第二十話 ヘンカ
薪は窓の外を見詰めたまま動かなかった。空には満点の星が広がっている。果たして薪の瞳はそれを写しているだろうか。
その背を見て穂琥は震える。身体を動かすことも、瞬きすら出来ずにただただ薪の話を震えて聞いていた。自分の発言の浅はかさに吐き気を覚える。薪のほうが断然辛く、苦しい思いをしていたことに、いや、していることに気付くことが出来なかった。知らぬ間に流れていた涙をぬぐうことすら出来ずにただ呆然と震えていた。
「まぁ、あの時の話はこんなもんだ」
穂琥の涙に気付いた薪がその涙を拭いながら言った。穂琥は固まって動かない口を無理に動かして声をだす。一度目の言葉を薪は聞き落した。
「何?」
「おかしいって言ったの!何で薪だけそんなに苦しまなくちゃいけないの!?どうして・・・!なんで・・・・」
あまりの苦しさに言葉が続かない。しゃくりあげて呼吸すらまともに出来ない。そんな穂琥を優しく包む薪。その薪の声はとても穏やかだった。
「それが定めなんだ。オレの運命だ」
「おかしいよ!そんなの・・・そんなのって・・・」
「でも、今は幸せだよ」
薪のその言葉に穂琥は目を見開いた。
「穂琥がいる。仲間がいる。人間の友だっている。眞匏祗のこの世界を少しずつだけど変えることが出来ている。今は、良い方向に向いている。いいんだよ、それで」
薪の声が耳に入る。それがどうして苦しく思えた。きっと薪が己の感情を抑えているからなのだろう。
「もう、終わった、過ぎたことなんだよ」
「薪は、それでいいの!?それで!だって薪は・・・」
「良いといっているんだよ!」
薪の怒号。穂琥はびくっと震わせて萎縮する。
「オレだって必死にそう考えているんだよ。いつまでも引き摺っていたら愨夸なんか勤まらないんだよ!」
薪の声がわずかに震えていることに気付き、さらには薪の瞳が少し潤んでいることにも気付いた。自分の感情を押し付けたことを穂琥は後悔する。詰まった声で謝罪を述べる。それを聞いて薪も落ち着いたらしく、小さな声で謝罪する。
「悪い・・・。大声出して」
薪はそっと穂琥を抱きしめた。その温もりを感じて穂琥は、本当にこれで良いんだと納得した。今、こうして薪が護りたいと思うものが目の前にあってそれを大切にしている。それでいいんだと。
そっと薪は穂琥を離してもう寝たいから部屋を出て行って欲しいと頼む。それを断る理由もなく、穂琥はただ頷いて部屋を出た。
穂琥が部屋を出て行ったことを確認した薪は小さくため息をついて、窓の外を見る。何もせず、ただ眺めるだけ。穂琥が今の話をどう受け取ったかは分からない。つい感情的になってしまったことを悔やみ、穂琥に対する精一杯の謝罪の気持ちで薪の心は埋まる。
穂琥は自分の部屋に戻って布団に顔を押し付けてひたすら涙を堪えた。 どうしたら良いのか分からない。あんなつらい過去を背負って今まで生きてきた薪。自分は本当に薪を救うことが出来るのだろうか。手助けできることがあるのだろうか。自分は一体どうしたらよいのか。今は亡き母にその解を求めても返ってくる答えなどありはしなかった。
翌日、城の規則として定められている起床時間6時が来たために穂琥は眠い目を擦りながら起き上がる。考え事が祟って3時間程度しか眠っていない。ふらふらと廊下を歩いていると前から声がした。
「随分、仏頂面だな」
「し、薪・・・」
「何だよ。オレだって寝不足だよ。まだ30分しか寝てないからな。これからは愨夸権限利用して起床時間自由にしようかな」
内心、薪と少し顔を合わせ辛い気分でいた穂琥としてはこんな風に話を進めてくる薪に少し感謝する。こういう点においても薪ははるかに穂琥より大人だと実感する。かといってそれに対し、劣っているからといって恥じるつもりも無い。なんたって薪はそういうやつだから。
「さて。あと4日だな」
突然薪が思い出したように言ったので驚いて首をかしげる。それに気付いた薪はアムのことだと教えてくれた。穂琥も思い出した。この城へ侵入してきて薪にあっさり捕まった眞匏祗。城にいるようにといわれていたけれど、確かに今どうなっているのだろうか。薪に愨夸が変わってから房は使われていない。だとすると、一体どこで監禁なり拘束なりをしているのだろうか。
「一見百聞にしかず?見たほうが早いよ」
薪は突いて来いと言って歩き始める。その背を穂琥はいつも追いかけるだけ。そう、いつも。
廊下の角を曲がって目にした光景に少し穂琥は面食らった。あの、アムが一生懸命清掃をしていた。
「え・・・何しているの、あの人・・・」
「人ね」
「あ・・・・」
眞匏祗と人間は違う。そして眞匏祗は人を嫌う。薪の前なら良いが、決して人として扱ってはいけないことをすぐに忘れてしまう。だから、本来なら、眞匏祗を数えるとき、一人二人ではなく、一祗、二祗ということになる。
アムが掃除をしている姿を目にして驚いているが、薪はそれを平然と見ている。
「城を一週間、掃除するのってかなりきついんだぜ。わかるだろ?」
「いや、分かるけど・・・。それだけ・・・っていうか」
「あぁ、そうだ。オレは前愨夸とは違う。んな惨いことしねぇ。どうせ罰するんなら城とかの役に立つほうがいい」
薪は笑いながら言う。だからといって一度、罪を犯して侵入してきた悪党をこんな自由に清掃させていてよいものか。
「ないな」
薪は言い切る。逃げるなと言伝てあるから平気だし、なによりアム自身の眞稀を薪が覚えている以上、この城から出ることは出来ない。
かといって。この程度のことで変わるのなら世の中苦労しない気がすると穂琥はため息をつく。
「おい、アム。調子はどうだ?」
そんな穂琥の心配をよそに薪は歩き出してアムに声を掛ける。その声に反応したアムは手を止めてこちらを見た。
「はい!順調でございます!ただ、道具のレパートリーが少ないのでもう少し増やしていただけるとありがたいです」
「あぁ、それは我慢してくれや」
「はい!了承いたしました!」
変わったぁぁ!
思わず叫びそうになったが必死で飲み込んだ。そんな呆然としている穂琥を薪は邪魔するからと引き摺りながら部屋に戻る。薪の中ではこういった罰し方にもそれなりの区分が存在する。今回のアムの場合はこれで別に問題ないと判断した結果だ。全ての眞匏祗がこれで更生できるわけではない。そして犯した罪によっても。どんなに簡単なことを諭して更生できるような輩であったとしても、心を傷つけ涙を流させたというのならば、それなりの処遇が必要となる。だからそう言った罰し方も薪には見分けられなければならない。そしてそれが出来るからこそ、今こうして昔に比べてみなが住みやすい世界が構築されてきているのだろう。