第三十六話 スクイノテ
ジメジメとした空気が流れることもなく滞り、寒く雪がそこに溜まっていった。そしてそんな路地に立っているわけでもなく座っているわけでもなく穂琥はいた。
「ここは・・・どこ?」
ふと自分の状況に気付いて何とかして地面に足を下ろした。積もった雪があるというのに穂琥の足は冷えを感じなかった。美しい町並みが広がり、雪が舞い、きらびやかに飾り付けられていた。路地から出ようとした穂琥はふと路地のほうに目を向け、体が固まった。そこにいたのは飢えで横たわる眞匏祗の数々。その数々は皆息絶えているようだった。その異様な空気に苦しく吐き気を覚えた穂琥は立ち去ろうと足を路地外へ向けた。
「また増える」
「え?」
思わぬ方向から声が聞こえて振り向いた。息絶えた眞匏祗の山の中に蹲って座っている小さな、5歳にも満ちていないのではないかと思えるくらいの少年がいることに気付いた。薄い空色をした髪が小さく震えている。穂琥はそんな少年に今、言った言葉の真意を確かめようと近寄って手を伸ばした瞬間、大人の眞匏祗の声が聞こえて動きを止めた。
「全く困るな。どんどん増えて。もうすぐここも溜まって捨てられなくなるな」
「仕方ないさ。早くコイツを放り込んでいこうぜ」
捨てる?放り込む?その言葉に穂琥は衝撃を隠せなかった。男たちは抱えていた男をこの路地にまるでごみを投げるかのように放り込んでいった。
「なによ、あんたたち!!」
怒号を上げたが男たちは何の反応もしないままどこかへ消え去ってしまった。追おうかと思ったが、この小さな少年が気になるのでそれを止めて少年にそっと声をかけるがその少年は顔をうずめたまま微動だにしない。穂琥はそっと少年に手を伸ばして思わず声が漏れた。
「あ・・・!?」
穂琥の手は少年をすり抜けた。ここで初めてここの場所の違和感に気付いた。一体ここはどこだ、何なのだ?
「オレも早く死にたい」
少年が小さな声で言った。穂琥はその言葉の恐ろしさに身を引いた。その時、路地の入り口のほうから荒れた声が聞こえた。
「生きている?!」
穂琥はその声のしたほうに目をやって驚いた。年齢こそ、幼いが間違いなくあれは幼少期の薪だった。蹲っていた少年がやっと顔を上げてさらに驚いた。こっちも同じく幼少期の薪。一体ここの世界はどうなっているのか穂琥はあたふたしながらその少年たちのやり取りを見ることになった。
「良かった、生きているね!」
走ってきた少年は少し手前で足を止めた。
「君・・・オレに似ているね?」
「・・・あぁ、似ているね。顔だけは。それで?なにをしに来たの?」
「助けにきた」
自信に満ち溢れたその言葉。座っている少年は酷く不機嫌な顔をした。
「助けに?馬鹿にするのも大概にしろよ。出来るわけ無いだろう?オレとほとんど年齢変わらないだろ。そんな餓鬼風情に治せる訳ないだろ」
まるでこの世の全てを怨んでいるようなその言葉。憎み妬み、憎悪の言葉。それを受けても今走ってきた少年は表情を強くして言い切る。
「できる!だからやらせて」
「無理だな」
「やらないと無意味だ。やらせて」
「・・・治らなかったらどうする?」
「治る。絶対に」
自信に満ち溢れたその言葉に少年はさらに不機嫌にそして憎しみを篭めた目で睨む。それから興味がなくなったように好きにすればいいと言う。走ってきた少年は嬉しそうに顔を歪めて目の前の少年の肩に手を置いた。そして二祇を緑色の光が包み込む。その術のレベルの高さに穂琥は正直驚く。こんなにも小さな子どもがこんなにもしっかりとした眞稀を練り上げ、高レベルの術を行使できるとは。
「はい、終わったよ。治ったんだよ、大丈夫」
「な・・・あ・・・あんた・・・一体、なに・・・?」
「ゴメン。簡単には名乗れない。君は?」
「名乗れないなんて変だな。オレの名前はジュナン=ロウ=テイア」
穂琥は衝撃を受けて硬直。
「そっか。儒楠。よろしく。ねぇ、オレと一緒に来ないか?ここにいるよりは幸せにするし、なんとなく、儒楠は強い力を持っていると思うから後々助け合えると思うんだ」
「・・・い、いいのか・・・?オレなんか・・・」
「確かに今はやっているこの病はやばい。でもオレは恐れないし、この通り治せる」
