第十九話 ムカシ
齢にして3つ。まだ寒さの残る春近くの夜だった。薪はベッドの上で天井を見つめていた。そんな時、頭の中に響く声があった。
―殺したくはないか?
誰もいないのに聞こえたその声に一瞬は驚いたが、念波であることは容易に想像できた。ただ、それを理解してもそれを防ぐ術を薪はまだ身につけていなかった。
―憎い奴等を殺したいと思った事は無いか?
「無いね。失せろ」
殺気をこめた言葉を放ったが、声は消えることが無い。案外冷めた奴だと声は言う。薪はそれを無視すると声はさらに続ける。
―今からお前に地獄を見せてやる
「オレを殺すか?」
薪のその言葉に声は少し面白そうに笑った。そしてそれを否定した。
―いいや、お前を殺す理由は無い
「なら、どうするつもりだ?そう簡単に地獄なんて見られるとは思えないけどな」
声は笑う。気味が悪いほど甲高い声で。そして禁術を知っているか尋ねてきた。巧伎の影響もあって禁術系統は大抵学んだつもりでいた。
―なら、これは知っているか?『操身』というものさ
「そう、しん!?」
耳に強く残っているこの禁術の名前。声は薪の反応を見てより一層声を張って笑った。薪は耳を塞ぐ。その声に今更ながら恐怖した。そもそも、ここは愨夸が陣を張る城内だ。いくら念派だからといって簡単に干渉できるものでもないはずだった。よくよく考えてみればそうだった。この城内に干渉できると言うことは相当の眞匏祗であること。薪は急いで部屋から出ようとした。部屋から出ればきっと巧伎が気付く。が、声の主は決してそれをさせなかった。
―おいおい、話の途中で退席とは随分まともな教育だね?
嫌味の声に薪は反応せずに扉に手をかける。声の主は再び笑う。そして、術を行使することにしたらしい。
―さぁ、愨夸の息子よ。俺の手足となってこの城の中を地獄へと追いやるがいい!
耳の奥で声が禁術を行使するための言葉を放ったのが聞こえたが、それどころではなく、頭痛と吐き気に襲われ、薪はその場に倒れこんだ。身体の中を何かが這いずり回るような感覚に薪はもがき苦しんだ。
ゆっくりと起き上がりそっと扉に手をかける。そして閉じていた瞳を見開く。いつもなら、澄んだ空色の瞳が、今は血の滲む様な真っ赤は瞳になっていた。そして子供とは思えない恐ろしい眼で辺りを睨み付けた。
「今から城内の眞匏祗を全て殺す」
そう呟くと扉にかかっていない右手に眞稀を集中させる。そして低い声で今から手にする刀の名前を言う。
「毅邏、降臨」
黄色い柄に紅い珠がはめ込まれた刀が現れた。その刀身は禍々しく恐ろしいものだった。その長さは薪の伸長とほとんど同じくらいの長いものだった。
毅邏とは、この世界に存在する刀の中でもっとも強いと言われている刀。そしてもっとも危険と言われている。あの巧伎ですら、この毅邏を召還することを恐れていたほどだった。
しかし、この刀を出したのはあくまで声の主。薪の意思とは全く別のものだった。身体が勝手に動く中、薪は己の目を通してみていることしか出来なかった。どんなに足掻いても身体を動かすことはできない。禁術をかけられたことは間違いないことだった。
操身は相手の身体を文字通り操る術。掛けられた者は術者の言いなり、生きた人形と化してしまう。薪はそれに陥り、必死でそれを解こうとしたが確実に今の薪ではそれを解くための力が足りなかった。そしてそれに対する己の無力さに心が裂けそうだった。
部屋を出ると、身体は勝手に歩き続ける。
「シン様?どうなさいましたか、このようなお時間に」
