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第29話 わたくしの会社で働くのはいかが?

ザントクラーデ総合商会の一室で会議が行われている。

その中にはマティアス・グリューンベルクもいた。

円卓に、十人の役員が息を殺して座っている。


マティアスは視線を上げられなかった。




筆頭株主ーーートビアス・ファルネリアが真っ赤な顔で、部屋に怒鳴り込んできたのだ。




トビアスはずかずかと足音を立てて会議室に入り、ばん、と円卓を叩く。

席はひとつ空いているが、座らない。

それほどに頭に血が上っているようだ。


「おい、これはなんだ。なんで俺の株の比率が下がっている」


資料には、トビアスの保有する株の比率が記されていた。49パーセント。過半数に届かない。

昨年、トビアスの暴走を止めるため、役員全員で決議をし、株式を秘密裏に発行した。

それがバレたようだ。



「お前ら、俺を馬鹿にしてるのか? 俺はファルネリア家の人間だぞ!?」

「い、いえ、そんなことは……」

「言い訳をするな! 勝手に俺の会社を動かしやがって!」


社長がなだめようとすると、トビアスが叫ぶ。

今まで散々会議の邪魔をしてきたことを全て棚に上げて、非難の言葉を浴びせる。

役員一同は口をつぐんでいた。




結果、昨年新しく発行した株を全てトビアスに譲ることになった。トビアスの株式比率は過半数に戻ってしまった。



くそ、面倒なことになった。

どうにか追い出せないかーーーー。

これでは、トビアスが拒否権を発動できてしまう。


マティアスは唇を噛んだ。





「お前、社長だったな。株主を騙すなんて信じられない。お前はクビだ」





突然、トビアスは社長を指さし、鋭く言い放った。

座っていた社長は、は、と息を呑んだ。


「代わりに俺が社長になる。もうお前らには任せられない。いいな。拒否するヤツも全員クビだ!」


会議室に、トビアスの怒号が響き渡る。

音がビリビリと伝う。

座っている役員が顔を上げ、目を合わせた。

みな、状況が飲み込めていない。




「……わ、わかりました。では、ただいまより、ザントクラーデ総合商会の社長は、トビアス・ファルネリア様に任命されました」




ーーーーは?


