第三十五話 キカン
はっとした穂琥は目の前の左嵐に視線を落とす。そして傷口を確認して大分よくなっていることを知ってからそっと左嵐に尋ねる。
「今のは・・・?」
左嵐は小さくクンと鳴いた。穂琥を心配するように鼻先で穂琥の右手を軽く突く。
「大丈夫。あなたも、大丈夫だよ」
洞窟の中に右嵐の声が木霊する。振り向くと右嵐と左嵐をつれた儒楠だった。
「あ・・・あの・・・」
穂琥は先ほどの左嵐から伝わってきた映像を、過去を儒楠に話した。
「特徴はどんだった?」
「え?どうして・・・」
「その男女がこの左嵐を密猟しているものたちだ。ねぇ、穂琥。誄洲のところで薪は穂琥に助力を頼まなかっただろう?穂琥ではなく、オレだった。それがなぜかわかる?」
「え・・・?」
突然儒楠が真剣な表情でそう言ってきたので穂琥はひどく戸惑った。
「それは術を通じて相手の過去が伝わるからだ。その術を行使するもの次第で強弱とか変わってくるんだけどね」
誄洲のところで術を行使しようとしたとき、薪は己のその流出を抑える自信がなかった。むしろ、できないと判断したのだろう。その映像を穂琥に見せることを拒否したのが原因だ。現にその映像を見た儒楠は酷く落ち込んだ。それと同時に薪も。だからそれを穂琥が目にしてしまっては・・・・。決してならないことだった。
まだ残っている右嵐と左嵐がいる。それを探しに行かねばならないので儒楠は洞窟を出る。穂琥も怪我をした左嵐をほうっては置けないが、この森に散らばっている右嵐や左嵐も気にかかるため、ここに残して穂琥は洞窟を出ることにした。
大理石がぶつかるような澄んだ音が穂琥の耳に届いた。この足音は右嵐ではない。だとすると同属の左嵐だろうか。穂琥は辺りをきょろきょろさせながら音の主を探す。そして木陰から現れたのはやはり左嵐だった。ただ、酷く警戒している。穂琥の身にしみた左嵐の血に反応しているのだとすぐにわかった。
「ち、違うのよ!?この血は確かに左嵐のものだけど!決してあの子を傷つけたわけではないのよ!」
必死で手を前に出して言う。左嵐は警戒しながら近寄ってくる。穂琥は極力自分から動くことはしないようにした。そうしてそっと近寄ってきた左嵐は穂琥の右手に鼻をくっつける。臭いをかいでいるように思えた。そして、穂琥ははっとした。
「あの子の・・・匂いがするの・・・?」
クンと鳴く左嵐。どうやら穂琥を敵ではないと判断してくれたようだった。ほっと胸をなでおろして左嵐を連れてそのまま他の子達を探しに行くことにした。
日が沈みかけて辺りがほんのり暗くなってきた。穂琥は左嵐と右嵐を数頭連れて洞窟に戻った。するとたくさんの右嵐と左嵐に囲まれている儒楠がいた。
「あぁ、穂琥。お疲れ。えっと・・・あぁ、コレで最後だね。良かった」
これで最後。この洞窟の中には数十頭ほどしかいない。たくさん、だと思ったがこれでこの種族全ての頭数だというのなら少ない。ここまで数が激減してしまっている事実を知って悲しさを覚える。そしてそれを知った薪がどれほど悲しみ怒るだろうか。
城に戻り、右嵐たちを保護し終わった儒楠と穂琥は部屋に戻って今日一日の疲れを癒す。こうして静かにしているとどうしても薪のことを思考してしまう。いつ帰ってくるかわからない己の兄に、不安を募らせる。
「大丈夫。ここは落ち着いて待つしかないよ。ちゃんと戻ってくるってね」
「なにを根拠に?なにを根拠に戻ってくるって言えるの?」
口調が少し荒れてきた穂琥に儒楠はそっと微笑みかける。
「じゃぁ、穂琥はなにを根拠に薪が帰ってこないかもしれないと思うんだ?ないでしょ?それはオレも同じ。根拠なんてそんなものはない。だったらオレはアイツの可能性を信じる。戻ってくると、ね」
