第49話 あなたが切り捨ててきたものの熱狂でしてよ
劇は滞りなく進行した。
鬼気迫る表情、虚しさと怒りを詰め込んだ声。
舞台に立つステラから目が離せなかった。
頭が真っ白になり、ハルムートは足が震えた。
気づいているはずがないのに、ステラの視線がハルムートを射抜く。銃弾のように。
糾弾されているのは、俺だ。
わあ、と観客たちが席から立ち上がり、大きな歓声を上げる。劇が終わった。
その瞬間まで、ハルムートはこれが演劇だと忘れていた。
溢れんばかりの拍手と声援がすぐ近くで鳴り響く。
ステラ、ステラ、と賞賛する声が轟いていた。
ーーーどう、いうことだ
舞台が終わったと、頭では理解している。
今すぐステラのところに向かえば間に合うかもしれない。あの火傷は舞台のための化粧だと証言させればいい。分かっている。
だが、ハルムートは動けなかった。
四方八方から声が聞こえる。歓声。応援。拍手。身体を細胞から震わせる。
声の波に呑まれ、打ちひしがれて、ハルムートは初めて理解した。
これが”熱”か、と。
「素晴らしいでしょう、ハルムートお兄様」
背後から、そっと耳打ちされた。
喉の奥で声が引きつる。ハルムートは振り返ることができなかった。
肩に手を置かれる。
この声はエレーナ。俺たちを破滅に貶めた、悪魔。
「あなたが切り捨ててきたものの熱狂でしてよ」
後ろから微笑まれる。にこり、視線があう。
ハルムートは口を開けるも、何の声も出なかった。
「傷ついた妻。見捨てた弟。追放した妹。そして、金のない庶民。どれもあなたが切り捨ててきたものですわ」
エレーナは肩に置いていた手をハルムートの首に沿わせた。するすると撫でる。突き出た喉仏に触れ、ふふ、と微笑む。
ハルムートはひ、と喉の奥で悲鳴を上げた。
「やめ、やめろ、お前、」
エレーナはぐっと喉仏を押す。
ハルムートは、かは、とうめき声を上げた。
そのまま足の力が抜け、がくりとその場でうずくまる。
は、は、と肩で呼吸をする。
苦しい。なんだ。何も分からないのに、立ち上がれない。
エレーナはハルムートを見下ろして、「もうすぐですわね」と微笑んだ。
「舞台挨拶が始まりますわ。おかげさまで劇場のプレオープンは大成功。新聞各社に宣伝をお願いしているの。とっても楽しみだわ」
わあ、と再び歓声が沸き上がる。
ハルムートはうずくまりながら、血走った目で舞台を見上げた。
カーテンが開き、役者たちが舞台に並んでいる。
中心はもちろんステラ。
舞台挨拶用の美しい衣装に着替えているが、やはり顔の傷はそのまま。
ステラは真っ直ぐに、観客席に笑顔を向けていた。
観客たちは拍手で迎えるものの「火傷の化粧は落とさないのかな」「どうしてだろうね」と囁きあっていた。
やめろ。
そう叫びたかったが、声にならなかった。
うずくまって、ただ子鹿のようにガクガクと、全身を震わせるしかできなかった。
やめろ、やめろ、やめてくれーーーー
マイクを持った司会者が挨拶をし、楽しそうに役者たちに話を振っていく。
「それにしてもステラさん、その顔の火傷はリアルですね」と司会者が話しかける。
ステラはにこりと微笑んだ。
「この傷は本物です。夫にランプで殴られて、傷がついてしまいました」
ざわっと、観客席から声が漏れた。
どういうこと? 夫に殴られたって? あの火傷が本物?
痛そう、可哀想、ひどすぎるわ、許せない!
ーーーそんな夫、訴えるべきよ!
観客席から、ハルムートを責める声が塊になって襲いかかる。押しつぶされる。
ハルムートは頭を抱え、必死に耳を塞いだ。
ちがう、ちがう、あれは事故だ。殴るつもりはなかった。
あいつが飛びかかったからだ。俺のせいじゃない、あいつが俺のいうことを聞かなかったから。なのに、なのに、なのに。
口の中が異様に渇く。は、は、呼吸が荒くなる。
「夫は私を軟禁しました。この傷を隠すためです。もう私は舞台に立てないと思った。そう、諦めた時……エレーナさんが私を舞台に立たせてくれました」
ステラの声が涙ぐむ。
まわりの観客は釣られて息を呑んだ。静寂が包む。
ステラのかすかな息遣いが、マイクを通じて伝わってくる。
すぐそばにあの女が立っているみたいだった。
「私がまた女優として輝けるのは、エレーナさん、そして、協力してくれたリンドベルグの皆さんのおかげです。本当に、ありがとうございました」
わあ、と溢れんばかりの拍手が鳴り響いた。
劇場が賞賛に包まれる。
エレーナとリンドベルグを褒め称える声が止まなかった。
ハルムートは、頭が真っ白になっていた。
舞台挨拶はつつがなく終わった。大成功だろう。
記者たちは瞳を輝かせてメモをとっていたし、観客たちは舞台の感想を楽しそうに語っていた。
ステラとリンドベルグへの賞賛、ハルムートへの非難を。
翌日の新聞記事の内容なんて簡単に想像ついた。
ハルムートが手を回すより先に世に出るだろう。
ーーー俺は、どうなる。
ハルムートは立ち見席の隅で膝をつきながら、呆然と舞台を見上げた。
「大変なことになってしまいましたわね」
エレーナが呟く。
ハルムートは振り向くことができなかった。
「明日以降、新聞はあなたへの非難で溢れてしまいますわね。ああ、でも否定できませんね。彼女の傷は”本物”ですから」
くすくす、とエレーナが笑う。
ハルムートは空っぽの舞台に、力なく視線を向けていた。
ニセモノで戦ってきた女が、最後に用意した”本物”。
どう言い訳しようとも、火傷をつけた経緯は事実だ。
”本物”の価値を、ハルムートは初めて理解した。
「リンドベルグの宣伝に力を貸していただき感謝いたしますわ。お帰りの際は道中お気をつけて」
丁寧にお辞儀をし、エレーナは微笑む。
何を言っている、と、ハルムートは働かない頭で考えた。
そして、すぐに理解した。
……いま、ハルムートがここにいると気づかれたら、
「彼らは、あなたを殺すだけの熱を持っておりますから」
エレーナは優雅な手つきで観客たちを示した。
ハルムートが切り捨ててきた”庶民”がいる。
笑って、憤って、興奮して、感情豊かに、存在していた。
第五十話は0時頃投稿予定。
明日、25日完結。三話投稿いたします。
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