第二十二話 オモイ
部屋に戻ってみると、誰もいない。薪はどこへ行ったのか思案してもわからず、とりあえず薪の名前を叫んでみると、真後ろからうるさいと呆れた声が聞こえた。
「あ、薪。どこ行っていたの?」
薪は少し視線を落して少しね、と答えをはぐらかした。そのはぐらかし方と薪の表情。穂琥は合点がいく。
「ははーん。お母様のところだ!」
そういうと、薪はそれなりに驚いた表情をした。まさか鈍感な己の妹に気付かれるとは思ってもいなかったようだ。ほらね、とニヤついた穂琥を見て、見抜かれたことで悔しそうな顔をしてため息をついた。少しだけ薪のことを理解できたような気がしてなんだか嬉しくなった穂琥だった。
日がまだ弱く、午後を知らせるには高さが足りなかった。そんな日和に、表門に少年がやってきた。
「許可書が無くては中には入れないぞ?」
役夸がその少年に言うと、少年は面白そうな表情をして懐から許可書を取り出した。役夸がそれを確認すると、少し怪訝そうな表情をした。ほんの少しだけ許可書が違う。偽造かと疑うと少年は首をかしげた。
「そんなはずは無いよ?あぁ、もしかして新入り?」
「そ、そうだが・・・?」
「だったらこれを知らないかもしれないね?」
少年は零れんばかりの笑顔で役夸に言う。特別な許可書で最近導入されたものだと言う。役夸の記憶の中にも確かにそのような許可証はあったので、納得してその少年を中に入れた。
薪は相変わらず忙しそうに愨夸としての責務をこなしていた。穂琥は特にやることもなく、暇をしているとその暇を見て、薪が頼みごとをしてきた。
「悪いけど、その束を運んでおいてもらえるか?」
薪が指差した先には何百枚あるのか知れないが、書類の束があった。結構な量だが、もてないほどでもないので、穂琥はそれを了承して持ち上げる。薪にどこに持っていくかを聞いて、穂琥は部屋を出た。
仁書斎という場所に持っていくことになったので、そこに向って足を急がせていると、一祇の少年を見かけた。なにやら辺りを見回しているようで迷子にでもなったのだろうか。穂琥は自分と同じ境遇になっているのかと思うと何だか面白くなって小さく笑った。と、笑うと同時に手から力が抜けて書類を半分以上床にばら撒く。穂琥は全身が冷えるのを感じた。これは薪に殺される。慌てて拾い集めていると、先ほどの少年が駆け寄ってきて書類を集めるのを手伝ってくれた。
「大丈夫ですか?これで全部ですね」
にこやかに笑った少年は紙の束を持ちながら辺りを確認していた。
「あ、ありがとう・・・。助かりました」
「いいえ。あれ?そういえば・・・その、服装・・・・もしかして愨夸!?」
自分の服装を少しだけ見て薪の格好を思い出して確かに同じような服装だと気付き、そして焦っている少年を見て可笑しくてぷっと吹き出す。
「わ、笑わないでくださいよ!」
「ごめん。でも女の子が?愨夸になんてなれるわけ無いじゃない。私は妹のほうだよ」
「い、妹・・・?そ、そうですか。いや、失礼いたしました」
「いいの、気にしないで。あ、書類、ありがとう」
少年が持っていた束を受け取ろうとすると差し支えなければ手伝うと言ってくれたのでそれに甘えて手伝ってもらうことにした。
仁書斎に向かい、足を進めた。
「ところで貴方、名前は?」
「申し遅れました。アオヒ=ダルク=ディアンです」
「アオヒ。あお・・・」
「藍飛です」
微笑んだ藍飛に穂琥も微笑み返す。そして藍飛は持っている紙の束を見ながら口を尖らせた。
「これを運ぶように頼んだのは誰ですか?随分使いが荒いですね」
「そんなこと無いわよ」
「いえ、女性にこんな量を持たせるなんて・・・」
「じょ、女性だなんて!」
普段から餓鬼だ何だと罵られているためその単語にどうしてか照れてしまって藍飛の足を蹴り飛ばす。そしてバランスを崩した藍飛は書類を宙に舞わせた。
「わー!ごめん!」
叫びながら再び書類をかき集めることになった。
やっとのことで集め終わるとさっさと運んでしまおうと、足早に仁書斎へ行き、書類を片付けた。そのまま藍飛と話しながら行くと階段のところで行き先が分かれたのでその場で立ち話をすることになった。
「いつまで何しんてだ!」
いきなり後ろからド突かれて自分がどれだけ長話をしていたか気付く。振り向くと若干キレ気味の薪が腕を組んで立っていた。
「あ、ごめん・・・・」
「今日は会議だって・・・、誰だ、そいつ」
「あ、藍飛。さっきそこで会ったんだ」
「藍・・・飛?」
怪訝な表情をした薪に穂琥は軽く首をかしげた。藍飛も藍飛で薪を誰であるのか理解できなかったらしく、穂琥にそっと誰かを訪ねた。
「あ、お兄ちゃん」
「お兄・・・。はっ! 愨夸!? これは申し訳ありません。アオヒ=ダルク=ディアンと申します」
礼儀正しく藍飛が自己紹介すると薪は冷たくそうかと言い放ち、会議があるからすぐに来るようにと念を押すとさっさと歩き去っていってしまった。
「あの方が・・・今の愨夸。素晴らしい・・・」
「そうでしょ?さっきの書類も薪が頼んできたんだけど、もっと色々大変な思いしているからあれくらいなら運びたいな、って私が思ったからいいの」
