第35話 従業員にも選ぶ自由があるのですわ
「エレーナ、おまえ、なんで……」
「我が社への転職を希望する大切な方々を迎えにきたのです。そしたらなんとまあ、まさか暴力まで受けているとは思いませんでしたわ」
エレーナはゆっくりと会議室に入っていく。
先ほどまで殴られていたパウルを庇うように前に出て、トビアスを睨み付けた。
「お前、なんでザントクラーデに入れるんだ。守衛は何をやってるんだ!」
「今日は弁護士の方を連れてきたんですの」
「べ、弁護士……!?」
トビアスは言葉に詰まった。
弁護士だと? 何が起きている。
むしろトビアスは、会社の情報を流したとパウルを訴えるつもりだった。
金山プロジェクトがうまくいかないのはスパイのせいだ。あいつらがリンドベルグに行った奴らを唆して、事業を止めている。
だから、膨らむ負債はスパイのせいだ。
それなのに、なぜエレーナが弁護士を連れてくるのだ。
どくどく、心臓がイヤな音を立てた。
じわりと冷や汗がにじみ出る。
エレーナが合図をすると、扉の奥からきちりとしたスーツを着た男が現れた。
「トビアス・ファルネリアさん。退職届を拒否されて困っていると、御社の従業員から相談を受けております」
「……は? そうだん……?」
「あなたは複数名の退職届を受理せず、破り捨てた。おかげで彼らはスムーズな転職ができません。彼らの退職を認めてください」
スーツの男は冷たい表情で淡々と告げた。
トビアスはびくりとする。
この冷徹とも言える合理的な姿は、トビアスが苦手とする種類の人間だった。
難しい言葉をツラツラと並べ立て、こちらが分からないとなれば呆れたような視線を向ける。
ーーー俺を馬鹿だって思ってるやつら。
トビアスは拳をぎゅっと握り締めた。
「うるさい! 分かってるよ! やる気がないヤツは去れ!」
「……受理されるということでよろしいですね」
「そうだよ! どうせお前らがいたってなんの役にも立たないんだ!」
トビアスは勢いよく怒鳴った。
会議室にきんきんとした声がこだまする。
肌に伝わる振動が気持ち悪かった。
「では、こちらも受理していただけますね」
弁護士が手紙をカバンから取り出す。トビアスはその姿を呆然と眺めた。
出てきたのは大量の白い手紙。
すっかり見慣れてしまった、退職届だ。
「残りの従業員の退職届です。みなさん、本日付で退職を希望されておりますが。受理していただけますね」
弁護士から手渡される。
かさり、手にした紙は、軽いようで、重かった。
トビアスの手からこぼれ落ちる。
震えて、床にパラパラと落ちていく様を見ていた。
口の中が急速に渇いていく。
いま、何が起きている。わからない。
これは、なんだ。
わからないけれど、トビアスは小さく頷いた。
頭は真っ白だった。
弁護士がにこりと笑うのを見て、扉にいた社員がはわあっと歓声を上げた。
そして、見慣れた社員はみな、廊下を歩いて、去っていった。
「あなたの会社は誰も残っておりませんのね」
エレーナが、うつむくトビアスの顔を覗き込む。
にっこりとした笑顔で。
トビアスは、沸騰したように怒りが込み上げてきた。
咄嗟にエレーナを殴る。
ぱん、と頬を叩かれて、エレーナは一瞬足元がぐらついた。
けれど、倒れなかった。
背筋を伸ばし、凜とした表情でトビアスを見る。
トビアスは震えた。
目の前が真っ赤になって、ふーっと毛を逆立てて怒る。
こいつだ。こいつが元凶だ。
こいつさえいなければ。
「おま、お前のせいだ……。お前が何かしてたんだろう、おまえが」
「あら。こうなったのはお兄様のせいでしてよ」
「俺は何も悪いことはしてない! お前が裏で糸を引いてたんだろ! クソっ!」
「うふふ。あなたがそんな態度だからみなさん逃げたのでは?」
くす、とエレーナが笑う。
その瞳には侮蔑が浮かんでいた。
「上に立つ者は、みなの人生を左右するだけの責任がありますの。お兄様はそれを理解しておりまして?」
