第四十二話 メノチカラ
目の前に現れた黒い影に一瞬驚いたがそれが綺邑だと気づき息を吐く。そして薪はそんな綺邑へ声を投げかける。
「どうだ?」
「其の儘返す」
冷たく帰ってくる綺邑の言葉に笑う薪。ただ予想以上に自分が消耗していることを綺邑に伝えると綺邑はさらに冷たく凍るような声で薪に本気で行けと伝えた。
「貴様はあの小僧を殺さないだろう」
「・・・何故そういう?そんな事わからない・・」
「私を誰だと思っている?」
薪は言葉を詰まらせる。そうだ。死神だ。わからないわけが無い。薪は確かに劉喘を殺すつもりは無かった。いくら大罪を犯してもその命を奪うことは薪にはできなかった。劉喘の命を奪ったからといって母や父、仲間が帰ってくるわけではないのだから。
悠長に話していたのが悪かった。綺邑の胴体を劉喘の刀が突き刺さった。あまりの衝撃に薪は一瞬固まった。
「き、綺邑・・・」
「貴様・・・私にこの様な事をして唯で済むと思うなよ」
低くうなるような声。胴体を貫かれて声音一つ変えないなど。その化け物じみた感覚に流石の劉喘も恐怖を覚えたようだった。そして怒る綺邑の存在を目の前に薪が後ずさりをした。
「薪が・・・後ずさった!?」
その光景を眼にした儒楠が驚かないわけが無かった。無論、穂琥も同じ様に。何事にも屈せず立ち向かえる強さを持っている薪が、目の前の純粋な怒りに畏れて足を引いた。それがどれほどのことか。
「貴様如きが私の身体を傷付けて唯では済まさんぞ」
綺邑の右目に掛かっている前髪がざわめく様に揺らぐ。それを見て薪がさらに畏れた顔をする。
「貴様、私が直接あの世に送ってやろう」
「き、綺邑!それは止せ!」
薪の焦った声が空に木霊する。揺れてその隙間から見える綺邑の瞳が眞匏祗のそれとは根本から異なった全く別の瞳。その眼に宿る力が恐れを巻いてのしかかってくるかのようだった。薪が必死の声で綺邑に止めるように叫ぶ。しばらく黙っていた綺邑だが、薪の言葉を聞いてふっと力を抜く。
「なら早く片付けろ。私の気が変わらぬうちにな」
「わかった・・・」
綺邑の身体に刺さっていた刀が光の束になってはじけて消えた。薪は力を篭めて立ち上がる。
「強いなぁ。やはり年か。俺も力が落ちたものだ。なぁ、現愨夸よ。俺が殺したかったのは誰だと思う?」
劉喘が突如言った。薪は少しだけ戸惑った顔をしながら己の母の名を出したが劉喘はそれを否定した。薪はずっとあの時からそうだと思っていたから正直驚いた。それと同時に疑問がわく。
「じゃぁ、誰を・・・?」
劉喘は笑う。その笑がどれほど不気味だったろうか。そして劉喘の代わりに綺邑がその解を答えた。
「穂琥、だろうな」
「はん!流石死神、といったところか・・・。俺はそこの餓鬼を殺したかった」
劉喘が吠える。その場の空気ががらりと変わる。まさか、あの幼かった穂琥を消したかったなどというとは思ってもいなかった。
「それは唯の餓鬼じゃない。後々脅威となる。その力が愨夸のものになる前に潰しておきたったのさ。失敗したがね」
薪はどこか悔しそうに顔を歪めていた。どうやらそれをわかっていたように。そして薪が明かした穂琥をこの戦場に連れてきた本当の意味。
「実戦に赴くしか、眼を覚ましてもらうことができないんだよ・・・」
苦そうに、しかし鋭く薪は言った。眼を覚ます、とは眠れる力を呼び起こすこと。もっと言えば眞匏祗の扱う技の中で重宝されている『開眼』と呼ばれるもの。様々な能力を扱うためのもの。そして今ここで言った穂琥の『眼』とは眞匏祗の療蔚の中では最高峰と呼ばれる『桃眼』(とうがん)と呼ばれるもの。この力がどれ程凄まじいものかは未だに誰も知らない。故に恐ろしいといわれている。誰も知らない理由は今までの中でその桃眼を使いこなせたものが存在しなかったからというだけのこと。そしてこの穂琥が、秘めたる力として桃眼を完全に扱える可能性がわずかにでも存在していた。だからこそ、劉喘はそれを恐れた。そして消し去ろうとしたのだ。
「その『眼』がどれ程危険なことか!」
「黙れ!穂琥はオレの妹だ!何が何でも傷付けるわけには行かないんだよ!」
薪は強く地面を蹴った。とうに持っていなかった刀を何処からか呼び出し己の手に召喚させる。そしてその勢いを失わないうちに劉喘へ斬りかかる。
