12 二人きりの馬車
ハーヴェル公爵家の門の前には、帰りの馬車が用意されていた。
ラウラは小さく息をつく。
(なんでこうなったの……)
横を見る。
セドリックが腕を組んで立っている。
相変わらず、不機嫌そうな顔だ。
そしてその隣には——シーフ。
完全についてくる気だった。
ラウラは軽く頭を下げる。
「……送っていただくことになって、ありがとうございます」
セドリックはそっぽを向いたまま言った。
「別に。父上が勝手に決めただけだ」
相変わらずの言い方に、ラウラはむっとする。
「お礼を言ったのに」
セドリックがちらりとだけ見る。
「聞こえてる」
それだけだった。
会話が終わる。
沈黙。
気まずい。
御者がうやうやしく声をかけた。
「お嬢様、どうぞ」
ラウラは馬車へ乗り込む。
続いてセドリックも乗り込んだ。
そして——シーフまで当然のように乗ってきた。
どすん、と巨大な体が座席に収まる。
結果、馬車の中の並びは、ラウラ、シーフ、セドリックという、なんとも妙なものになった。
馬車がゆっくりと動き出す。
沈黙。
ラウラは窓の外を見る。
セドリックは腕を組んだまま。
シーフは満足そうに伏せていた。
しばらくして、ラウラがぽつりと言った。
「……ひどいですよね」
セドリックの眉が、わずかに動く。
「何が」
ラウラはむっとした顔のまま言った。
「初対面で不細工って」
セドリックは黙る。
ラウラは続けた。
「忘れてませんから。すごく」
セドリックは視線を逸らした。
少し間を置いて、低く言う。
「……思ってたのと違った」
ラウラは首をかしげた。
「何がですか?」
セドリックは少しだけ言葉に詰まり、それからぶっきらぼうに言った。
「……もっと、弱そうだと思ってた」
ラウラは眉をひそめる。
「それ、褒めてます?」
セドリックは肩をすくめた。
「別に」
また沈黙が落ちる。
そのときだった。
シーフが突然、ラウラの膝に頭を乗せた。
「わっ」
ラウラは驚いたが、すぐにふっと頬をゆるめた。
「甘えんぼだね」
そっと銀の毛並みを撫でる。
シーフは満足そうに目を細め、喉の奥で小さく鳴いた。
その様子を、セドリックが見ていた。
(なんでだ)
シーフは人に懐かない。
誇り高い神獣だ。
俺ですら、機嫌がいいときしかまともに触れない。
それなのに。
(なんでこいつには)
ラウラは楽しそうにシーフを撫でている。
「本当にかわいい」
無邪気な声だった。
その声音が、妙に耳に残る。
セドリックは少しだけ視線を逸らした。
なぜか落ち着かない。
そのとき、不意に馬車が石畳の段差を乗り越え、大きく揺れた。
「きゃっ」
ラウラの体がぐらりと傾く。
シーフを驚かせまいとして、とっさに身を引いたせいで、バランスを崩したのだ。
次の瞬間。
強い力で、引き寄せられた。
「……っ」
気づいたときには、セドリックの腕がラウラの肩と背を支えていた。
落ちるのを止めるために、とっさに抱き寄せるような形になっている。
近い。
思ったより、ずっと。
ラウラは息を止めた。
目の前に、セドリックの顔がある。
伏せ気味の睫毛も、少し険しい眉も、近すぎるほど近い。
一瞬だけ、時間が止まったようだった。
セドリックも、自分が何をしたのか気づいたらしい。
眉がぴくりと動く。
けれど、すぐには手を離さなかった。
ラウラの体が完全に安定するまで、確かめるように支えている。
その手のひらの熱が、服越しにも伝わってきた。
心臓が、どくん、と大きく鳴る。
やがてセドリックは、はっとしたようにラウラから距離を取った。
「……危なっかしい」
ぶっきらぼうな声。
けれど、少しかすれている。
ラウラは一拍遅れて姿勢を正した。
「……すみま……」
そこまで言って、言葉が止まる。
違う。
謝るところではない。
助けられたのだ。
ラウラは頬が熱くなるのを感じながら、視線を落とした。
「……ありがとうございます」
セドリックは窓の外を見るふりをした。
「別に」
短い返事。
けれど耳の先が、うっすら赤い。
ラウラはそれに気づいてしまった。
気づいた瞬間、自分の頬まで余計に熱くなる。
馬車の中に、妙な沈黙が落ちた。
さっきまでの気まずさとは違う。
もっと落ち着かなくて、変に相手を意識してしまうような沈黙だった。
シーフだけが、そんな二人を見上げて満足そうに尻尾を揺らしている。
その空気をごまかすように、ラウラはあえて少し強めの声を出した。
「でも」
セドリックが見る。
ラウラはきゅっと口を結んでから言った。
「婚約は嫌です」
即答だった。
セドリックも即答する。
「俺も嫌だ」
ラウラは腕を組む。
「ですよね」
セドリックは頷いた。
「当たり前だ」
二人は顔を見合わせる。
さっきのことがあるせいで、少しだけ目をそらしたくなるのに、なぜか先に逸らせない。
そして同時に言った。
「絶対嫌」
ぴたりと重なった声に、二人とも一瞬だけ黙る。
その間で、シーフが満足そうに尻尾を振っていた。
まるで、この二人の先のことなど、もうわかっているかのように。




