第四十話 カイセン
薪が綺邑を呼ぶ。ふっと現れた綺邑は相変わらず不機嫌そうに紅い眼を光らせた。
「遅いな。移動にどれだけ時間を掛けている。それに。4祇と聞いていたがなぁ」
「え・・・?」
流石の薪も驚いた声を上げた。どうやらここにはもう1祇いるらしい。要は5祇。あぁ、此方は1祇足りないではないか。そんな思考を持ちつつも穂琥は綺邑の背を睨む。何故このものに対してここまでの感情を抱くのかはわからない。でもきっと儒楠に最初抱いていた嫉妬と同じものなのだろうと納得するしかなかった。自分より強いと言い切った薪の言葉におそらく穂琥は恐怖と嫉妬を得たのだろう。ずっと薪の背を見ていた。どれだけ強いか知っている。そんな薪がこの死神にはその身を委ねてもいいといわんばかりでなぜだろうか、それが怖かった。
「よし。行くぞ。強行突破、だな」
薪はそう言って凄まじい勢いで地面を蹴ってその掘っ立て小屋に突っ込んでいった。それに習うように儒楠も飛び出す。穂琥も慌ててその後を追った。綺邑の姿は穂琥の眼には映す事ができなかった。
刀を召喚して飛び出した勢いに乗せて薪はその刀を振り下ろす。そのままでは掘っ立て小屋が吹っ飛んでしまいそうだった、が。中からぱっと影が飛び出してその刀を受け止めた。
「貴様、何をしに来た」
薪の刀を受け止めた眞匏祗がうなるような声を上げた。そして同じく儒楠のほうも薪と同じ行動をして止められていた。
「大将に会わせてもらえんかね?」
薪の言葉に男はうなる。儒楠の刀を受け止めたほうの眞匏祗が聞き取りにくいくらい小さな声で返答をする。
「それはできない・・・。死にたくないのならここから去れ」
殺気を放って怒りを出す2祇を前に平然と立つ薪と儒楠。その後ろにやっとついて穂琥は緊張の最中でつぶれそうだった。そんな穂琥の耳に気持ち悪いとか、いけ好かないとかそういうレベルの問題ではなく、最早生命危機レベルに達するくらいのおぞましい声が聞こえた。
「構うな。俺の大事な客だ」
小屋の中から出てきた男。着ている服はお世辞にもしっかりしているとは言いがたい。だが、別に汚れているわけではないことを見るとしっかりと着ることを嫌がっているとも取れた。深い青の髪が長く眼に被さる。その奥で光るその瞳はまるで鬼。
「劉喘・・・」
「久しいな、現愨夸。『アレ』以来だなぁ?」
気色悪くつりあがる頬。ぞわっと身の毛のよだつ声音。コイツは何もかもが常識から外れている。恐ろしくてたまらない。
「おや?それは眞匏祗ではないな。死神・・・といったところか?」
劉喘は綺邑を見て怪訝そうに表情をゆがめた。流石に死神を連れてきたことは想定外だったらしく少し不機嫌そうな顔をした。
「いいだろう?何だって。ほら、早速やろうや」
薪が刀を構える。劉喘も刀を取り出し構える。そしてまたにやりと笑う。
「両親の仇をとるか?」
「いや」
薪が否定するとさらに嬉しそうに笑った。
「ほう。なら、何だ?仲間か?」
劉全の言葉に少しだけ悩んだ風に見せた薪は鋭く劉喘を睨んだ。
「いや。関係ない。仇をとるつもりはない。そもそもアレはオレが原因だ。仇をとる相手はいない。あるとしたら己だ。違う。お前を斬りに来たのは純粋にお前を危険分子と判断した愨夸としての責務だ」
薪は言い切った。劉喘の方はどこか腑に落ちないようなかをしているがそれでもそんな事実際はどうでもよかったらしく刀をぶんと振る。薪は刀を振るう。それを簡単に劉喘は受け止めた。
「へぇ。流石に眞稀が上がっているか。無駄に生きてきたわけではないんだな?」
「当然だろう」
けらけらと軽く笑う劉喘に強く光る眼光を放つ薪。この2祇の間にある因果を断ち切るために薪はここまでやってきた。そして二度と自分と同じ様に苦しむものを生まないために。そんな薪の覚悟なんて知らないで劉喘は遠くを見据える。おそらく綺邑の辺りを見ているようだった。それから地面を強く一度蹴る。すると小屋の中からもう1祇出てきた。劉喘が何かを言ってそれに従うように出てきた男と、今いる2祇は鋭く地面を蹴って敵対する相手に斬りかかった。
儒楠は突然目の前に来た男に一瞬だけ驚いたものの、すぐさま刀を取り出して弾き返す。
「へぇ。大した反応だな。アンタ、愨夸と似ているなぁ?瓜二つ?」
「うるせぇよ。その台詞、聞き飽きたわ」
「ふぅん。俺の名は鎖李、貴様は?」
「オレは儒楠。よろしく頼むよ、戦友さん」
「戦友・・・か。面白いことを言うな」
儒楠はにやりと笑って刀を構えた。
残りの2祇は勢いよく綺邑に向って刃を向けた。いとも簡単に一撃目はかわされ二撃、三撃と軽くかわされる。
「やはり死神だけあるか・・・。アンタはどうやら2祇で相手するんだと」
「我らで行かせてもらう」
「我が名は朱羽」
「我は芭樹。貴様はなんと言う?」
芭樹の質問に答える義理もない綺邑はただ黙する。眞匏祗の礼儀として例え、殺し合いになる戦いであっても名乗るのが礼儀。しかし死神である綺邑にそれに則る所以はない。
あちこちで争いが始まる。見た目で一番すごい眞稀を放っているのは当然だろうが薪のところだ。でも穂琥はそんな様子を見てただただ怯えることしかできなかった。
「みんな・・・おかしいよ・・・どうして・・・」
どうしてそんなに争えるの?