トビアスは、一瞬息を呑んだ。
脳裏にリンドベルグに社員を送った時の記憶が蘇った。
みなが言っていた。「病気の母親がいる」「生まれたばかりの子供がいる」と。
けれど、トビアスの計画の方が大事だと、無理やり言いくるめて僻地へ向かわせた。
「で、でも、会社の……一大プロジェクトなんだ。俺が、雇ってやってるんだ。俺は社長だ。俺の言うことを聞くべきだ」
「あらあら。ほんとに分かってないのね」
「馬鹿にするな! なにを……」
トビアスはエレーナの胸ぐらをつかんだ。
ぎりぎりと歯を食いしばり、荒い呼吸で睨み付ける。
エレーナは涼しい顔をしていた。
「あなたに雇う自由があるように、従業員にだって上に立つ者を選ぶ自由があるのですわ」
トビアスは目を見開いた。
「あなたは選ばれなかっただけということ。ザントクラーデの社員が優秀なのが仇になりましたわね。優秀な人材というのは、冷静に自分の居場所を選べるのですわ」
にこりとした笑顔が、棘のようだった。
トビアスは目の前がぐらりと揺れた。
俺が選ばれなかった?
あいつらは、俺よりエレーナを選んだっていうのか?
なんで。俺は、由緒正しいファルネリア家の、正当な一族で。
それなのに、庶民の血を引く、この卑しい女を選んだのか。
ニセモノなんかをせっせと作る、馬鹿みたいな事業に手を出す、この女に。
ーーーー俺が、負けた?
胸ぐらを掴んでいた手から力が抜ける。がくりと膝から崩れ落ちる。
大量の退職届が床に落ちている。
けれど、もうトビアスの視界には入っていなかった。
「ではトビアスお兄様。わたくしの用は済みましたので帰りますわ」
エレーナは微笑んで足元のトビアスに声をかけた。
トビアスはびくりと肩をふるわせ、怯えた瞳で見上げる。
かえるのか、
やっと、エレーナが帰ってくれる。
悔しさもあるが、安堵も同時に込み上げてきた。早くエレーナから逃げたかった。
仕返しはまた今度でいい。まだチャンスはある。
今いる社員がいなくなったって、別にまた募集すればーーー
エレーナは弁護士を連れて、ゆっくりときびすを返す。
優雅な動作だ。
勝者の余裕すら感じられる姿に、トビアスは惨めさが込み上げてきた。
「あ、そうだ」
扉のすぐそばで、エレーナは足を止めた。
「もうひとり、お兄様にご用がある方がいましてよ」
開けっぱなしの扉から入ってきたのは、こちらも威圧感のあるスーツの男だった。
トビアスは息を呑む。
「ガルデーニエ王国財務監察院のゲオルク・ハーゲンバッハと申します。ザントクラーデ総合商会の経営状況の調査を行っておりました」
ーーーーは?
なんだ、なにがおきている。
トビアスは口を開けて、ただ、目の前の男を見上げた。
言ってることが理解できない。
「資金繰りの状況を鑑み、事業継続は困難だと判断されました。速やかに破産手続きを行ってください」
スーツの男・ゲオルクは淡々とした声で告げる。
そして立派な鞄から大量の書類を取り出した。
数字とグラフが書かれている。
ザントクラーデの資産の調査結果のようだ。
だが。
ーーーーどういうことだ
「いつ、の間に、調査なんか……」
「経理の方より相談を受けておりました。あなたのサインもありますが、まさか書類を確認しないままサインしていたのですか?」
トビアスは、白い紙に目を落とす。
見たことある気がする。よく分かんなくて押しつけてたやつだ。
確かによく読むと"破産"や"負債"などの言葉が並んでいる。
でも、まさか、まさか、会社を通報する書類だなんて、思うわけないじゃないか。
「ではトビアスお兄様。破産手続き、頑張ってくださいね」
エレーナは、にこりと笑って部屋を出た。
トビアスは膝をつきながら、その後ろ姿をただ見送るしか出来なかった。
第三十五話は明日の12時20分頃投稿予定。
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