第28話 アイツさえいなければ
マティアス・グリューンベルクは疲れていた。
ザントクラーデ総合商会で働く彼は、ここのところ帰りが遅くなっていた。
昨年十月のルイーズショックから株価が50パーセント下落し、業績を立て直すのに必死だった。
三年前に結婚した妻は妊娠している。双子だと医者が言っていた。
妻のお腹を撫でて「楽しみだ」と、ふたりで名前を考えている時は幸せだった。
けれど、今はそんな余裕はない。
今期のボーナスは当然出なかった。
もうすぐ家族が増えるのに、どうしてこんな目に。
焦る気持ちばかりが募るものの、仕込んでいたエンターテインメント事業でヒットが出て、いくらか業績は回復した。
胸をなで下ろすのもつかの間、やはりメイン事業の貴金属で赤字を取り戻さなければならない。
マティアスは貴金属部門の立て直しを担当することになった。
そして、胃に穴が空くような日々が始まった。
からん、と軽い音を立ててベルが鳴る。
バー・クレーエ。
王都の城下町、奥まった裏路地にある小さなバー。
ザントクラーデ総合商会からはやや離れており、仕事で煮詰まったときに立ち寄る。
「いらっしゃいませ、マティアス様」
「ああ、テオ。いつもの頼む」
「かしこまりました」
薄暗い店内、カウンターに立つのは黒地に銀糸が入ったジャケットを着た男。
白銀の髪をまとめ、にこりと笑う。
バーテンダーのテオだ。
経歴などは一切不明だが、カクテルを作る腕前は一流。
マティアスはテオとの会話をいつも楽しみにしていた。
「今日もお仕事ですか?」
「ああ、例の株主がうるさいんだよ。何も分かってないくせにさ。今までろくに会議にも参加しなかったくせに……。今日なんか、会議中ずっと喚いてた」
「大変ですね。彼をなんとか出来ればいいですね」
「そう、それなんだよ」
カウンターに座ると、溜まっていた愚痴が溢れ出した。
勢いよくまくし立てる。
「あいつ、親から相続した株があってさ。うちの筆頭株主なんだ。しかも過半数持ってたから、あいつが拒否したら全部進まなくなるんだよ。マジヤバかった」
「ヤバかった? 過去形ですか?」
「ああ、そうそう。去年手を回しておいた。あいつの割合を半数以下にしたんだ。最悪アイツを止められるように」
「ほう。頑張りましたね」
ふう、とマティアスは興奮気味に息を吐いた。
昨年のルイーズショックの直後、ザントクラーデ総合商会は臨時の株主総会を開いた。
そこで秘密裏に株式を追加で発行した。残りの役員全員が協力すればトビアスを止められるように。
その次の会議からトビアスが毎回参加するようになったので、本当にギリギリだった。
みな、トビアスの思いつきの行動にはほとほと困っていたのだ。
昨年、会社を自慢するためか、付き合っている彼女を連れて経営会議に乗り込んできたことがある。
「株主命令だ、彼女に宝石をあげろ」と無理やり会社の在庫から商品を強奪した。
しばらくしてその彼女とは別れたようだが、その時も「彼女が機嫌を損ねたのはお前らの宝石のせいだ」と怒鳴り込んできて、会議が止まった。
おかげで大事な交渉が滞り、一億ほどの商談がパーになった。
マティアスが半年ほどかけてじっくりと口説いていた相手が、やっと興味を持ってくれた時だったのに。
だから、トビアスが過半数の株を持っていることを、社員全員が恐れていた。
経営はある程度決断のスピードも求められる。
事業経営には知識も、意見のすり合わせも必要だ。
ただの思いつきで命令されたら仕事にならない。
どうせなら会議に参加しないでいてくれればいいのに、気まぐれで顔を出すからたまらない。
今までのことを思い返すとイライラが蘇ってくる。チッと舌打ちした。
テオがことり、と静かにグラスを置いた。
繊細なグラスの中、透明な酒に炭酸が爆ぜる。
ジントニックだ。ライムの爽やかな香りとジンの味がたまらない。
ひとくち含むと、喉の奥がカッと熱くなる。
くう、イライラがぐっと消えていく。
「その株主は何と言っているんです?」
「ああ、あいつね。ホント、何もわかってない。偽ダイヤに奪われた市場を取り戻せって言う。まあ、そこまではいいんだよ。俺たちだって取り返したい。けど、そのあとがひどい。あいつ、『本物のダイヤを売って価値を戻せ』って言ったんだ。いや、ムリムリ。そもそも数ないし、売れないもん」
