第三十四話 トラワレ
たどり着いたのは以前薪と来たところとはまた別の森。薪と一緒に行った森はどこか神聖な感覚を得たが、この森は神聖というよりは原始。動物たちがありのままで生きているようなそんな場所。故に足場が不安定で体制を保つのが少し苦労だった。
「あまり踏み荒らさないように気をつけてな。大切な植物とかもあるから」
「うん、わかった」
ここにいるのは数少ない希少動物と呼べるものだ。そしてその動物たちの数が激減してしまって数が相当少なくなってしまっている。昔、薪がその動物たちを守るためにこの森に立ち入ることを禁止にした。
「それなのにどうしてそんなに減ってしまっているの?普通、守られているのなら増えるでしょう?」
「それがね・・・」
儒楠は言葉を切ってひどく警戒した表情をした。それからそっと穂琥の肩に触れて木陰に隠れる。その儒楠の扱いの優しさに薪とは違うものを感じてどこか嬉しくなる穂琥だった。
「右嵐・・・だな、この足音」
コツンコツンという足音が聞こえる。ここは森で地面は土。にもかかわらず蹄が響くような硬い音がするわけがない。しかし、これがこの右嵐という動物の特徴である。
「向こうもこっちに気づいているみたいだね」
儒楠は警戒した声を発する。薪だったらどうするだろうかと儒楠は相談を持ちかけてきたので穂琥は必死で薪ならどう行動するか考えた。そして思うに薪の行動だと今のこの状況では全く意味を成さないということを嫌でも思い知らされる。
「参考にならないな・・・」
「え?」
「薪だったら普通にその右嵐という動物と交渉始めちゃうから・・・」
「あ・・・そう・・・」
普通の神経を持っているものでは警戒心の高い野生の動物に近づくことすら難しいというのに。ちなみに右嵐という動物は動物の中でも警戒心の一段と高い生物だった。仲間意識が高く、敵とみなした相手には牙を向く。右嵐には強固な眞匏祗の魂石ですら砕く力を有している。だから儒楠はひどく警戒しているのだった。
「交渉・・・ね。仕方ない・・・。とりあえず行ってくるからここで待っていてね」
「うん。気をつけてね」
「ありがとう」
顔が薪に似ているのにどうしてここまで性格が異なることか。肉親ではないということもあるのだろうが優しい扱いに慣れていなくて恥ずかしくなる。
沈黙が長く続いて後ろから草を踏む音が聞こえて振り向く。
「あら、儒楠君。ずいぶん毛深くなっちゃったねぇ?なんだか喋り方もおかしいよ?大丈夫?」
「大丈夫って聞かないといけないのは穂琥の頭のほうだよ」
不可思議な動物の影から儒楠が顔を出す。そしてこの動物が右嵐だと教えてくれた。黒灰色に橙の角が生えた背の高い鹿のような動物。その可愛さに見惚れていると儒楠は小さく笑う。
「見た目はね。でもさっきも言ったけど結構凶暴な動物なんだよ。穂琥が叫ばなくて安心したよ」
ただ単に頭が単純なだけなのかもしれないけれど。
「動物だもの。初めて会った子に対して叫ぶようなことはしないよ。薪に鍛えられているようなもんだけどね!」
「いや、それでもすごいや。オレだったら驚いてしまいそうだなぁ~」
「そんなの良いじゃない!人それぞれだよ!あっ!」
突然叫んだ穂琥に儒楠は驚いて穂琥を凝視する。
「い、いや・・・」
言いよどむ穂琥に首をかしげる儒楠。穂琥は今、『人』と表現した。眞匏祗は極度に人間を嫌う。薪に嫌というほど叩き込まれたというのに、癖というのは恐ろしい。眞匏祗である儒楠の前でそれを発言してしまった。しかし、そんな焦った穂琥とは裏腹に儒楠はその言葉に対して反応を示していない。
「私・・・人って・・・」
「あぁ、そのことか。まぁ、確かに普通の眞匏祗なら怒るな。でもオレは平気だよ。過去に地球に足を運んだことがあってね。接触をしているから嫌う存在ではないということは知っているよ」
儒楠のその言葉にほっと胸をなでおろす。人も眞匏祗も同じようなものだ。悪い奴がいればいい奴もいる。現に実際過去に薪を死のふちまで追い込んだのは眞匏祗だったのだから。
痺れを切らした右嵐が鳴き声を発する。儒楠が宥めに入る。
「ごめん、ごめん。落ち着いて。今から城へ連れて行くからね・・・。保護のためだから許しておくれ」
「城へ・・・?」
儒楠は頷く。数が激減してしまったこの動物をこのままここで放置するわけには行かない。そもそも数が激減した理由は密猟。禁止したこの森に立ち入り、この右嵐を狩っていることが原因。
「右嵐。教えてくれ。左嵐はどこにいるんだい?」
右嵐の美しい声が迸った。天高くどこまでも美しく荘厳なその声に穂琥は一時聞き惚れた。そして儒楠の言葉が頭に入ってきて疑問を投げる。
「さらん?」
「そう。右と左。二つで一つ。それがこの動物、『嵐』(らん)なんだ」
「なるほど」
右嵐が歩き出す。おそらく左嵐の元へ案内してくれるのだろう。こつこつと響く音を聞きながら穂琥と儒楠は右嵐の後を着いて行く。そうしてたどり着いた洞窟の手前。突然儒楠が足を止めた。
「薪が見たら・・・悲しむだろうな」
悲しそうにそう言った儒楠の腕を右嵐は自分の頭の上に乗っけてその洞窟の奥にいる左嵐を見詰めた。そしてそれを目にした穂琥は思わず口を手で覆った。
「酷い・・・!」
石の上で血まみれでぐったりとしている左嵐がいた。洞窟の奥で色はわからないが右嵐と異なり角が小さかった。
「奴らから逃げようと・・・。穂琥、治せるか?」
「うん!任せて!やってみるから!!」
「よし。右嵐。すまないが左嵐を治したい。奥に入れてもらえるか・・・?」
儒楠の言葉を得て右嵐は迷うことなく儒楠を受け入れた。信用してくれたようでよかったと胸をなでおろした儒楠。そして穂琥におくに行くように伝った。
出血している左嵐の傍に腰を下ろす。鼻をつく血の臭いで意識が飛びそうになった。随分と前からこの状態なのだろう。息も絶え絶えで、今にも朽ちてしまいそうなほどだった。
「大丈夫。今治してあげるから」
「できそうか?」
心配そうに儒楠が尋ねる。穂琥は強く頷いた。
「大丈夫。絶対このことは死なせない」
手に力を篭めて穂琥は強く言い切る。言い切らないと出来そうな気がしないから。そんな穂琥を見て儒楠は安心したように笑った。薪とやはり兄妹、似ていると言う。儒楠は怪我をした左嵐を穂琥に任せて、他の右嵐と左嵐を探しに行くと洞窟を出て行った。
穂琥は左嵐の傷口に手を近づける。そして意識を集中させて眞稀を練る。そうして左蘭の傷を癒す。その瞬間、穂琥の頭の中にどっと流れ込んでくるものがあった。
男女が話している姿があった。
「この生き物が左嵐ってことか?」
「えぇ、そうよ。コレは高く売れるものだからそれ以上傷つけないでよね」
不気味な笑みを浮かべる男女。アングルはしたからになっている。そこへ右嵐の声が轟いた。男女を蹴散らし右嵐は一度視界から姿を消した。すると視界はぐらっと動いてものすごい勢いで森の中を掛け始めた。そして洞窟の奥へ来ると動きは一切しなくなった。