第3話 どうやら子育てされるらしいよ
飛行中、俺はドラゴンに猛抗議していた。
「だああ!」
「だあ!」
「ああ!」
口からはこんなふにゃふにゃな言葉しか出ないが、意訳すると「出してくれ~! ドラゴンの口の中という死と隣り合わせもいいところな場所から出してくれ~!」となる。
そんな猛抗議が通じたのか、ドラゴンは速度を落として地上――断崖絶壁の上に降り立った。
口を開け、俺をそっと地面に降ろす。
うっひょい、久しぶり地上、会いたかった地面。死地から帰還した俺をやさしく抱きしめてくれ。
「……グルル」
ドラゴンは喉を鳴らしている。
もしかして、ここはこのドラゴン兄さんの巣だったりするのだろうか。
俺の真正面にドラゴン兄さん、そして下は断崖絶壁。あれ、もしかして地面との再会をよろこんでる場合じゃない感じか??
もしかしてもしかして……俺はテイクアウトされたポテトよろしくここでばりばり食べられてしまうのだろうか。
いやだ~。まだ生後1日だぜ?? せめてもう少しファンタジーを味わいたいよぉ~!
ドラゴンの兄さんはぱっと人型になると、俺をそっと抱き上げる。
その手はあまりにもやさしい。
いや、食材を大事にするタイプかもしれないが……。どうもそんな感じじゃない。
ドラゴン兄さんを見つめる。
この場合、食べないでいてくれてありがとう、でいいのだろうか?
彼の瞳には困惑の色が浮かんでいる。俺だって困惑している。……どういう状況?
「小さい……」
しゃべった!
ドラゴン、しゃべれるんだ!
彼がおずおずと俺に指を伸ばしてくる。
ぷに。
そんな効果音がつきそうなくらいにぷにぷにの俺の頬をつつく。
やわらかさが気に入ったのか、何回も。
ぷにぷにぷにぷに。
もしかして、もしかしてだけど。
ドラゴン兄さん、赤ん坊好き……?
しゃあねぇなぁ、という気持ちでその指を握ってやる。赤ん坊なりのサービスである。
「……!」
おっ、よろこんでる気がするぞ。これはいけるのか? このままかわいさで篭絡できそうか?
ドラゴン兄さんはおっかなびっくりといった様子で俺を抱きなおす。
そして彼は――とろけるような笑顔を浮かべた。
……うん。これはいけた。
俺のかわいらしさにノックアウトしたな。よし、その調子で俺を母親のところに戻してくれ。あ、母親は俺を売ったんだった。ええっと、じゃあ適当に人間の孤児施設とかそういうところに連れてってくれないか?
「だあ」
……って、言いたいことはたくさんあるのに、まだしゃべれないんだった。
困った。俺って無力。あまりにも無力。
ドラゴン兄さんは俺を抱えたまま歩きだす。どうやら崖を降りるようだ。
え、降りる?? この断崖絶壁を??
俺が「だぁ」と制止するよりまえに、彼はまさにその崖に片手をかけた。
そして彼はひらりひらりと崖のでっぱったところからでっぱったところにひょいひょいと跳びうつっていく。
「だあああっ!」
俺は一応抗議の意思を示して叫ぶが、彼は構わず、右手に俺、左手に崖というスタイルで崖をおりていく。おおおお、おしっこちびりそうだ。
切り立ったその崖は海に面しているようで、下からは波が岩を削る音が聞こえる。
さっきまでここよりも高い空を飛んでいたというのに、いまのほうがずっと怖い。
やっぱり人間、非現実的なことに直面すると脳がバグるが、中途半端にありそうな現実だと脳がしっかり危険を察知してくれるようだ。ほんとうによくできている。
俺はぎゅっとドラゴン兄さんにしがみついた。
崖の途中までくると、大きな横穴があった。
彼はそこに入る。俺はほっと息を吐く。そしてまた息を吸った。――ここがドラゴンの巣ということだろうか。
そこは天井に小さな亀裂がいくつか入っていて、明るい光が剣のようになって差し込んでいる。
空間としてはかなり広く、ドラゴン兄さんが立ってあるけるほどの高さと、彼が両手をひろげても届かないくらいの横幅、そして入り口からは最奥が見えないくらいの広さがある。
ドラゴン兄さんは奥へと進んでいく。
……どうしよう、奥にチビドラゴンがいて俺がランチにされてしまったら。いや、すでに兄さんは俺のかわいさにメロメロだからきっと大丈夫、と信じたいが。
「ぐるるるる……」
ふいに、獣の威嚇するような声が聞こえた。
見ると、前方の暗闇に光る金の目が4対。
兄さん兄さん! なんかいるよ!
