第十話 ウマレ
眞匏祗というのは人間と生体が全く異なっているということはいい加減理解してもらえていると思う。人間と眞匏祗は生まれる前からすでに大きく異なることがある。それが母体の中に留まる月日の問題。人間は十月十日と言われている。眞匏祗の場合、その母体の中に2年もの間眠ることになる。
時を遡って。今よりはるか昔、地球ができるよりもずっと前。眞匏祗の世界は存在していた。そんな気の遠くなるようなずっとずっと昔の話。眞匏祗の世界は始まっていた。そうして始まった時代の中で驚くべき変化があった。地球がやっと形を成し始めたころだ。愨夸のところに男の子が生まれた。その男の子の名前は戯是といい、彼は生まれてから泣くことはなかった。泣く必要がなかった。ごく自然に呼吸をし、目を開け。そして言葉を話した。
「初めまして、母上」
戯是は最初にそう言った。当時はかなり驚いたことだが、次第に慣れ、そういったことが起こるのだと認識された。そして戯是の素晴らしい成長を喜んだ。それから何十年、何百年、何千年と時を経て、再びそれは起きたのだった。
真っ暗い中をぽっかりと浮いていることに気づいたのはいつのことだろうか。はっきりとしない意識の中で声を聞いた。優しく語りかける声を。
「あら、今動きましたよ」
「ほう。わたしに相応しい子が生まれることを期待しているよ」
「そうですね」
そんな声を聞いて色々拙い思考を駆使してやっと自分が今、母体の中にいることを理解した。これから『自分』が生まれるのだと。そしてその声の主が父と母であることも理解した。
それともう一つ。こうして母体の中にいるのはわかるが、体を少し動かしてみると母体とは別の何かがあることに気づく。そして、両親の会話と己の与えられし知識を以てそれが双子の相方であることを認識した。そして。そんな風に思考を繰り返しながら育っていくこと2年。ついに生まれる時が来るのだった。
生まれたのは自分と妹だった。しかし妹は至極衰弱し、危険な状態に陥っていた。療蔚が蘇生術を行おうとしたが、何故愨夸の血肉の欠片。眞稀が押し負けてしまって療蔚は後ろにつんのめってしまった。それを目にして我が妹へと手を伸ばす。そっと弱る妹に触れる。すると想像を絶する眞稀が辺りを包み込んだ。膨れ上がった眞稀が治まったころには女の子の鳴く声が響き渡り、もう一人は気を失っていた。
目が覚めたのはどこかのベッド。おそらく乳児育成室のようなところだろう。気配を頭の上に感じ体を起こす。
「目が覚めたか」
「はい」
目の前にいたのは鋭い目をした己の父でもある愨夸だった。返事をしたことに愨夸は嬉しそうに顔を歪めた。
「口が利けるとは素晴らしいな。お前のようなものを『思持』(しじ)というらしい。古い文献に出ていたよ。あぁ、わたしの名はタギ=フォア=エンドだ。そしてお前はわたしの名を継いでシン=フォア=エンドだ」
「わかりました。宜しくお願い致します」
「お前の妹はホクだ」
冷たい目をしているこの愨夸にシンはひどく嫌な予感を覚えた。タギはそのまま歩き去って行った。それからまたぼうっとしていると視線を感じ頭を上げる。するとそこにいたのは目元を優しく和ませた美しい女性がいた。
「母上、ですね?」
「頭のいい子。わたくしはシホ=スィンス=トゥウェルブと言います。あなたは?」
鈴を転がしたような静かでなめらかな声。それを耳に残しつつ、シンは己の名を母であるシホなら知っているはずだというとシホは穏やかな声で言う。
「えぇ。存じ上げています。しかし、初めて会った者同士、名乗るのは常識でありましょう」
美しいその指をそっと伸ばしてシンのほほに触れる。その暖かさをシンは温もりと呼ぶのだと悟る。そして先ほどの父、愨夸とはまた別の意味ですごい力を持っているのだということも。
「申し訳ありませんでした。名はシン=フォア=エンドです」
「ありがとう。宜しくお願いします」
「こちらこそ」
今すぐには無理だが、妹ホクとも時期に居合わせるとシホは言った。それを聞いてホクの名前はホク=スィンス=トゥウェルブであるのか尋ね、それに是と答えたシホに何故名字が変わるのかを尋ねるとシホは少し驚いていた。
「知らずして穂琥がスィンス=トゥウェルブだと?」
「父上が名を全て言いませんでした。なので」
あくまで憶測で言っただけのこと。しかしそれは合っていたらしい。
「薪。あなたは凄いわ」
微笑む母に少しだけ照れを感じていた。