役夸が声を掛けてきた。薪は必死で叫ぶ。逃げろ、逃げろと。しかし、その意思には反して身体はものすごい勢いで役夸の腹部に毅邏を刺し込む。役夸はどさりと倒れ、その場から動かなくなってしまった。初めて眞匏祗を斬り殺した感覚を得て、薪は頭が沸騰しそうになった。乗っ取られているのは身体のみ、感覚はしっかりと薪に伝わってくる。命を奪う一瞬を全身で感じ取ってしまう。そのことに恐怖と絶望を覚える。
―怨むなら今の愨夸を怨むんだな
頭の奥で声が響く。
何千という眞匏祗の血をその身に浴びた。薪は残る三人を探す。そうして、見つけた巧伎と紫火。
「シン?それは毅邏か・・・?」
怪訝な顔で聞いた巧伎ににやりと笑ってそうだと肯定する。そして薪の口元は奇妙につりあがる。
「貴方なら勝てますよね?」
その発言に巧伎も紫火も顔を歪ませた。
「貴様、何者だ?」
殺気をこめた言葉を巧伎が放つ。薪は毅邏を振り上げて高らかと笑う。
「何を仰っているのか分かりませんね。貴方の息子でしょう?なぜ、その様な質問をなさるのか理解しかねます」
警戒した巧伎の顔。毅邏は本来、愨夸である巧伎ですら持つことをしなかった究極の最凶の刀。どんな刀もさばく事が出来ない、強力な眞稀を刀自体が叩き込んでくる。それあって巧伎は酷く警戒している。紫火も少し身を震わせて辺りを確認している。おそらく穂琥の所在を確認しているのだろう。ここには来てはならないと。無論、薪自身もそれを願っている。そして言うなればここにいる二方にも退席を願いたかった。出来うるならば、自らの身を毅邏で斬り裂いてしまいたかった。
薪は地面を勢いよく蹴る。その勢いの凄まじいことに巧伎は体制を整えぬまま、薪の身体を弾き飛ばすことになった。取り出した刀で薪のわき腹を切り裂く。毅邏に刀を当てればその刀は朽ち果て、防御の術も無く斬り殺される事を知っているためだ。無論、薪に対して切り裂くことを厭わないからこそ、出来る行為だが。
「貴様!」
怒号を上げた巧伎に薪は再び斬りかかる。わずかに薪のほうが早い。何も考えず、ただ『殺す』と言う事のみを使命のごとく行使する毅邏に、動かされている薪は最早生物の動きの領域を超えている。
鈍く聞きたくない惨い音が聞こえた。巧伎の身体を貫通した己の腕。毅邏の刀身だけではなく、薪の腕ごと巧伎を貫いていた。薪は感覚を消したかった。耳を塞ぎたかった。眼を覆いたかった。でも、それすらもさせてはくれず、ただ目の前で大切な者たちが、自分を護ってくれていたものたちが斬られていく様を視ていることしかできなかった。それが悔しくて、悲しくて、憎らしくて。涙が零れそうになるが零してくれる身体に感情のこもった眼をさせる事は叶わない。
振り上げた刀で斬りつけたのは母、紫火。紫火の身体はどさりと倒れこみ、小さく震えている。今まで斬って来たものたちは全て一撃だったために毅邏自身が悲鳴を上げたのを薪は聞いた。おそらくその悲鳴は、持っている薪にしか聞こえないのだろう。その悲鳴のまま、怒りのごとく、刀を振り上げ止めを刺そうと力を込める。
後ろで音がしたのは振り下ろす寸前だった。薪はそっと振り返るとそこにいたのは、何が起きているのか理解できていない穂琥の姿があった。薪は心の底から絶望を覚えた。この小さく世間など何も知らない妹すら護ることもできずに殺してしまうのか。薪は震えた。
「シン・・・?」
穂琥の弱い声。薪は刀の矛先を穂琥へ変える。ぐっと力を込めて、紫火とは違い、一撃で消すことが出来るようにと。
「シン!」