震える穂琥の耳に新しい声が届いた。
「うるさいな」
はっとして声のしたほうへ振り向く。そこにはだるそうに頭をかいている男がいた。
「あまりにもうるさいから起きてしまったよ。何だ、争いか」
興味もさして無さそうに男はぶつぶつと言った。そして穂琥に視線を動かしてこれまた興味無さそうに穂琥を観察した。
「弱々しいな。療蔚として治すために来たのか?」
その質問にただ首を振るしかできなかった。男は戦いに来たにしては怯えすぎだと鼻で笑った。どこか悲しげに。
「譲ちゃん、名前は?」
「わた・・・私は・・・ほ、穂琥・・・」
穂琥の名を聞くと男は少しだけ嬉しそうな顔をした。和やかというか、優しげというか。その表情だけ見ていると穂琥のほうも緊張が解けてしまいそうだった。
「いい名だね。流石愨夸の娘、いや。今は妹か。俺は柚禮だ。さて。やらないとあいつに殺されちまうからな。ただやる前にもう少し聞いてもいいか?」
柚禮は笑いながらそう言った。その表情がいつも穂琥に微笑みかけてくれる薪と重なって穂琥は妙な錯覚に陥りそうだった。その錯覚を打ち消すように首を縦に振って柚禮の質問に答えた。
「何で連れてこられた?穂琥は療蔚だろう?」
「・・・す、少しは・・・戦えるから・・・」
声が震える。それは確実に柚禮にも伝わっているはず。あまり納得していないような顔をした柚禮は質問を変えて再び問いかける。
「じゃぁ、もう一つ。何でここに来た?」
柚禮の質問に穂琥はぐっと奥歯を食いしばった。ここに来るだけ無駄だろうといわれたような気もしたからか。穂琥はその想像を振り払って言葉を発する。
「ど、どうしてそんなに・・・質問をするの・・・?」
「おいおい。質問しているのはこっちだぞ?まずそれから答えろよ?」
柚禮は余裕のそぶりでそう答える。このやり取りしかしていないけれど、穂琥にはどうしてもこの柚禮という男が悪い奴には思えなくて仕方なかった。でも藍飛の一件もあるから穂琥は己の感覚を完全に信じることができなかった。仕方なく穂琥は柚禮の質問に答えることにした。
「私は・・・薪の傍に・・・いたい。薪の・・・・力に・・・なりたいの!薪を助けたい!」
自分でも驚くくらい後半は声を張ってしまっていた。柚禮はそれを聞いてじっと穂琥を見詰めた。それから優しく目元を和ませてそっと言う。
「いい奴だな。穂琥、か。覚えておこう。穂琥とはもっと別の会い方をしたかった。じゃぁ、いくよ」
穂琥は慌てて手を前に出した。別に攻撃の構えではない。手を張って相手を制止する体制だ。
「待って!私の質問!いいでしょ?!散々貴方だってしたのだから!?」
「無論、構わないよ。何?」
柚禮は答える。攻撃の構えも解除してくれている。穂琥は震える心で尋ねる。何故質問をしてきたのか。どうしてすぐに攻撃をしてこなかったのか。
「ただ単に穂琥のことが知りたかったからだ。あんた、見た目いい奴だ。中身もいい奴だったけどな」
「そん・・・な・・・。そんな風に、わかるのにどうしてあんな眞匏祗の味方をするの!?」
「・・・この世界が嫌いだった。愨夸が変わって世の中も変わった。だが俺達にはもう変更することができないんだよ」
「貴方は・・・したいの・・・?もうこんなこと止めたいの?」
「・・・少しね。でももう遅いんだ。さて。もういいだろう?行くぞ。早くしないと殺されてしまうよ」
柚禮は構えを取る。穂琥の心がどれだけ嫌だと叫んだだろう。