司会の声に、マティアスは頭が真っ白になった。

社長…いや、前社長は愕然とし、顔が真っ青になっている。

重役も手が震えている。

隣に座る同僚と視線が合ったが、言葉は出てこなかった。








前社長は部屋を追い出された。

そして、空いた席にトビアスが座る。


「いいか。俺が社長になったからには、ザントクラーデを復活させる! ファルネリアの名にかけて!」


トビアスはやる気に満ちていた。

その勢いは役員たちを呑み、トビアス以外誰も口を開けない。


悪夢を見ているようだ。

マティアスはすべてに現実感がなかった。

ただ、何か自分にとって最悪なことが起きているということだけは、わかった。


資料を握る手に力が入る。ぐしゃり、紙が潰される。



今日は偽ダイヤ事業についてプレゼンしようと思っていた。

舞踏会で聞き込みをし、ガラスの製造会社にも話を聞いた。他部署とヒアリングも行った。

これで偽ダイヤ作成に舵を切れると、確かな期待を抱いていた。


ーーーこれは、どうなる。





「おい、黙ってんなよ。やる気ないのか?」

「……」

「おい、そこのお前! お前がプレゼンする番だったよな、言え」




マティアスは肩をびくりと震わせた。

トビアスの視線は自分に向いている。


……これは、目立たない方がいいのか、いや……。

マティアスは唾を飲み込んだ。



いや、俺がやるべきだ。

だって、自分は間違っていない。

少なくとも、目の前の新しい社長よりは、市場を分かっている。

自分はいくつものパーティーに参加し、何百人ものひとに意見を聞いた。

国内外の無数の資料も読み込んだのだ。


マティアスは自分を奮い立たせた。



「私が提案するのは、ザントクラーデ総合商会で”偽ダイヤ”の製造を手がけるというものです」

「は?」

「貴金属部門での打撃は”偽ダイヤ”によるもの。いまや市場は”偽ダイヤ”が席巻しています。ほかの商品を打ち出すよりーーー」

「お前! 俺を馬鹿にしているのか!」



マティアスの声を遮って、トビアスが唾を飛ばして怒鳴った。

隣に座る同僚が怯えたように「ひぃ」と零す。



マティアスは背筋を伸ばし、トビアスの前に立つ。

真っ直ぐに瞳を見て、資料を掲げた。


「いいえ、事実です。令嬢たちにアンケートをとりました。金のアクセサリーより偽ダイヤがいいと、」

「そんな格下貴族の言うことを真に受けてるのか! この間抜け!」

「しかし! 我が社の顧客はーーー」

「黙れ黙れ黙れっ!!」


トビアスはマティアスの資料を奪い、びりびりに破る。

数字が書かれた紙が舞う。マティアスが必死に集めた資料だった。

マティアスは震える拳を、ぎゅっと握り締めた。


「お前、俺がエレーナに負けたって言うのか? 俺に、エレーナの真似をしろって言うんだな?」

「……っ」

「ザントクラーデは格式高い商社だぞ。あんな庶民の偽物を真似るなんて、許されるわけないだろう!」


ばん、とトビアスはテーブルを叩く。

怒号がびりびりと肌を伝った。


しんと、役員たちは息を呑む。

みな、恐怖にひきつった顔をしていた。





「……では、俺は辞めます」





マティアスは呟いた。

円卓に座っていた役員たちが、心配そうな表情でマティアスを見つめた。

縋るようでもあり、不安そうでもあった。

同僚は今にも泣き出しそうなくらい、眉根を寄せていた。



トビアスがじろりとマティアスを睨む。

マティアスは背筋を伸ばした。


「あなたのもとでは働けない。俺は辞めます」

「はっ。馬鹿だな。お前の代わりなど無数にいるんだ。また働きたいと言ってももう戻れないぞ」

「かまいません」


トビアスは鼻で笑った。

この大企業を辞めるなんて馬鹿だ、と、見下すように。


「お世話になりました」


マティアスは丁寧に頭を下げて、会議室を出た。










その日、マティアスは家に帰るのが億劫だった。

バー・クレーエに早い時間から入った途端、テオが首を傾げた。

「ちょっと時間できてさ」と眉を下げて笑う。

テオは微笑んでジントニックを用意した。


夕刻。

いつもなら会社で資料をまとめている時間だが、もう仕事はない。

カウンターに力なく腰掛ける。ジントニックのグラスを持ったまま、ただ黙っていた。

しゅわしゅわと炭酸が抜けていく。


「どうされました? マティアスさま」

「あー……うん、仕事でさ」


笑う言葉にも力が入らない。

まだ何が起きたか自分でもよくわかっていないのに、人に説明するなんて難しい。


「実は、社長がトビアスになった。あの筆頭株主」

「……あら」

「それで、……俺は、会社を辞めてきた」


それだけ言うと、ふっと肩の力が抜けた。



ああ、辞めたんだ。

カウンターに座る感覚が戻ってきた。

お尻に伝わる木の椅子。手にしているグラスの冷たさ。

薄暗い店内を暖かく照らすランプと、テオの心配そうな表情。


「辞めたんですか」

「ああ……うん。勢いだったけど……なんか、あのひとの言うこと聞いてるの、馬鹿らしくなっちゃって」


グラスを口につける。

シュワッとしたジントニックが喉を通った。気持ちが良い。

けど、気分は晴れなかった。


生活はどうしよう。もうすぐ子供が生まれるっていうのに。

妻にはなんて説明すればいいのか。いまの使用人たちは雇い続けられるだろうか。親族だっていい顔をしないだろう。


ぐるぐると、一気に不安が溢れてきた。

トビアスが社長になったのは、いつもの一時の気まぐれかもしれないのに。

そのせいで人生を棒に振るなんて馬鹿なことをしてしまっただろうか。


後悔と自己嫌悪が溢れてくる。ジントニックの炭酸が抜けていく。

唇を噛んで、カウンターを見つめる。


「働き口はあるのですか?」

「……どう、だろうな。もう新人って年でもないし……」


涙も出てこない。

ぎり、とグラスを握り締めた。







「マティアスさん、気を落とさないで」


店の奥にいたレナが声をかけてきた。

にこりと笑って、隣に腰掛ける。


「……レナ」

「マティアスさんと働きたがる人はたくさんいますわ。あなたはとっても素敵な人ですもの」

「あり、がとう。でも、そんな……会社ってそんな簡単なものじゃないんだよ」


乾いた笑みを浮かべる。

伝手を辿って就職しても、おそらくトビアスがマティアスの悪口を言うだろう。

マティアスに非がなくとも再就職は難しくなる。

少なくとも王都や、ザントクラーデに近い企業は諦めなければならない。



「では、わたくしの会社で働くのはいかがですか?」

「え? バーで? 俺、料理できないよ」

「違いますわ」


レナはにこりと笑う。

そして、懐から一枚の名刺を取り出した。


「わたくし、リンドベルグ・ジェムテック社の社長、エレーナ・ファルネリアと申します」

第三十話は明日の12時30分頃投稿予定。

ブクマ&☆5評価、ぜひぜひよろしくお願いします!!

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