第三十二話 シンユウ
城に戻ってからも薪と儒楠の間は重たい空気が流れている。一体何があったのか。あの術を行使している間に何かを見たのだろうか。
薪に呼ばれて部屋に入ると儒楠もそこにいた。長い沈黙の後、薪が儒楠に一つの質問をした。
「穂琥が・・・あの映像を見たらどう思うだろうか?」
「・・・オレでこんなにショックを受けたんだ。相当なダメージを受けるに違いないさ」
薪の事を見ないで儒楠は答えた。映像、といったからきっと先ほどの術を行使したときにやはり何かを見たのだろう。そしてそれはあまりに衝撃的で儒楠ですらもここまでの打撃を受けたのだろう。だが、穂琥としてはそんなことどうでもいい。何を見たとかそんなこと。ただ辛そうな薪の顔を見ているのが嫌だった。いつも飄々としている薪がよかった。薪は何かを伝えるために穂琥をここへ呼んだのだろう。しかし穂琥としてはそんなこと言わなくていい。ただ笑ってくれていれば良いんだと思う。特に、薪の過去の話しを聞いたときにそう強く思えた。過去なんて聞かなくて良い。過去を知る必要なんて無い。ただいまを楽しくあればそれで良いと。
「いいよ、もう・・・そんな・・・。私、もうそんな薪の顔を見ていたくない!」
「母上の想いでもあるから・・・・」
「いい!聞かない!もう、お母様はいないんだよ?!それなのにいつまでも引き摺っていても仕方ないでしょ!?」
叫んだ穂琥に今までに見たことないくらい鋭い眼光を放った薪に恐怖心を覚える。それから穂琥のほうへ歩み寄ってきた薪はその勢いを失わないまま穂琥の肩を掴んで後ろの壁にたたき付ける。そして薪にしては珍しいくらい声を荒げて叫ぶ。
「黙れよ!ぬるま湯に漬かりきっていたお前と違って昔のオレには母上しかいなかったんだよ!そんな母上の想いを抱いて何が悪い!」
あまりのその剣幕に言葉を失った穂琥はただ小さく震えていた。儒楠が薪の肩を掴んで必死で宥めている。
「し、薪!何をムキになっているんだよ!穂琥に対して牙をむいてどうする!」
儒楠の言葉を得て薪はそっと穂琥から手を離す。
「らしくない。こんなに取り乱したこと今までに無かっただろう」
それに対して薪は何も言わないで俯く。
「穂琥の気持ち、わからないお前じゃないよな。だからこそ逆に怒ったんだろう」
何も答えないことが肯定になったようで儒楠はため息をついていた。しかし穂琥にはその意味が理解できない。逆に怒ったとは?それを考える余裕を薪は奪った。俯いていた顔を上げてそっと穂琥の頬に触れる。その瞳は酷く弱く今の薪なら簡単に壊してしまいそうなほど儚かった。
「し、薪・・・・?」
「穂琥。すまない。でも、聞いて欲しいんだ。この先にも大切なことだからさ・・・。聞いて」
穂琥はそんな薪の台詞に言葉を失った。聞いて、なんてそんな言い方、今までに聞いたことも無い。それほど薪にとって、穂琥にとって大切なことなのだろうか。肯定を渋っている穂琥により一層大切に、暖かく触れる薪の手に穂琥は胸が苦しくなった。そして小さく頷く。
「ありがとう」
その言葉を述べてから薪が口を開こうとしたその時、扉をたたく音がした。タイミングの悪さに薪は軽く舌打ちをして扉を開けに行った。
穂琥と儒楠はその背を見る。
「薪のあんな顔・・・見たことある・・・?」
「いや・・・無い・・・」
長く付き合っている儒楠ですら見たことが無い。それほど追い詰められたその表情に穂琥はどうしたら良いのか心底困った。一体何があそこまで薪を落としてしまったのだろうか。可能性としては先ほど儒楠といっていた『映像』と言うものだが、一体それが何なのかを追及することを穂琥には許されていないだろう。
「おいおい・・・」
役夸と話をしていた薪が急に引きつった声を上げた。
「どうした?」
役夸と話を終えて戻ってきた薪に儒楠が尋ねる。
「出かける」
薪の顔が青ざめている。そして薪は儒楠を呼んで部屋を出た。残された穂琥は不安でいっぱいだった。
薪につれられて部屋を出る儒楠。
「なんだかやばいことになってね。今から少し出かけてくる。その・・・結構長いかもしれない・・・・。それに・・・帰ってこられるか・・・」
至極言いづらそうに語る薪を見て儒楠の中で激しく燃えるものがあった。
「ったく。『らしくないな』・・・って、一体ここに来てから何回言わせるつもりだよ。オレに知っている薪はこんなことで弱音を吐くようなやつじゃない。何も言わないで出て行く馬鹿だろうが」
儒楠の言葉で薪は逃げるように儒楠から目線をはずした。
