
薪は小さく頷いてくるりと踵を返した。道何というものは存在しない。そもそも地面というものすら存在しない。それでも己が歩むべく道はその目にしっかりと映っている。感謝を篭めて。死神へ伝う。
【オレは・・・薪】
【私は綺邑だ。さっさとゆけ】
薪はそのまま前へ走り出した。