第四十三話 ココロノモンダイ
倒れて身動きをしない劉喘。動かしたくとも動かないのだろう。互いの全力を掛けた一撃なのだから。それでも己に命があるということは、現愨夸がくたばったのか。
「ふん。下らんな。いつまで経ってもやはり甘い奴だ」
決して死んだわけではないだろう。唯単に己が生かされただけだということを身にしみて理解していた。そこへ誰かの近づく気配を感じて視線をそちらに向ける。
「・・・柚、禮。貴様、何故・・・」
柚禮がそこに立っている。当然、穂琥も生きている。それは命令をしくじったことになるのだから劉喘は鋭く柚禮を睨んだ。しかし、柚禮はそれとは反対になんとも切ない表情で顔を埋めていた。
「俺はあんたが嫌いだ。この世の中は綺麗になった。もう壊す必要など無い」
「貴様・・・それが言い訳か・・・?」
劉喘の言葉に憎しみが篭められている。何故、劉喘がここまでして愨夸を憎んでいるのかは知らないし、きっとこの先も知ることはないだろう。それでもずっと縛られ続けてきたからもう飽きた。今から起こる大爆発で己がこの場から解放されるというのならそれでも良いと柚禮は思っていた。そう思って覚悟を決めたとき、視界が真っ暗になって驚いた。顔を上げるとそれは死神の影と知る。驚いたのは何も柚禮だけではない。劉喘とて驚いた顔をしていた。
「この場で死ぬ者は居ない。先程の鎖李という男も命を落としてはいない」
それを聞いて衝撃と共に嬉しさもこみ上げた柚禮。それの反面、劉喘は怒りで震えていた。しかしダメージが大きすぎて身体は動かないため酷く苦しそうだった。
「私の仕事が増える。余計な事をするなよ、眞匏祗風情が」
睨むその瞳に飲まれて動かない劉喘。しかし、感覚的に既に劉喘は柚禮を爆破することは終えているはず。なのに自分にはそれが起きないと疑問に思っていた。
「私を誰だと思っているのだ、貴様等。貴様等程度の眞稀の相殺等容易いわ」
綺邑は軽く柚禮の腹部に蹴りを入れた。ぐふっと声が漏れて軽く咳き込んだ。そして綺邑を見て直感的に体内の爆破物が今の蹴りでなくなったことを悟った。そしてその死神の力を思い知った。
あたりはすっかり晴れていた。土煙も無くなって。綺邑がふと視線を動かすと穂琥と儒楠に両脇を抱えられた薪がニヤニヤ笑いながら此方にやってくるのが見えた。
「へぇ。あんたでもそういうことするんだなぁ~?」
「黙れ、餓鬼が」
「怖っ」
薪は小さく肩を竦めた。それから鋭い目つきで倒れている劉喘を睨んだ。
「・・・負けか。俺も老いたものだ」
諦めたような口調で劉喘は言った。薪はそれを否定した。
「老いもあるかもしれないが。お前の場合は違う。頼るべく仲間がオレにはいたがお前にはいない。それだけだ」
「・・・温いな」
「結構」
薪は劉喘の前に腰を下ろした。そして額に手を当てて口の中で何かを言った。すると劉喘はぱっと姿を消した。一体何処へ留置したのかは薪のみが知る。もしかしたら眞匏祗など子どもの集団にしか思っていなさそうな死神、綺邑にならその行き先を知る術があったかもしれない。
城に変える前に少し薪を休ませるべきだと判断して丘の上の巨木の下に薪に腰を下ろさせた。
「何故俺を・・・?敵だぞ」
薪が命じて儒楠に連れて来られた柚禮が警戒をしながら言った。
「はは。何言っているんだか。穂琥を殺すどころか傷付けることもしなかったくせに。そこまでの力を有していながら。なぁ?」
薪はにやりと笑う。柚禮はその笑みに飲み込まれてしまったようだった。そうして飲まれて動けなくなってしまった柚禮にそっと微笑みかける薪。
「そうだろう?ありがとうな」
「・・・礼を言われることはしていない・・・。わかった。なら俺はこのまま町に行こう。そこで暮らすとするよ」
「あぁ。時々城に遊びに来いよ」
柚禮はどこか気恥ずかしそうに小さく頷いた。穂琥もそれが嬉しくてたまらなかった。そして色々なことを感じさせてくれた柚禮に、小さいながらも礼の言葉を述べる。
「・・・本当に不思議な子だな。では、愨夸よ。またいつの日か」
「おう」
柚禮はそう言って背を向けて歩き出した。
息をつく為に木にもたれた薪はふっと綺邑の表情が眼に入った。
「どうした?」
「暑い」
「え?」
季節は初冬辺りだ。いくら戦線の後だからって暑いわけが無い。穂琥も儒楠も首をかしげて綺邑を見た。薪は少し表情を曇らせた。
「開眼しようとしたからか?」
「ふん」
綺邑は鼻を鳴らしただけで薪の言葉を無視したように思えた。綺邑は身体を貫かれたとき、開眼しようとした。おそらく今見えている目ではない、もう片方のまったく別のものを。
「片方は私の物だが、もう一つは異なる」
綺邑が儒楠の表情から察したのかそう言った。はっとした儒楠は心を読めるのかと焦ったがどうやらその節は無さそうだった。
「もう片方、それは誰のものになるんだ?」
儒楠がしたこの質問に綺邑は言葉を詰まらせた。すらすらと答えをしていた綺邑が回答に詰まることが意外で仕方なかった。
「片方は・・・親の物だ」
予想外の回答に今度は儒楠が言葉を詰まらせた。それを聞いていた穂琥ももちろんのこと。薪は表情を落としていたことから知っていたのだろう。
「呪いでね・・・」
薪が小さい声で言うと綺邑の蹴りが薪に飛んだ。
「ふんぎゃ! いった!何すんだ!怪我しているんだぞ!」
「なら其の儘くたばれ!」
「い゛・・・・」
勝手なことを口走ったことを怒ったらしい。薪は必死で謝罪して何とか許しを得ていた。一体この絵は何ナノやら。最強と呼ばれる愨夸がここまで謙ってどうする。いや、それくらい大きい存在なのだろうということはわかっているのだが。
綺邑の瞳の片方はとうの昔に潰れてしまっていた。それを潰したのは親であり、そして自らの瞳を潰れた綺邑の目に埋め込んだ。
「え、エグ・・・」
思わずもれた声にすら気づかないくらい穂琥は鳥肌が立って気持ち悪かった。強すぎるその眼の力は普段は抑え込むために閉じきっているが、時に乗じて開眼するようになっていた。そして先程、怒りのままに開眼しようとしたが何とか思いとどまってくれたというわけだ。
「綺邑、汗大丈夫か・・・?」
「暑いんだよ」
苛立ちを感じさせるその言葉に薪は苦笑いをしていた。穂琥はそんな薪の姿を少し遠い眼で見詰めていた。薪があんなに表情をころころ変えるところを見たことが無い。儒楠相手ですらあそこまでの変化は無い。一体どうしてだろうか。
薪に言われて不服ながらもフードを取ることを選んだらしい。黒いローブからは袖が無く、ファスナーが着いているわけでもないのでおそらく手は出せない。綺邑はふっと頭を後ろに振った。するとぱさっとフードが取れる。ふわっとした橙の髪が風に靡いた。ん?風に靡く?
「え・・・?」
「あれ・・・・?」
儒楠と穂琥が綺邑の姿を凝視する。さらっとした肩くらいまで伸びた髪はひどく美しかった。
「お・・・女ぁぁぁ!?」
穂琥と儒楠の声が重なって空に響き渡った。