「だっ、だっ」
慌てた俺とは対照的に、ドラゴン兄さんはそれにゆっくりと近づく。
「久しぶりだな」
兄さんが声をかけると、暗闇から渋い声で返答があった。
「……お前か。何の用だ」
「頼みがある。助けてほしい」
暗闇の奥から一体の獣が出てきた――白い毛並みの、狼に、みえるようなきがした。ただし、それは人型になっているドラゴン兄さんよりずっと大きい。
えええ!? これ、狼いい!? それかでっかい犬か!? いや狼かな!? 猫ではないと思うけど!
哺乳類わからん! いや、これ哺乳類であってるか!?
「人の子か?」
うっへぇえ! 狼? がしゃべってるううう! ファンタジーだ!
「そうだ。……私の逆鱗を抜いた」
「……ほう」
「私の番だ。だが、幼すぎる。知恵を貸してくれ。どうしたらいい」
げきりん? つがい?
よくわからない言葉が続いたが、日本人らしく空気を読むに、ドラゴン兄さんが俺のことをこの狼に相談していることはわかった。
狼は声から察するに雄っぽい。狼兄さんだな。
よし、なら狼兄さん、俺もいっちょガンバリマス。
「だあ」
狼兄さんよ、俺の愛らしいボイスと愛らしい笑顔をくらえ。
彼は俺の1000%スマイルを見て、ゆっくりとしっぽを揺らした。
「こっちだ」
そして奥に俺たちを誘う。
……いけたっぽい。すごいぞ赤ん坊。笑顔ひとつで世界を掌握してるぜ。
洞窟の奥には、もう一体の狼が寝そべっていた。
「くぅ?」
愛らしく鳴く狼。彼女は鼻先を狼兄さんに摺り寄せる。
なぜ「彼女」だとわかるかって? それは彼女の寝そべった腹のところに、子狼がいち、に、さん、よん。つまり彼女は狼母さん、ということだ。ということは、狼兄さんは狼父さんだったということか。
しかし、こんな子育て中のデカ狼の巣の中で、いったい何をするつもりなんだ。
「こっちに来な」
狼母さんがしゃべった。もういまさらしゃべることにいちいち驚いたりはしないが、その声があまりにも絵にかいたような肝っ玉母ちゃんボイスだったのでちょっと動揺する。
前世でもこんな声音の母親にたびたび叱られたものだった。
俺が感慨にふけっていると、ドラゴン兄さんは俺を狼母さんの腹の傍に降ろした。
「だ?」
ふわっふわの子狼たち――といってもすでにゴールデンレトリーバーより大きい――がくりくりした目で突然現れた俺を見つめる。
彼らはぱたぱたとしっぽを振っている。敵視はされていないようで一安心。
「さあ……」
「だ?」
狼母さんの腹のところに顔を近づけられる。なんだなんだ。
困惑していると、すん、と鼻がなにかに反応した。
いい匂いだ。
ミルク、だろうか。甘いような、安心する匂い。
子狼たちはまるで手本を見せるように、狼母さんのミルクを飲みはじめた。
ドラゴン兄さんが促すように俺の唇をつつく。
……ここまでされれば、鈍い俺でもさすがにわかる。
どうするか。
いや、Dead or Alive だ。背に腹は代えられん。
でもなぁ……。人間としての矜持ってものがある、気がする。そんなことを言っている場合なのかは知らない。
「ほら、いい子だから、飲みな」
躊躇う俺だったが、懐かしい響きの声に背中を押されて、俺は狼母さんのそれに吸い付いた。