第二十四話 カバウ
耳の鼓膜が割れるかと思うくらいの轟音が鳴り響いた。その割にいつまでたっても身体に痛みが走らないので、穂琥はそっと目を開けた。身体に痛みが走る訳がなかった。薪が刀を取り出して眞稀をはじいたようだった。辺りが煙を上げて焦げている。どうやらはじいた余波がそこに当たって焦がしたのだろう。土である地面が焦げるほどの強い眞稀だったのだから、身体に当たったらどれ程苦しかっただろうか。
「し、薪・・・・?助けて・・・くれた・・・の?」
小さい穂琥の声は果たして薪の耳に届いただろうか。薪はただ黙って藍飛を睨んでいた。そして藍飛は愨夸の登場に少し不機嫌そうな顔をした。
「愨夸・・・」
「お前だろ、この前うちの役夸を斬ったの」
「さすが薪様。いつお気づきに?」
「悔しいがついさっきだ。強いから会ってみたかったんだけどね」
「お会いできて光栄ですよ、愨夸様」
「ふん。『様』は本当に相手を敬っているときに使うものだ。お前が使うものじゃねぇ」
薪の言葉からどうしてか怒りを感じない。穂琥は逆にそれが少し怖かった。怒りではなく、絶望だったらどうしようかと。
「これ、その子から頂きました」
藍飛は魂石を薪に見せる。そして薪はそれを見て小さくため息をつくと、知っていると答えた。少し驚いた藍飛と酷く驚いた穂琥。
「返してもらうよ」
「簡単には返さねぇよ。眞稀を生成する源である魂石を持っていない貴様に何が出来る?」
いきなり言葉が荒れた藍飛に穂琥は言葉すら出なかった。これがきっと藍飛の本性なのだろう。
「よくもまぁ、オレの大事な妹を誑かしてくれたもんだね」
「へぇ、気付いていたのか。いつからだ?」
「ふん。これもついさっきだ。全く悔しいな」
「術で惚れさせるのは難しいんだが、案外簡単に出来たよ」
「オレの妹は単純なんでね」
「へぇ」
にやりと笑う藍飛と背中しか見えない薪。術で惚れさせる?ならば自分は藍飛によって強制的にそう言った感情を与えられていたということか。何だかそれが悲しくて切なくて泣きたくなった。たったそれだけの術で薪の魂石を渡してしまうまでにいたるなど、自分の浅はかさに絶望する。
地面を蹴ったのは藍飛のほうだった。薪は右手に刀を構えて飛んできた藍飛を高くはじき上げる。宙を舞う藍飛は笑った顔をしている。体制がまともに整っていない状態にもかかわらず構わず次の眞稀を打ち放つ。振り上げた状態であった薪はそのままの勢いで刀を振り下ろしてその眞稀を弾く。眞稀は弾かれた際に小さな爆発を引き起こしたが、その爆風はあっという間に薪の刀に吸い込まれて消えた。
「へぇ。一つの家を簡単に壊せるくらいの破壊力があるのに、よくまぁ、そんなに簡単に弾いてしかもその爆風まで消してしまうとは。今の愨夸は末恐ろしいねぇ」
「お前、一体何歳だよ。それに簡単に見えるならお前の目は節穴だ」
「はははは!よく言うな!」
激しい交戦をしながら薪と藍飛は会話をする。その攻防の仕方が尋常ではない。普通ならもうとっくに終わっているくらいレベルが高い。見ているだけの穂琥ですら息が上がりそうになったくらいだ。そう言ったことが辛くて目を伏せる。だけど、それに気付いた薪が、穂琥の前に立って言う。
「穂琥。これが実戦と言うものだ。眼ぇ、開けてよく見ていろ」
薪にそういわれて震えながらも伏せた眼を開ける。苦しく思いながらも自分が引き起こしてしまったこの事態をその眼に収める。
薪の本気の戦闘を始めて目の当たりにして、穂琥は言葉を失う。いや、別に薪の、と言うわけではない。眞匏祗同士の争いを始めてみて、ここまで恐ろしいものなのかと眼を疑った。一歩も引かないその攻防戦に果てしない時間を要しているような気がした。一瞬一瞬がとてもスローに流れているようで。しかし、その時間は本当に一瞬で穂琥の目の前から過ぎ去っていく。眞匏祗同士の本気の命を掛けた争いとはきっと、こういうものなのかと握る手が震える。
その戦いを震えるように見ていた穂琥は今、薪が本気で戦っていないことに気付いた。どうして本気を出さないのか、疑問に思いながらもそんなことを考えている余裕はどこにもなかった。
「穂琥!」
薪の叫ぶような声が耳の奥で木霊した。あまりの情景に眼に入った映像を脳まで伝達されていなかった。巨大な眞稀の塊がこちらに向ってきているのが薪の声でやっと認識した。その大きさは確実に避けるなり防ぐなり出来るものではないことを一瞬で悟る。視界の中に必死でこちらに向って走る薪の姿が見えた。
―あぁ、薪。私なんかのためにそんなに必死にならないで・・・
遠いところでそんなことを思って穂琥は眞稀の爆風に身体を飛ばされた。
地面にたたきつけられて穂琥は咳き込んだ。しかし、地面に激突した体の痛みはあっても眞稀による痛みはおそらく無い。はっとして焦って眞稀が飛んできた方向に顔を向ける。小さくうずくまる薪の背中を見たとき、穂琥の中で何かが弾けとんだ。
「薪!!」
痛む身体を無理に起こして駆け寄ると薪は右腕から信じられない量の血を流していた。軽く息を切らしている薪を見て穂琥は心底恐怖した。薪がこんなに傷だらけになるなんて。
「強いなぁ・・・」
「そ、そんなこと・・・!言っている場合じゃないでしょ!?治さなくちゃ!」
穂琥は慌てて薪の腕を治療しようとしたが、薪にそれをとめられた。
「止めとけ。今の、お前じゃ。オレを、治すなんて、無理だ」
途切れ途切れに薪は言う。
「今の、お前は、スカスカの状態だ・・・。そんな、荒れた眞稀で、治せるほど・・・俺の体は柔じゃない」
薪の言葉が胸に刺さる。言っている意味がよくわかる。心の問題だ。今の穂琥は酷く不安定。そんな不安定な状態ではこんな酷い怪我を治せるほどの眞稀を練ることなど出来ない。爆発で舞った煙の向こうから藍飛の冷たい声が聞こえた。
「自ら辺りに行くなんて愚かだね。そんな弱い奴、そのまま殺してしまえば良いのに」
「大事な妹だ。護って当然だろう」
土埃が落ち着き、視界が少しクリアになる。藍飛のにやりと笑う気味の悪い笑みが確認できた。薪の右腕をつぶしたことで勝ち誇っているのだろう。
「いくら愨夸といえど、今のをまともに喰らってはキツイだろうな?庇わなければどうにかなったかもしれないのに」
「だから、うるせーよ。護りたいと思った奴を護って何が悪い」
「そんなこと言っているといつか死ぬぜ?」
「ふん。所詮オレらは生には抗えず、死にも抗えない。生きとし生けるものはいずれか死ぬ。だったら自分に嘘のねぇようにオレは生きる」
薪の言った言葉に藍飛はくだらないと吐き捨てる。藍飛は強く地面を蹴り薪にめがけて刀を振るった。