「・・・でぇ?オレに穂琥の面倒を見ろと?」
「あぁ・・・。頼みたいんだ」
「本っ当に、らしくないな!いつものお前だったら何も言わないでオレに穂琥を任せている!一体なにがある!?」
ただひたすら黙り込んでしまっている薪に怒号に近い声を上げる儒楠。
「黙ることしか出来ないのか!?ふざけんなって!」
「オレは・・・」
弱く消えてしまいそうな声で言う薪に儒楠は苦しくて堪らなかった。先ほど見せられた映像は儒楠だけではなく薪も見ている。おそらく記憶がフラッシュバックしてここまで苦しい思いをしているのだろうけれど。壁にもたれて崩れるように座り込んだ薪の姿が居た堪れなくて目を離したい衝動に駆られるほどだった。
「オレは穂琥をこれ以上傷つけたくない・・・。こんなことすれば余計に傷つくことになるって言うことは分かっている。でも・・・オレにはそんな勇気も無い。周りが言うほどオレは強くない」
「・・・勇気、なんて言葉。お前でも言うんだな」
「・・・・うるせぇな・・・」
儒楠も腰を落として薪と同じ目線の高さにする。そして薪に伝える。穂琥がどれ程薪のことを想って、そして薪の思うほど子供ではないと言うことを。
「とにかく。お前は穂琥に対して隠しすぎだ。もっと言ってやれ。お前が想い、感じていることを。それを言ってくるのをあの子はずっと待っている。知らないとは言わせねぇよ」
「知っているさ。当たり前だろ。どれだけあいつのことを考えてきたと思っているんだよ」
「なら何で言ってやらないんだよ!?わかっているのなら!」
「わかるからこそだ。わかるからこそ、傷つくのを見るのが辛い」
「言ったら傷つく、言わなくても傷つく。なら言わないほうが良いってか!?ふざけんのも大概にしろよ!」
儒楠の怒号に薪は目を丸くした。怒りのあまりに立ち上がった儒楠をただ見上げている薪。そしてそれを見下ろす儒楠。
「穂琥は餓鬼じゃねぇぞ?お前、穂琥を馬鹿にしすぎだ!穂琥がどれだけお前のことを考えてお前のことを想っているか、考えたことあるか?!オレ達は人間と同じだ!心を持った生き物だ。お前だって愨夸なんて建前を持っちゃいるが実際そこらにいる奴らとなんら変わりない一個の眞匏祗だろ!?生きている限り、心を持っている限り、崩れるのは当たり前なんだよ!」
どんなに大切な時期に壊れてしまっても、それはもう一度築きあげればいい。自分の力で出来ないのなら仲間を頼ればいい。そうやって補い合ってこそ、心を持っていることに意味を成す。
「立て直そうと必死なのはわかるけど、結局薪は失敗しているんだ。お前は脆い。みんな脆いんだ。いいだろう?それで。だから数がいるんじゃないか。だから仲間が出来るんじゃないか」
ただひたすら黙って聞いていた薪がふっと目を伏せてそうかと声を漏らす。それを聞き取って儒楠は薪の心が揺らいだことを確信した。
「戻って来い」
「え?」
「出かけるんだろう?だから絶対に戻って来い。戻ってくるって約束しない限りオレは薪を外には出さない」
「・・・無理な約束はしねぇよ」
嘘をつかないために。出来ない約束をして何の意味がある。薪の主張を儒楠は真っ向から否定する。出来ないと決め付けてしまっては出来るものまで出来なくなってしまう。
「一回でいい。出来ない約束、してみろよ!出来ないと思ったことでも果たそうと努力してみろよ!したことあるか?無いだろ!」
出来ないと思ったことでも必死で死に物狂いでやってみれば出来るときがあるかもしれない。それに掛けるだけの価値はある。人間はそれが出来るのだ。眞匏祗のように眞稀が扱えるわけでもなければ生命力が強いわけでもない。それでもやりたいと願ったことは実現させる。早く走りたいと願って車を作った。空を飛びたいと願い飛行機を作った。たくさんの努力を積み重ねてそうやって願いを現実へと変化させることが出来ているのだから。
「人間なんかに、天下の眞匏祗、愨夸が劣るか?」
言葉を詰まらせた薪に儒楠は落ち着いた声で続ける。
「やってみろ。な?オレのために・・・そして何より穂琥のために」
目線を同じにして薪の肩に手を置く。互いの視線が合致する。そのときの薪の目には力が宿っている。これなら大丈夫だと儒楠はやっと安心する。そして立ち上がって座り込んでいる薪に手を伸ばす。そんな儒楠の手を薪はとり立ち上がる。
「儒楠。穂琥とオレは繋がっているんだ。だからオレは絶対に死ぬわけにはいかない。絶対に帰ってくる」
「・・・あぁ、行って来い」
力強く薪の言葉を受け止めて薪を見送る。きっと大丈夫だと信じて。