13 伯爵家への訪問者
それから数日後。
リンドグレイ伯爵家の庭は、穏やかな午後の陽射しに包まれていた。
ラウラは花壇の前にしゃがみこみ、小さな花々に水をやっている。
細い茎にきらきらと水滴が光って、春のやわらかな風に揺れていた。
ふう、と小さく息をつく。
(あれから、なんだか変なことばっかり)
神獣。
婚約の話。
そして——
セドリック。
思い出した途端、ラウラはむっと眉を寄せた。
「……失礼な人」
小さくこぼしたその言葉は、春風にさらわれるように消えていく。
そのとき、屋敷の方から足音が近づいてきた。
顔を上げると、使用人が一人、こちらへやってくる。
「お嬢様」
「はい?」
「お客様がお見えです」
「お客様?」
ラウラは首をかしげた。
伯爵家に客が来ること自体は珍しくない。
けれど、次の言葉に目を丸くする。
「ヴァルディエ侯爵家のエリオット様です」
「……え?」
思わず聞き返した。
「エリオット様が?」
「はい。伯爵様にお渡ししたい書簡があるとのことです」
ラウラはますます不思議に思いながら立ち上がる。
手についた水を軽く払ってから、応接室へ向かった。
扉を開ける。
そこにいたのは、見覚えのある少年だった。
栗色の髪。
穏やかな緑の瞳。
人あたりのいい、やわらかな笑み。
エリオットだ。
そして——
その肩には、一羽の大きな白い鷹がとまっていた。
真っ白な羽は陽を受けて淡く輝き、鋭い金色の瞳は、ただ静かにこちらを見ている。
騒がしく威圧するわけではないのに、そこにいるだけで空気が少し張り詰めるような存在感があった。
ラウラは思わず声を漏らす。
「わあ……!」
エリオットがくすっと笑う。
「驚いた?」
「すごい……!」
ラウラは目を輝かせたまま、白鷹から目を離せない。
「この子……神獣ですか?」
エリオットは頷いた。
「うん。ヴァルディエ家の神獣だよ」
そう言って、肩の白鷹をそっと撫でる。
「アルトっていうんだ」
アルトは静かにラウラを見つめていた。
じっと。
まるで、値踏みするでもなく、ただ確かめるように。
そのまなざしに、ラウラは少しだけ緊張する。
「こ、こんにちは。アルト」
恐る恐る挨拶すると、白鷹は一度だけゆっくりと羽を広げた。
次の瞬間。
ふわり、と音もなく飛び立つ。
ラウラは目を見開いた。
「えっ」
アルトは応接室の中をゆるやかに旋回し、そのままラウラのすぐ近くの窓枠に舞い降りた。
ふわ、と白い羽が揺れる。
あまりに自然な動きで、まるで最初からそこに来るつもりだったかのようだった。
エリオットが、少しだけ驚いた顔をする。
「……珍しいな」
ラウラは白鷹とエリオットを見比べた。
「そうなんですか?」
「うん」
エリオットは苦笑する。
「アルトは、人をあまり近くで見ないんだ」
それなのに、アルトは相変わらずラウラを見つめている。
じっと。
まっすぐに。
ラウラはなんとなく落ち着かなくなって、少し照れたように笑った。
「どうしたの?」
その声に、アルトはわずかに首を傾ける。
エリオットがふっと目を細めた。
「気に入ったのかもね」
「私、何もしてないのに」
困ったように言うラウラに、エリオットは肩をすくめる。
「神獣って、理屈じゃないところがあるから」
その言い方がどこか意味深で、ラウラは首をかしげた。
けれど、問い返す前に扉が開く。
伯爵が部屋へ入ってきた。
「お待たせしました」
エリオットはすぐに立ち上がり、丁寧に礼をする。
「突然の訪問、失礼します」
「いや、構いません。ヴァルディエ侯爵家のご子息が来るとは思いませんでしたが」
伯爵の言葉に、エリオットは落ち着いた様子で答えた。
「父からの書簡を預かってきました。少し急ぎの件とのことで、直接お渡ししたくて」
「なるほど」
伯爵は頷き、エリオットから書簡を受け取る。
そのまま二人は仕事の話を始めた。
ラウラは邪魔にならないよう、少し離れた席に腰を下ろす。
アルトはその近くの窓枠にとまったままだ。
ときどき、金色の瞳がちらりとラウラを見る。
気づくたびに、ラウラはなんだかおかしくなって、小さく笑ってしまう。
「……見られてる気がする」
こっそり呟くと、アルトがまた少しだけ首を傾けた。
その仕草が思ったより愛らしくて、ラウラの頬がふっとゆるむ。
その様子を、エリオットは横目で見ていた。
庭で花に水をやっていたときも、今こうして微笑んでいるときも。
この令嬢は、どこか目を引く。
華やかというより、やわらかくて。
気づけば、つい目で追ってしまうような愛らしさがあった。
(やっぱり、綺麗だな)
思わずそんな感想が胸をよぎり、エリオットは自分で少しだけ可笑しくなる。
ただ可愛いだけではない。
神獣たちが惹かれるのも、なんとなくわかる気がした。
その頃。
ハーヴェル公爵家では、セドリックが剣の稽古をしていた。
鋭く振り抜いた剣先が風を切る。
額ににじんだ汗を手の甲で乱暴に拭いながら、ふと周囲を見回した。
いつもなら、近くにいるはずの幼馴染の姿がない。
「……エリオットは?」
近くに控えていた騎士が答える。
「ヴァルディエ侯爵家の御用で外出されています」
セドリックは眉をひそめた。
「どこに?」
騎士は少し迷ったようだったが、やがて口を開く。
「リンドグレイ伯爵家へ」
沈黙。
その一言で、セドリックの手がぴたりと止まった。
「……なんで?」
けれど、騎士はそれ以上のことは知らないのか、曖昧に頭を下げるばかりだ。
セドリックは小さく舌打ちした。
(あいつ、なんで——)
胸の奥が、妙にざわつく。
理由のわからない苛立ち。
けれど、ただの苛立ちとも少し違う。
馬車の中で、頬を赤くしていたラウラの顔が、ふいに脳裏をよぎった。
「……ちっ」
さらに機嫌が悪くなったように、セドリックは剣を握り直す。
けれど一度浮かんだざわめきは、簡単には消えてくれなかった。
まだ自分でも名前をつけられない感情が、胸の奥で静かに動き始めていた。




