第十一話 オハカ
薪はこんなわけだ、と話を終わらせた。
「それからオレは穂琥のおかげで3か月後には出ることができたんだがな」
薪は一か月ほどで肉体の方は完全に正常化していた。ただ、精神の方はまだ正常とは言いにくいものだったが。通常、愨夸紋を刻まれれば、『試す』という力によって4か月ほどは生死の境を彷徨い苦痛な思いをするらしい。しかし、薪は一か月ほどで通常の状態になってしまった。そのことを、巧伎が恐れなかったわけがない。予想以上に薪が力を有していることに気づいたからだ。いつ、反発し逆らってくるかわかったものではないのだから。
「まぁ、そんなわけだ。これで2歳までのは話した。だけどまだ少し、残っているんだよ」
「え?」
「3歳の時の話だ。でも、これは言えない。まだ、それを語るほどの勇気がオレにはない。だから、待っていて欲しいんだ・・・。オレの、勇気が出るまで」
薪の向けてきたその瞳に穂琥は負けた。だからただわかったと伝えた。ありがとう、と短く伝えた薪の表情。その表情に穂琥の胸は苦しく締め付けられた。おそらくこれを胸騒ぎというのだろう。聞いてはいけない気がした。薪のことがわかってしまいそうで。薪の心がわかってしまいそうで。その苦しみを知ってしまうことが怖かった。
重たい空気が流れて穂琥は何とかして話題を変えたかった。きっと薪も、無理やり話題を変えることに抵抗はないはず。そこで穂琥は珍しく頭をフル回転させる。そして思い出した一つの疑問事項を薪に叩きつけることにした。
「ねぇ薪!ところでさ!丘の向こうとこっちでどう違うの!?」
唐突にしてきた穂琥の質問に、一瞬ついて来られていないような表情をした薪だったがいつもの柔らかい表情に戻って薪は頷いた。
「わかった。説明するよ。移動しながらでもいいだろう?今から痲臨をしまいに行きたいからさ」
「もちろん!」
いつもの表情に戻ったことが穂琥には嬉しかった。薪は何かとすべて自分で背負い込むところがある。それが悪いとは言わない。背負わせているという自覚がるから。でも、そのせいでいつか戻ってこられないくらい暗い世界に行ってしまったらと、先ほど話を聞いて思ったのだ。
歩きながら薪は説明を始めた。
「向こうとこっちでは情報の伝達具合が全く異なっているんだよ」
崖のように削られてしまっているあそこのところが境界線のようになっていて住む世界を分けてしまっているのだった。それは薪の計らいではなく、昔からの伝統的なことのようになってしまっている。今、愨夸となって力を蓄えてきた薪はそろそろその境界線を取っ払ってしまおうと考えているらしい。そしてその境界線のせいで情報が伝達されにくく、名前は知られていても顔までは届かない。故に、今回の愨夸がどんな眞匏祗かも、丘の向こうの連中には知るすべもなかった。故に過去の記憶で存在している巧伎時代の愨夸を連想し、薪に対してあれほどまでに恐怖していることになっているのだった。
「そっか。だからあっちの人たちは知らないんだ・・・」
「やめろよ、それ」
「え?」
突然薪が何かを制止した。穂琥には何のことかさっぱりわからない。理解しかねている穂琥のために薪は説明をする。
「眞匏祗は眞匏祗、人は人だ。違う生き物なんだよ。眞匏祗の奴らは大抵人間を好いていない。間違っても眞匏祗の前で『人』という表現は使うなよ」
「あ、うん。そうだったね、ごめん。薪は・・・嫌い?」
「は?」
「今まで・・・地球に居て」
穂琥の質問に薪は少しだけ不思議そうな顔をした。
「オレは嫌いじゃないよ」
「わぁ!よかったぁ!嫌いだったらどうしようかと思っちゃった!」
「当たり前だろう。人間とて眞匏祗と同じさ。いい奴もいれば悪いやつもいる。それだけのことさ」
性質よりも本質を見ようとする薪ならそういう答えが出て当然だった。少しでも疑いを持った自分が恥ずかしくなった穂琥だった。
そうして話をしている間に痲臨をしまう部屋まで到達した。部屋は2畳程度の小さな部屋だった。博物館の展示場にありそうなケースがあり、その中には先ほど受け取った痲臨と似たようなものが3個置いてあった。そのケースの中に先ほど入手してきた痲臨を収納した。この世界にはまだまだ痲臨が存在している。それを全て回収することも薪の愨夸としての役割でもあった。
「さてと。これでひと段落だな。挨拶に行くか」
「え?」
「着いてこい」
薪に誘われるままに城の外に出る。外、と言っても城の敷地内だが。そうして進んでいくと綺麗な広場に着く。広場の中心には豪華な花々で飾られている小さな塔のようなものがあった。大きさにして穂琥の腰くらいの高さだ。その隣にはそれよりも少し低い同じようなものがある。そして薪はその二つ並んでいる塔の前に跪いた。
「ただ今戻りました。無事にホクも連れてまいりました」
目を軽く伏せて薪は言う。穂琥は自分を『ホク』と言った薪に一瞬驚いたが、ここがいったいどういう所なのかをそれで察して理解した。
ここは墓だ。己の父と母の墓。当の昔になくなっているお二方を祀る場所。大方、大きい方が父、愨夸の物で少し小さい方が母の方だと穂琥は思う。そして穂琥も薪の隣に跪いて記憶にはあまり残っていない父と母へ言葉を送る。
―ただいま帰りました。失礼ながら私には記憶があまり残っていません。ですが、お二方は決して忘れていません。帰ってきて早々ですがお願いがございます。もし、出来たなら・・・どうか薪を開放してください
心の底からそれを願う。薪は未だに『愨夸』ということに縛られている。無論、愨夸であることから解放してほしい訳では無い。薪という愨夸が居なくなってしまってはこの眞匏祗の世界は壊れてしまう。そうではない。薪はもっと別の物に縛られている。これはあくまで穂琥の勘だが、父である巧伎に薪は身動きが出来なくなるほど縛り付けられているのではないかと。穂琥はそっと目を開ける。だからお願いいたしますと。薪はもっと自由に翼を広げるべきなのだと。
終わったと立ち上がった穂琥に薪は了解したが帰ろうとはせず、二方の墓の後ろに立ってその向こうに向かって『帰ったよ』と言ってから広場の出口へ向かった。何故薪がそうしたのか気になり、薪がそういった方向に目を向けた。穂琥は一瞬、自分の目を疑った。そこには数えるだけで一日が終わってしまいそうなほどの墓が存在していた。今までこの城で使えていた者たちの墓かと一度思ったが、仕えていた者たちでも家族の元に帰るからここで供養し墓地を立てるのはどこかおかしい。ならばもっと別の理由だ。
「ねぇ。あのお墓は・・・」
「いずれ話すよ」
薪はどこか素っ気なく答えてさっさと歩いてしまう。穂琥は首をかしげて薪の後を追う。