走ってきた穂琥は薪の事を強く抱きしめた。それに驚いた薪の身体は少しだけ自由を得た。
「シン、これ以上何もしないで!止めて!」
「ほ、く?」
「シン?よかった、シン・・・」
震える穂琥。そしてそれ以上に震える薪。振り上げていた刀をそっと下ろす。そして手放そうと力を抜こうとした瞬間、頭の中を別のものが支配する。
「馴れ合いはもういい。殺せ」
頭が割れるように痛む。薪は力任せに穂琥を突き飛ばした。傷つけぬように、殺さないように。必死に抵抗する。それでもどんどん身体は言うことを利かなくなり始めている。狂ったように叫ぶ薪に、穂琥は泣きそうにこちらを見つめていた。
薪は右手に力を込めて勢いよく毅邏を振り上げて突き刺す。辺りには血が飛散する。自らの左腕を切り裂き、その激痛にさらに絶叫する。その痛みのせいあって、薪の手からは毅邏が消える。地面に伏した薪は途切れ途切れに穂琥へ言葉を投げかける。
「ほ、く・・・。こ、これ、以上・・・傷つけたく、ない。いけ・・・安全な・・・所へ。地球へ・・・」
震えるその声を穂琥は涙を流しながら否定していた。それでも薪はそれを無視して穂琥を眞稀で包む。我ながらよくここまでの眞稀を生成できたと驚くくらいだった。穂琥は光に包まれてそのまま消えた。きっと大丈夫。地球に行けてここでのことなど忘れて幸せに生活できるはず。それを願う。
今にも事切れてしまいそうな状態で薪はゆっくりと立ち上がった。そして動かない身体を無理に引き摺って歩く。しかし、目的の場所へ辿り着く前に膝が折れ倒れこんでしまった。
「は、は・・・うえ・・・」
倒れたまま目の前にいる母、紫火へ手を伸ばす。紫火はまだ辛うじて生きている。今、治療をすれば間に合うかもしれない。薪は必死で手を伸ばす。
「薪、元に・・戻れたのですね」
「母上・・・申し訳ございませんでした・・・」
「いいえ。貴方が悪いわけではありません」
ぐったりとしている割にはしっかりとした言葉を話す紫火にどこか安堵した薪は何とか身体を動かして紫火のすぐ傍まで寄った。
「薪。一体どれほどの眞匏祗を傷つけてしまったか知りません。ですが。それを背負って生きなさい。辛いことを言っているのは分かっています。それでも、貴方ならきっと、大丈夫。最後までちゃんと、背負っていくのです。それが貴方に託された運命なのです」
そっと手を伸ばして薪は紫火に触れようとした。しかし、逆に紫火から薪に触れてきた。そして今までに見たことないほど強い光を放って薪を見つめる。
「薪。約束してください。今、貴方は穂琥を生かしました。なら、これから一生、あの子が寿として死ぬまで、護りきりなさい。それまで貴方は死んではなりません。今から、残りの力で貴方と穂琥を・・・。いいですね」
「母上・・・?何を仰っているのですか・・・?治療を・・・早く・・・」
「よいのです。今、貴方の中に残っている眞稀は生きるために使いなさい。約束、して下さい」
薪は悟る。あぁ、母はもう、何をしても助かることは無いのだと。そして最後の母の望み。ならば、受諾するほか無いだろう。だって、この最後の望みは・・・。
「これが、最初で・・・最後のお願い。薪。私なんかの子になってくれてありがとう。愛しているわ、いつまでも」
「はい。母上・・・」
紫火はそっと瞳を閉じた。その瞳に涙が伝っていたのを薪は視る。母としての強い思いが見える。薪はぐっと拳に力を込めて床に額を押し付ける。何も出来なかった自分の弱さ。その儚さに。愕然とした。そうして薪は生まれて初めて涙を流してそのまま意識を手放していくのだった。