その言葉を聞いて儒楠は苦しそうに顔を歪めて小さくありがとうと声を漏らした。穂琥はやっと気付く。ここは儒楠と薪の過去の世界であるということが。だから触れることも声を届けることもできなかったのだと、ようやく気付いた。
「立てる?」
「たぶん・・・」
薪は儒楠に手を伸ばす。それを受け取って儒楠は立ち上がった。
「とりあえず今はオレの家に連れて行くことはできないから違う場所でもいいかな?」
「・・・両親が嫌がるか?」
「・・・・両親は、いない」
薪は酷く沈んだ声で言う。この時はすでにあの惨劇のあと、穂琥を地球に送った後だということがわかる。薪は自分の着ていたコートを脱いで儒楠に着せた。そして通りのほうへと歩いていった。
急に視界が暗くなったがそれに気付かず穂琥は思考する。この病は一体何なのか。そして今とは全然違う儒楠と薪。
「穂琥!穂琥!」
遠くで誰かが呼ぶ。ここは過去なのに自分を呼ぶ声がするはずない。
「穂琥!しっかり!」
「・・・・え?」
はっとすると成長した儒楠が少し心配そうな顔をして覗き込んでいた。
「あれ、おっきい・・・」
「え・・・あ・・・その。今は現在だよ。オレの過去を・・・見ていたね」
切なく笑う儒楠。それから険しい表情になって穂琥を無理やり立たせてベッドに横になっている薪を見せる。
「術は解けた。後は穂琥が・・・。頼めるよね?」
「もちろん!」
穂琥は気持ちを集中させて薪の治療に専念する。
どれだけ力を篭めて頑張ってもだめなときはダメなのだ。最善は尽くした。後は薪の生命力に掛けて待つことしかできない。ただひたすら・・・。
薪は未だに目を開けない。あれから随分経っているのだけれど。そんな薪の枕元で儒楠が小さな声を発した。
「病・・・って、知らないでしょ」
「え!?あ、うん・・・」
突然切り出した儒楠に穂琥は少しだけ驚いた。それでも気になっていたことだったので何も言わずそのまま儒楠の話の流れに乗った。
当時、4歳。不治の病というものが横行していた。薪が権力を握ってからそんなに経っていなかったということもあり、薪の意見をいくら愨夸といっても通ることはなかった。こんなに押さない状態で愨夸になどなれるわけもないということで。それで相当苦労していたらしい。そんな時代に流行った奇病だった。
その病に名前はなかった。その病にかかるとどこかしら身体に異常が発生し、後にそれが体をどんどん侵食していき終いには死んでしまう。
「病が眞匏祗を殺したんだ。世知辛いだろう?」
どこかおかしそうに言う儒楠。
感染症、とされていたため病にかかったものは問答無用で隔離された。死体からも移ると称されたためにあの過去であったように路地に死体が転がる羽目になった。そうして儒楠の両親も共にその病に倒れ、当然のように儒楠も病にかかった。子どもゆえ、働くことができない能無しと判断されて生きているうちにあの路地へ放り込まれた。
薪とであったのはそんなところに数ヶ月も放置されたあとだった。初めて薪と出会ったときはその偽善ぶりに反吐が出るかと思ったくらいだった。それでも薪はその病を見事に治して見せた。
「療蔚かと思ったらあいつ、戦鎖だぜ?療蔚でも治せなかったのに戦鎖である薪が治した。ある意味恐ろしかったよ」
クスリと笑う儒楠。こうして今儒楠が笑っていられるのは、薪のおかげ。そして自分たちの努力のおかげ。今、この奇病は存在していない。その理由は簡単。薪の言葉が世界を変えていった。
―オレに手を貸してくれないか。一緒にこの星から病を消すために
最初はなにを言っているのか漠然としすぎてわからなかった。それでも命を救ってくれた相手に対し、敬意を払わないのは眞匏祗として失格。故に儒楠はわからないなりに薪に着いてくことを決意した。そうしてあちこち走り回っているうちに、病はどんどん減っていき、最後にはなくなっていたのだ。それに気付いたとき、儒楠は両親が病に倒れて以来、初めて笑った。心の底から。
「それ以来、しょうもないことで笑えるようになった。この恩は一生忘れない。そして一生を掛けても返しきれいない恩だと思っている」
もしかしたら薪のすごいところはそういうところなのかもしれない。親譲りの特異な眞稀の力でもなく、愨夸としての権力でもなく。ただ、その生きてきた道を平気で変えてしまえるくらいの勇気を与えてくれるそんな力。