「双子で性別が異なる場合、男が父親、女が母親の名を譲り受けることになるのよ。だから薪は巧伎のを、穂琥は私のを受けているのよ」
「はい。理解致しました」
名前のことはわかったが、薪はさらに浮かんだ疑問を母に投げかける。
「父上は『シン、ホク』と呼びますが、なぜ母上は『薪、穂琥』とお呼びになられるのですか?」
「そちらの方が暖かく思えません?」
母のその思考に薪はとらわれる。その暖かい響きが薪も好きだった。
「はい。その方がいいです」
「よかったわ。同じ意見の者がいて。わたくしは紫火、あの方を巧伎というのよ」
優しく紫火は伝えた。その笑みに何とも言えぬ悲しさが垣間見えた気がしたのは薪の気のせいか。そして紫火はもう眠るように薪に言う。薪はそれを受けて眠ることにした。母体の中とは違って激しく体力を消耗する。今までは母に生かされてきたのだが、これが自分の力で生きるということなのだろうと実感するのだった。
それから数日後、薪たちは退院した。そしてそこで初めて実の妹、穂琥との対面となった。まだ言葉を話すことのできない穂琥はとても無垢な目で薪を見つめる。あう~と何を言っているのかよくわからない言葉で薪へ手を伸ばす。それを掴もうと手を伸ばそうとしたとき、巧伎の声が聞こえて手を止めた。鋭く光るその眼が薪は嫌いだった。すべてを征しようとしているその眼が。
「お前は生まれてすぐに言葉を使い、眞稀を使い、己の妹を治癒させた。だが、粋がるなよ?その程度でこの世界を生きていけると思うなよ」
冷たい言葉が頭の上から落ちてくる。それが苦しくて重たかった。しかし、今の薪にこの巧伎に対抗できる力など有してはいなかった。薪はただ是と答え、従うことしかできなかった。
ここまでが薪たちの生まれたばかりの話。そしてこれから話をするのが、本題。薪が2歳になった時の話。
巧伎は薪を前に自分の後継として愨夸の座に就くことを薪に伝えていた。しかし薪はそれを断固として拒否していた。しかしその拒否を許すほど薪の父は甘くなかった。
生まれて丁度2年が経った日のことだった。部屋に巧伎の命令で役夸が入ってきた。役夸とは愨夸の周りで仕事をしている者たちのこと。他にも長夸と呼ばれる者たちも存在する。役夸よりも上役の仕事の者たちだ。
役夸は巧伎の命令とあって半ば人形、機械のように薪を捉えてとある場所へと連れて行く。
「こ、刻紋・・・」
刻紋の間。字のごとく、紋章を刻むべく場所。今の状況で刻むのは無論、薪の体のどこかということになる。つまり、この刻紋の間で愨夸としての資格を得るための愨夸紋を刻むということだ。それが体のどこか一部に刻まれていることでその者が愨夸であるという証明になる。
「離せ!離せ!!愨夸になんかなるか!」
刻紋の間には中央に気味の悪い寝台の様なものが存在し、いくつもの溝が見受けられる。そしてその溝は床まで続き、しまいには部屋中に蜘蛛の巣のように張り巡らされている。そしてその寝台のようなところに薄気味悪い笑みを浮かべた巧伎が寄りかかっていた。
「父上・・・」
その笑みを見たとき、薪の中に理解しようのない恐怖を感じさせた。役夸によって台に乗せられた薪はそのまま巧伎へ主導権を変え、上着を無理に脱がされる。そして巧伎は小刀のようなものを取り出して薪の腕に突き刺した。
役夸たちは震えながら薪の絶叫を聞いていた。本来ならばこんなことをしたくはない。しかし、愨夸である巧伎の命令とあっては己の命が危ない。家族が危ない。何も抵抗することが出来なかった。小刀で薪の腕に愨夸紋を刻んでいく。腕からは血が流れ、ダイにほられている溝へ流れていく。そしてその溝を伝って薪の血は部屋中へ満ちていく。すべての溝が薪の血で埋まった時、床が緑色の光を放つ。それを確認した巧伎は愉しそうに笑う。これで愨夸紋を刻む儀式は終了ということだ。薪の腕にはくっきりと愨夸紋が刻み込まれていた。
ただ、2歳などと子供、とも呼べないくらい幼い体に愨夸紋を刻むことがどれほど苦痛なことか。ただ、小刀で体を傷つけられた痛みではない。愨夸紋を刻んだその刀にも力が宿っている。その宿す力が愨夸として相応しいかを試してくる。その苦痛はおそらく想像を絶するものとなるはずだ。そんな痛みを薪は受け、もはや瀕死の状態になりかけていた。にもかかわらず、巧伎はそのまま地下へ薪を連れて行くよう役夸に命ずる。役夸はただ恐怖からそれに従うだけだった。
そうして入れられたのがあの冷たく凍る不気味な地下室という訳だった。