「そうでしたか。あ、会議、でしたね。遅れてしまっては大変です。行ってください」
「うん。 あ、また会えるかな?」
「はい、きっと」
微笑んだ藍飛の表情に穂琥は熱を覚えた。それから急ぎ足で会議室へと向った。
遅刻することなく到着し薪に怒られることは無かったのでほっとして席に着いた。それから思考を巡らせる。藍飛とはこっちに着てから初めて会ったけれど、ここで働いている眞匏祗だったのだろうか。それとも何か用事があってここまできたのだろうか。そんな思考をしていると、どんどん熱を増す。それが異常に思えて穂琥は自分に何が起きたのかわからなかった。
「穂琥!」
突然大きな声で名前を呼ばれて驚いて顔を上げると、呆れた薪の表情が目の前にあった。
「オレの言ったこと、聞いていたか?」
周りを見ると驚いた表情の役夸と長夸がいた。そしてそれに恥ずかしくて顔を赤くしてうつむいて小さく首を振った。
「出な」
少しの沈黙の後、薪が言った。とりあえず部屋に戻れという。穂琥ははっとして必死になって薪に訴える。
「ご、ごめん!私!!あの、次はちゃんと聞くから・・!あの・・・」
「落ち着け」
薪はそっと穂琥の頭に手を置く。それから優しく目元を和ませる。
「別に怒って言っている訳じゃないよ。ただ・・・。いや、いい。とにかく落ち着いて来い」
「ごめん。そうする・・・」
穂琥は席を立って部屋を出る。自分が何をしたかよくわかっている。むしろあそこで薪が怒らなかったことのほうが意外で仕方ない。それにしても自分の不甲斐なさにため息が出た。迷惑を掛けたことに申し訳ない謝罪の気持ちでいっぱいになった。
部屋から追い出した穂琥の後を見て、薪はため息をつく。
「何なんだ。いつもボケッとしている奴ではあったけど」
呆れながらに言った薪の言葉に長夸がニヤつきながら言う。
「わかりませんか?」
「まぁ、薪様にはわかりにくいことですがね?」
「何だよ」
やたらと楽しそうに笑う長夸に、少し不機嫌そうに答える薪。そしてそのやり取りを見ている役夸はきっと肝が冷える思いなのだろう。
「アレ、ですな」
「そうそう。薪様。穂琥様は所謂アレですよ」
「あれ?何だそれ。はっきり言えや、はっきりと!」
「あら、お怒りですか?」
「うっせーよ!」
不機嫌度が増した薪にさも可笑しそうに笑う長夸たち。立場的には確かに薪のほうがはるかに上になるが、ここにいる長夸たちは薪の意向をよく理解しているものたち故、あまり敬いすぎる態度はとらない。根本的に薪よりはるかに年上であるわけだから本来なら薪のほうが敬うべきだと薪の主張があったが、それを差し引いてもまだ、『愨夸』という名を上回ることは出来ないということで、今の状態に収まっている。
「なんだよ、アレって!」
さすがにこれ以上はぐらかすと本当に怒りそうだったので長夸たちは小さな声で楽しそうににやけながら教えることにした。
「アレ、です。薪様。『恋』ですよ」
「鯉?」
「恋です」
「アイツが?」
衝撃的だったのか珍しく言葉を勘違いしてから薪はより怪訝な表情をする。
「薪様。穂琥様とて女性ですから」
どこか納得していないような気配を漂わせながら薪は興味がそがれたらしく、話を元に戻すことにした。
「すまないな、役夸たち。続きだ」
冷や冷やとしていた役夸たちはやっと正常の空気に戻って一安心したようだった。
会議が終わって部屋を出ると、薪は少し驚いた。部屋に戻したはずの穂琥がまだそこにいたからだ。
「なに・・・」
しているんだ、と尋ねようと思ったが、穂琥の前に藍飛がいたのが目に入って、立ち話に花が咲いたのだと気付いた。穂琥のほうも会議が終わる長い時間を話し込んでしまっていたことに気付いたらしく、藍飛と分かれることにして薪と共に部屋に戻ることになった。
部屋に戻っても穂琥はやたらと熱そうに手で顔を仰いでいた。そして穂琥から藍飛が好きになってしまったかもしれないという告白を受けた。
「あっつい!ちょっと風に当たってくる」
穂琥はそういってベランダに出る。その後を薪も追う。
「あ、薪も来たんだ」
穂琥のその言葉に曖昧な返事をする薪。それから薪は神妙な面持ちで穂琥の隣に立った。
「どうしたの?嫉妬?」
「なわけ無いだろう。何に嫉妬するんだよ」
「ですよね」
過保護、とまではかないなりに大切にしてきた妹を捕られるかもしれないということで嫉妬でもしたのかと思った穂琥は小さく笑う。
「じゃぁ、何?」
何か考え込んでいるように見える薪に珍しいこともあるなーと、思う穂琥だった。
「いやさ、他者の恋路を邪魔する気ィはねぇけど・・・さ」
言いにくそうにどこか重たく淀む薪。
「その。アイツは止めとけ」
何を言い出すかと思えば、そんなことか。穂琥は思わず噴出した。
「なにそれ!アハハ!やっぱり嫉妬?私、藍飛好きだもん」
言い切った穂琥にそうか、と小さく言った薪はベランダから出て行った。まさかあの薪が、妹離れが出来ない状態なのかと一瞬思ったが、まさかね、とその考えを外に追いやる。