第7話 最初の会話
2章
道を歩き始めてから、どれくらい経ったのかは分からない。
太陽の位置から考えると、まだ昼を少し過ぎたあたりだろう。時間に余裕があるとは言えないが、焦るほどでもない。
ムラカミ・コーイチは、歩きながら周囲への注意を切らさなかった。
足元の石、草の揺れ、木々の隙間。何かが動けばすぐに視線が向く。物音がすれば立ち止まり、背後も確認する。初めての場所で、しかも女神エリスから魔物が出ると聞いている以上、それは当然の行動だった。
道は一本。左右に分かれることはなく、踏み固められている。人の往来がある証拠だ。
――人がいるなら、街がある。
その判断だけを拠り所に、歩調を保つ。
しばらくして、前方に人影が見えた。
こちらに向かって歩いてくる。距離はまだあるが、姿ははっきりしている。
コーイチは、自然に歩みを少し落とした。止まりはしない。相手の様子を観察するためだ。
服装は自分と似たような実用重視のもの。武器らしきものを携えているが、構えた様子はない。
距離が縮まる。
互いに相手を認識したのだろう、向こうも足を止めた。
コーイチは、刃物に手を伸ばさない。ただ、いつでも動ける位置に体重を置く。
不用意に近づかない。だが、警戒を露骨に見せるほどでもない。
数歩の間を置いて、コーイチから声をかけた。
「……この道、街に続いてますか」
短く、要点だけを伝える。
一瞬の沈黙。
相手はコーイチを一瞥し、すぐに答えた。
「ああ。半日も歩かずに着く」
言葉が通じた。
それだけで、胸の奥に溜まっていた緊張が、少しだけ解ける。
発音も、語順も、日本語とほぼ同じだった。訛りのようなものは感じるが、意思疎通に支障はない。
「日が落ちると、獣が出る」
「今の時間なら、急いだほうがいい」
必要な情報だけを、簡潔に告げる。
相手はそれ以上踏み込もうとせず、道の脇へと視線を移した。
――深入りはしないタイプらしい。
コーイチは軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
それだけ言って、歩き出す。
向こうも特に何も言わず、すれ違っていった。
数歩進んでから、コーイチは一度だけ振り返った。
相手の背中はすでに遠ざかり、森の向こうへ消えていく。
情報は十分だった。
言葉が通じる。
人の姿は、自分とほとんど変わらない。
街があり、獣が出る。
日没前行動が基本。
世界の輪郭が、少しずつはっきりしてくる。
特別な感慨はない。
ただ、状況を把握し、次に取るべき行動を決めるだけだ。
コーイチは歩調をわずかに上げた。
走るほどではないが、無駄に時間を使う気もない。
道を外れない。
視界の悪い場所には近づかない。
草むらの揺れには距離を取る。
それは、意識して行っているというより、そうするのが自然だった。
――日が落ちる前に、街へ。
その目的だけを胸に、コーイチは黙々と道を進んだ。