最初に比べて大分反応の鈍ってきてはいるが、薪の攻撃を弾きあげる劉喘。弾かれてがら空きになった薪の胴体に向って刀を振るう。右足を軸に薪は勢いよく回転しその攻撃を辛うじてかわす。
「鈍っているなぁ?」
「お前もな!」
劉喘の挑発の言葉。薪はそれすらも斬り捨てて次の攻撃へ移る。薪は刀を既に左で持って戦っている。利き手が異なるものどうしで争うと刀のバランスがおかしくなるので間合いと感覚が取りづらくなる。根本的にそれに慣れている薪ならまだしも慣れていないはずの劉喘がそれに簡単についてい来ることが少しだけ意外だった。
「今の愨夸が利き手を左と心得ていれば対応などしやすいだろう?」
互いに後ろにとび、間合いを取ったとき、劉喘がさも嬉しそうにそう言った。何もかも調べてあるのだろう。だったらその調査などまるで無意味になるように圧倒的に勝つしかない。
薪は地面に足を踏ん張り眞稀を練り上げる。このまま刀で打ち合いをしてもおそらく無意味だろう。ならば全てを掛けて相手を叩くしかない。薪が大きく、大きく眞稀を練り始めると、それを悟って対抗するために劉喘も眞稀を練り上げる。
傍で見るとおそらく凄まじい光景だろう。現愨夸と、それを意図も容易く陥れた罪人。この二つの強大な力が底を知れずと膨れ上がっていく。びりびりと感じる殺意のこもった眞稀。心底震えてしまいそうなほど圧倒的な力。これを前に平然としていられるわけが無いだろう。
互いに上限まで眞稀を練り上げた。後はぶつかるだけ。己のありとあらゆる物を掛けて。刀をゆっくりと構える。それは薪も劉喘も同じ。そして互いの中で何かがスタートを切る。同時に地面を蹴って強大な眞稀同士が轟音と共に衝突した。
鼓膜が割れてしまうかもしれないと思うほどの凄まじい音。それ以上に身を引き裂かれるような感覚に陥る、溢れ出る眞稀。それらが引き起こした爆発と爆風。これらで薪と劉喘の存在を感知することができない。辺りに残っている先ほどの眞稀のせいで薪が生きているのかどうかすら感じることができない。
穂琥は震える手を握り締める。元々追跡などといった眞稀を探ることは苦手な穂琥に今視界のない状態で薪を探すことが出来るわけも無かった。再び訪れる命の危険。一体薪は何度己の命を危険にさらしたら気が済むのだろうか。不安で震える穂琥の肩に手が触れる。驚いてその手を弾いて儒楠と気づいてほっとした。
「驚かせてゴメン・・・。オレも必死で・・・」
「ううん、平気・・・。ねぇ、薪は平気・・・?」
「わからない。こんな酷い混沌とした状態で薪を特定することなんてできないよ」
儒楠は辛そうに言った。そしてそれを聞いてショックを受けた穂琥はふっと眼を伏せる。自分には力が存在しているらしい。それでも今はそんな力一切使うことができない。今、薪を援助することが一切できない。そんな弱くて脆い自分が悔しい。穂琥は膝を折って地面を力の限り叩いた。儒楠が心配して声を掛けたが穂琥の耳にそれは入らなかった。
弱い。弱い。脆い。自分だけでは何もできない弱虫。それでも。それでも薪、貴方のために少しでも出来ることがあるなら私はそれを望みます。
穂琥は自分の身体がぶわっと熱くなるのを感じた。そして開いた瞳に移ったその世界はなんとも摩訶不思議な世界だった。ものの形はしっかりと見ることができているにもかかわらず、そのものに現実味を感じない。そしてそれらから何か靄の様なものが漂っている。様々な色をして。その中にひときわ大きく、呑み込まれてしまいそうな炎のようなものがあった。それに一瞬尻込みをしてふっとそれの傍にゆらゆらと小さく今にも消えてしまいそうな靄があった。穂琥は直感を得た。
「薪!」
穂琥はその靄に向って駆け出した。
「穂琥!?」
後ろから儒楠が叫んだが、それに気づかず穂琥は走り抜けた。少しだけその大きな炎は怖かったがそれを無視して通り抜け、小さな靄を目指した。直感でそれが薪であると思ったのは血肉を分けた相手だからだろうか。
駆け寄ると薪の固体をはっきりと認識できた。
「薪?!平気!?」
「あ・・・あぁ・・・何とか・・・」
「よかった・・・・」
「それより・・・お前・・・」
「ん?」
穂琥は首を傾げる。