儒楠はそう言って部屋を出て行った。儒楠も結局薪と同じ。自分には全く適わない強さを持っている。羨ましくてしかたがない。そしてその強さに嫉妬さえする。自分はどうしてこんなにも弱いのか穂琥は遠い星空を見詰めながらひたすら考えた。
果たしてどのくらいの時間をすごしただろうか。かれこれもう一ヶ月は経っているかもしれない。それでも薪は帰ってこなかった。穂琥はあまりの不安に胸が苦しくて今にもつぶれてしまいそうだった。どれほど儒楠に諭されても不安に思ってしまうのは心のある証拠だ。仕方のないことだ。
「アイツは生きているよ。絶対にね」
「・・・どうして・・・そんなに言い切れるの・・・?」
儒楠は一度穂琥を見てから視線を落とした。そしてどこか言いづらそうな声で穂琥に伝える。
「穂琥と薪は繋がっているんだよ。詳しいことは言えないんだけど。薪に直接いえって言ってあるから。でも穂琥が生きていることが薪の生きている証になるんだ。それは事実だ」
儒楠は自信を持ってそういう。ここはその言葉を信じるしかない。穂琥は力の入っていた肩からその力を抜く。その刹那、儒楠が勢いよく立ち上がったので穂琥は驚いて目を見開いた。そして小さな声で呟いて突然走り出した。
「じゅ、儒楠君!?」
なにが起きたかさっぱりわからないけれど確実に儒楠は今、薪の名を呼んだ。もしかしたら・・・。穂琥は急いで儒楠の後を追った。
儒楠が立っているのを発見したのは裏門のすぐ手前の広場だった。体力が段違いでそこについたとき穂琥は息が上がって苦しかったが、儒楠はそんな色全くなく、空を見上げている。
「儒楠・・くん・・・?」
「来る・・・」
「え?」
儒楠は地面に平行に手を伸ばすとその手から赤い光が放たれた。そして地面が同じ赤い色で光った。そしてその光に何かが勢いよく突っ込んできた。土埃が舞い一時、視界を奪われたが儒楠の声で穂琥は見えないなりに足を進めた。
「薪!」
土埃が収まって儒楠を発見すると薪を抱えていた。穂琥は急いで薪の元に駆け寄る。
「薪!しっかりしてよ!薪!ねぇってば!」
「落ち着きなって・・・」
「そんなこと言っている場合じゃないよ!意識が・・・薪は・・・!?生きているの!?」
「だから・・・薪は・・」
「しっかりしてよ!薪!」
「・・・落ち着けって!!」
儒楠の怒号ではっとして穂琥は黙る。和んだ目をした儒楠がそっと穂琥に言う。
「コイツは死んでない。とにかくここにいても何もできない。城の中に運ぶ。いいね?」
「・・・うん」
儒楠は薪を抱き上げると急いで医務室へ向った。
医務室では騒然とした空気が流れていた。立て続けに愨夸を意識不明の混沌状態に陥れてしまった長夸や役夸の落ち度に身を震わせていた。
薪を相手にするのなら同じ血の流れている、同じ力を有している穂琥が最適。儒楠は穂琥に薪の治療を施すように頼んだ。それに同意して穂琥は薪の体の上に手を置いてすぐに離してしまった。
「できない・・・。私じゃできなよ・・・・」
傍に居た長夸が不安そうな表情で薪を見ると、どうやら術中に落ちてしまっているようでそれを解かぬ限り、穂琥の眞稀は届かない。
「・・・わかった。穂琥。力を貸して。オレが術中から薪を開放する。オレだけじゃできない。穂琥も、援護して」
「・・・うん」
強く頷く。薪の額に儒楠が手を置く。そして穂琥がその上に手を重ねる。そして儒楠は眞稀をものすごい勢いで練り上げる。おそらくコレが儒楠の全力なのかもしれない。だから穂琥も全力を掛けて眞稀を儒楠に注ぐ。そうしているとだんだん体と魂が分離していくような感覚に陥っていった。