第34話 今すぐスパイを排除しなければ
季節が巡り、春が来る。
一年が経ち、また一年と経っていく。
気がつけば金山発掘プロジェクトは停滞していた。
トビアス・ファルネリアは薄暗い執務室で爪を噛む。
おかしい、なんでだ。
リンドベルグに送った社員がみな帰ってこない。
これまで少なくない、いや、会社の八割ほどの人間をリンドベルグに送っているのに、誰も帰ってこない。
進捗を手紙で尋ねても「難航しています」とだけ返ってくる。
いや、それだけならまだマシだ。
リンドベルグから来る手紙のほとんどは退職届だ。
最初は辺境での生活に、精神でも病んだのかと思っていた。
辞めていったヤツは忍耐力が足りない。
所詮は使命感のない貧乏人だったか。
そう思い、不足が生じる度に新しい社員を送っていたのだが、金山発掘プロジェクトは遅々として進まなかった。
本社の社員の退職も増えている。
会社全体で軋轢が生まれ、取引先も減った。
ボーナスどころか毎月の賃金だって支払うのが厳しくなっていた。
ギスギスした、イヤな空気が社内に立ちこめている。
ーーーリンドベルグの金山が見つかるまでの辛抱だ。
トビアスは信じていた。
金山が見つかって”本物”のアクセサリーを売り出せば、エレーナのニセモノなんか簡単に駆逐できる。
そしたら赤字もチャラにできるし、それどころか会社を回復させたスターになれる。
そう、いまだけ。いま、耐えれば良い。
執務室にこもってがりがりと爪を噛み、込み上げてくる焦燥感に耐えた。
机に積み上がる書類は難しくてよく分からない。
説明してくれた優しい秘書は辞めてしまった。
ただ「サインしてください」と事務員に言われるから、サインをする。
馬鹿と思われたくなくて、何が書かれた書類かも分からないまま。
「トビアス様、お手紙です」
新しい秘書が手紙を届けに来る。
トビアスは顔が強ばりながらも、受け取った。
また退職届だ。
見慣れたものだが、その文字に虚しさが込み上げてくる。
いつもならサインをして「さっさと辞めろ」と言うのだが。
急に苛立ちが込み上げてきた。
ーーーお前らがさっさと金山を見つけてれば、会社の状況だってもっとよくなるんだ。
仕事の成果も出さないで、勝手に放り出して。
しかも手紙一枚で終わらせるだと? 責任感がないのか。
もう少し待てないのか。辛いのは今だけなんだから、だからーーーー
トビアスは届いたばかりの退職届をびりびりに破った。
白い紙が絨毯に散る。
忌々しい「退職」の文字を革靴で踏み付けて、トビアスは秘書に吐き捨てた。
「お前は何も届けていない。いいな」
「……お返事はどうしましょう」
「来ていない手紙に返事など出せない。わかったら仕事に戻れ」
秘書はしばらく黙っていたものの、すっと頭を下げ、業務に戻っていった。
そして、いつもと変わらぬ日々を過ごしていた、ある日。
仕事が終わってテオのバーに向かおうとしていた時。
信頼していた部下のパウルが、エレーナと会っているのを見てしまった。
トビアスは息を呑んだ。
しかも、パウルの隣にはマティアスもいた。あの、刃向かってきたムカつく元社員。
彼らは通りで談笑していた。親しげで、もう何度も顔を合わせているとすぐ分かった。
ーーーなんでエレーナと
トビアスは頭が真っ白になった。
確認しに足を向けた途端、ちょうど彼らの乗る乗合馬車が来てしまった。
通りでひとり、トビアスはぽつんと立つ。
目の前の景色がまだ受け入れられず、ただ、どういうことだと考えた。
見間違いか。
偶然会っただけかもしれない。いや。
ーーーここのところ社員の退職が続いているのは、あいつの裏切りのせいか。
そう考えればそうとしか思えない。
こんなに退職が相次ぐのはおかしい。
パウルがエレーナに会社の情報を渡してたんだ。
いや、あいつだけか?
もしかしたら、もっといるかもしれない。
エレーナのスパイが。
体中の血の気がサッと引いた。
トビアスは急いで会社に戻る。
誰がスパイだ、排除しなければ。雇ってやってるのに裏切るなんて。
トビアスは棚に詰まっている社員のファイルを探る。
退職者の分も含めて、なにか情報がないかと、必死に探した。
焦りと、怒りと、悔しさと。ぐつぐつと沸騰してくる感情はもうなんだか分からない。
いつからだ、ちくしょう。
エレーナのやつ、何をしていたんだ。
ふざけるな、馬鹿にしやがって。
翌日、トビアスは緊急集会を開いた。会社に残っている社員全員を会議室に呼び出した。
広い会議室にはちらほらと社員がいる。
もうかなり人が減っている。
ざわざわと、何が起きたんだと不安そうに顔を伺い合っていた。中にはパウルもいた。
「パウル・リープマン、前に出ろ」
トビアスは鋭い声で告げた。
パウルはびくりと肩をふるわせる。何も分かっていないような顔で。
トビアスはチッと舌打ちをした。
白々しい、クソ野郎が。
パウルはゆっくりと前に出る。
全員の視線が集まった。
「お前、昨日、エレーナとマティアスといたな。何をしていたんだ」
パウルは顔を強ばらせ、息を呑んだ。
トビアスは察する。やはり見間違いではなかった。
こいつはスパイだ。
「エレーナに、敵に、情報を渡してたんだろ」
「……っ」
「業績が回復しないのも、金山プロジェクトが進まないのも、お前のせいか。お前が敵に情報を渡して、邪魔をしてたんだな!」
トビアスは口にする度に体中が熱くなっていった。
興奮で、怒りで、もうわけが分からない。
そうだ、ザントクラーデの事業が行き詰まってるのは、全部こいつらのせいだ。
こいつらが邪魔をしているから。
そうじゃなかったら、いまごろ偽ダイヤなんかなくなってたのに!
トビアスは怒りにまかせ、パウルの頬を殴った。
それでも収まらなかった。
「この裏切り者が! お前なんかクビだ! 損害賠償を請求してやる!」
唾を飛ばして怒鳴ると、パウルは身を縮こまらせる。
「すみませんでした」とか細い声でパウルが呟くと、トビアスはやっと拳を収めた。
ふー、と荒い息を整えながら、痛む拳を撫でる。
パウルは頬を庇い、背を丸めて、震える。
その姿に少し溜飲が下がった。
会議室は緊張に包まれた。
様子を見ていた社員は唾を飲み込み、体中が強ばっている。
トビアスは彼らに鋭い視線を向けた。
「お前ら、お前らの中にもまだスパイがいるんじゃないのか? 早く出てこいよ。なあ。図星か?」
ちらちらと、あたりの社員が視線で会話をする。
一触即発の空気感にトビアスは舌打ちをする。
やはりいる。このゴミ虫めが。
革靴で大きな足音を立て、歩く。
近くに立つ社員の胸ぐらを掴もうとした、瞬間。
「暴力は犯罪行為でしてよ」
会議室の扉が、開いた。
途端に身を強ばらせていた社員たちは瞳を輝かせる。
目に涙を浮かべて「エレーナさん!」と、嬉しそうに扉に駆け寄っていく。
その場にいた社員全員が。
トビアスは息を呑んだ。
ぽつん、会議室の中心でひとり立ち、扉の方に目を向ける。
エレーナ・ファルネリアが不敵な笑みを浮かべていた。
第三十五話は18時20分頃投稿予定。
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