マティアスは深い息を吐いた。
市場はもうダイヤの価値を誰も信じていない。
そもそも流通も少なかったから、打撃を受けるのは一部の貴族だけ。
多くの人間からすればゴシップのネタにしかなっていないのが実情だ。
「で、あいつ、『じゃあ金や銀のアクセサリーで偽ダイヤを放逐しろ』って言ったんだ」
「へえ。金や銀で。できるんです?」
「いやいや、ムリだね。勝てるわけがない」
マティアスは鼻で笑った。
マティアスは立場上、多くの舞踏会やパーティーに参加している。
ザントクラーデ貴金属部門のメインターゲット層は”舞踏会によく出席する若い令嬢”だからだ。
さりげなく会話し、彼女たちが何を望むかを調べ、仕入れる。
そこで判明するのは、みなユリウス王子が身に付けている偽ダイヤのイヤリングに憧れを持っていること。
小さくてもキラキラした宝石があれば、それがステータスになっていること。
一方、金や銀のアクセサリーは価格の割に派手さはない。どちらかというと年配の方のアクセサリーというイメージがあるようだ。
どうせなら偽ダイヤを選びたいというのが、多くの令嬢たちの本音だった。
チッと舌打ちすると、店の奥から若い女の子が出てきた。
ロングの赤毛をたばねて、きりっとした顔が可愛らしい。
彼女はマティアスの前におつまみのお皿を置いた。ガーリックシュリンプだ。
ほのかなガーリックの香りが鼻をくすぐり、食欲がそそられる。
「あれ、俺、頼んだっけ?」
「いいえ。わたくしからの差し入れですわ。お疲れのようですので」
「ありがとう。気が利くね。新しい子?」
テオがさりげなく紹介する。
「ウェイターのレナです。カクテルが作れないのでまだ見習いですが、料理ならできますよ」
「よろしくお願いいたしますわ、マティアスさん」
「よろしく、レナ。美味しそうだね」
レナはにこりと笑う。
「あ、そうだ。ねえ、レナ。お願いがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「若い子の意見が聞きたいんだ。ちょっと時間もらえる?」
レナは首を傾げながらも、そのままマティアスの隣に座った。
テオがレナの前にグラスを置く。酒ではなさそうだ。
「レナは"偽ダイヤ"って聞いたことある?」
「ええ。みなさん興味を持っているみたいですわね」
「だろ、そうだろ。やっぱ貴族だけじゃないんだよ、もう。じゃあさ、金や銀のアクセサリーってどう?」
「んー。どちらかというとダイヤの方が綺麗だなと」
やっぱり! とマティアスは叫んで、ぎりぎりと歯を食いしばった。
「やっぱり、そうなんだよ。もう市場は偽ダイヤなんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだよ。ガラスで偽物の宝石を作るなんて……くそっ! 悔しい。俺が思いつきたかった。そうすれば今ごろ大儲けできたのに!」
ぐいっとジントニックを飲み、はぁ、と息を吐く。
マティアスは興奮していた。
テオが二杯目を作った途端、また飲み干す。ペースが速い。
「だから、俺はむしろ”偽ダイヤ”をうちで作れるようにするほうが良いと思うんだよ」
「作れるんですか?」
「わからない。……いや、でも、できるはずだ。やり方さえ分かれば……。原材料はガラスらしい。特殊な材料って訳でもないだろ。うちは世界中にコネクションがあるんだから、リンドベルグの偽ダイヤよりずっと安価で、質の良い物を作れる」
「まあ、すごいですわ」
隣に座るレナは、きらきらと楽しそうに相槌を打つ。
マティアスはガーリックシュリンプをひとくち食べた。
美味しい。塩気も強く、酒が進む。
今まで溜まっていた鬱憤を晴らすように、熱心に、レナに展望を語った。
「でも! あいつだよ! あの、なんも分かってない馬鹿が! あいつさえいなければ!」
マティアスはぐらぐら揺らぐ頭で叫んだ。
レナは瞳を輝かせて聞いていた。
第二十九話は18時10分頃投稿予定。
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