私の贖罪 貴女の祈り
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「ララ、このお菓子も美味しいわよ」
「は、はい! いただきます……」
アナスタシア……姉様のくださったクッキーなる物を口に含むと、サクサクとした軽い食感と共に甘く香ばしい味が広がった。美味しい、平民の時こんなの食べた事ない。貴族しゅごい。
「ふふ、そんなに緊張しなくていいのに」
アナスタシア姉様は軽やかに笑いながら紅茶を飲んでいる。滑らかなその所作も、輝くお日様みたいな髪も夏の空みたいに透き通った瞳も、とっても綺麗。ポーと見惚れてしまう。
ララスティーナ、姓はない、何処にでもいる平民。それが数か月前までの14歳の私だった。それがある日パン屋でせかせか働いていたら額がピカ―――! と光りだしたのだ。その光は天まで届き、程なくして白い上等な服に身を包んだ見知らぬおじいちゃん率いる人たちが私の下にやって来た。
おじいちゃんが「教皇」というとっても偉い人だとは後で知った。その時にはもうツルピカ頭をさわり心地が良さそうだと撫でてしまった後だったので私は失神しかけたが、おじいちゃんは「ふぉっふぉ」と笑うだけで許してくれた。
そしてそんなおじいちゃんに教えてもらったのは私が『聖女』という凄い力を発現したという事だった。光り輝く額はその証らしい。最初と比べて光は弱まっているが、それでも少しピカピカしていて目がチカチカする。
聖女という存在は『悪•浄化!』というなんとなくなイメージは知っていたが、平民にとってお金にもならないお腹の足しにもならない知識は直ぐに記憶から消す所存な為、かなり無知な私に、おじいちゃんは優しく丁寧に教えてくれた。
曰く、聖女とは五十年に一度現れるとされる厄災を封じ込める為に遣わされる神からの贈り物らしい。
それからおじいちゃんの下で修行を積んだ私は、ある日貴族の中でも一等偉い公爵家の中でも偉いとされるベルンハルト公爵家の養女になる事が決まった。聖女様とはとても尊い存在であり、聖女様を養子にするのはとても名誉な事らしい。
そしてベルンハルト公爵家の夫婦とその一人娘のアナスタシア様に対面する日がやってきた。今はなんかすげぇ子のような扱いを受けていても私は所詮平民。正直「調子に乗らないでよね!」位は言われる覚悟をしていた。だって3人共目つきが怖いんだもん。
だが、私が受けたのは――
「まあぁ! なんって可愛らしいの!」
「どうか僕の事は『お父様』と……」
「私は『姉様』呼びを所望しますわ! あぁ、可愛いっ」
熱烈な大歓迎、だった。正直びっくりだ。
そしてあれよあれよという間に手続きを終えて私は正式にララスティーナ•ベルンハルトとなった。
そんな風に姓がついた私がまずやられたのは、着せ替え人形だった。私のボブくらいの長さの茶髪に丹念に香油という物を塗り込められ、複雑に編まれていく。肌は日焼けしたのが分からなくなるくらい真っ白い粉をはたかれ、唇にはつやつやした物を塗られた。
そして、お母様、アナスタシア姉様、デザイナーによる討論の下私には色々な服を着させられた。どの服もいつも着ていた服みたいにチクチクしなくて柔らかい。そして数十着目かの水色の可愛らしいリボンが散らされたドレスでようやく満足したらしい。私は着せ替え人形から開放され、その格好のままカフェというお菓子や飲み物が売っているすんばらしい場所に行くことになった。
外の風景が見える席に連れてかれると、一冊の本を渡された。首を傾げる私にアナスタシア姉様が「ここに書かれている食べ物を頼めるのよ」と教えてくださった。だから私は暫く悩んだ結果、真っ赤な苺がこれでもかと乗ったパンケーキを頼むことにした。
少しの時間を置いてやって来たパンケーキは、公爵家のクッションよりもふわふわしていて、フォークで突き刺して食べると口の中でとろけた。苺はほんのり酸っぱくてパンケーキで甘くなった口をリセットしてくれる。側に盛られた生クリームを付けて口にいれると、じゅんわりと甘さが口いっぱいに広がって思わず身悶えしてしまう。
むしゃむしゃとがっつく私をお母様とアナスタシア姉様は優しく見つめる。ふと顔を上げると、アナスタシア姉様が少し苦笑して私の唇についていたクリームを指でなぞって取ってくれた。
「……どうしてこんなに親切にしてくださるんですか?」
「え?」
キョトン、とお母様もアナスタシア姉様も動きを止めて私を見つめる。水を飲んで口の中から甘さが流れていった私は、もう一度聞いてみた。
「私、聖女になったけどただの平民ですし……こんなに親切にされる理由が分かりません。どうしてこんなに親切にしてくださるんですか?」
街で生きている頃は、貴族様に薄汚れた姿を鼻で笑われる事なんて日常茶飯事だった。酷い時は杖で足を引っ掛けられて転ぶ時もあった。その時は決まって、彼らは私を嘲笑う。私は顔を赤くしながら、平民らしく阿呆そうに笑うことしか赦されなかった。
平民同士だってそうだ。両親もいないみなしごである私を、『ぞんざいに扱っていい物』と定義する人は多かった。勿論パン屋の夫婦みたいに優しい人もいたけど。
私に物を売ってくれない人もいた。路地裏に連れ込もうとする人もいた。
そんな人ばっかり見てきたのに、『聖女』という称号がついただけで親切にされるだなんて夢物語、簡単には信じられない。
下を向く私の手を、アナスタシア姉様がとった。白くてまろい手はあまりにも眩くて、ささくれだった私の汚い手が浮き彫りにされるようで恥ずかしくなった。だが私のそんな心の内を知らないアナスタシア姉様は儚く笑った。
「私、貴女にはとびきり幸せになって欲しいの。それが私の祈りで――」
最後の言葉は、小さくて聞き取れなかった。首を傾げる私にお母様は言う。
「私と夫はね、少し前からアナスタシアに言われていたの。『もう少し先の未来で、素敵な女の子に会う』って言われていたのよ。だから、貴女に出会えてとても嬉しかったのよ」
……それは予言だろうか? 予言ができるだなんて私よりも聖女様なのでは? と首を傾げながら私はアナスタシア姉様を見つめる。
アナスタシア姉様は曖昧に笑った後、私の口にパンケーキを入れた。
「ララ、愛してるわ」
その熱を孕んだ美しい瞳に耐えきれなくなって、私は目を逸らすように紅茶を飲んだ。くすぐったくて熱くて、涙が出てしまいそうだった。
そこで、頭がキーンと傷んだ。笑うアナスタシア姉様に、誰かの面影が重なる。私は首を傾げながら紅茶をもう一口飲んだ。
◇◇◇
侯爵家に引き取られたというララスティーナという少女が、私は嫌いだった。だってそうでしょう? 平民だという事を傘にして阿呆丸出しで。それでいて皆に愛される。
無知を理由に私の婚約者である王太子に近寄る。あぁ、本当に憎たらしい。私、アナスタシア•ベルンハルトにとって、ララスティーナは目の上のたんこぶで、とても憎い子だった。
あくる日、お茶会に殿下を誘ったのだが「まだララスティーナは不慣れだろう? 側にいてやりたいんだ」と言われ断られてしまった。惨めさで眼の前が真っ赤になったのをよく覚えている。
私は殿下に断られたから今一人でお茶会をしている。最近、何を食べても感じられない事に気づいた。甘いも辛いも酸っぱいも、分からない。私は口の中に放り込んだクッキーを、ガリ、とかんだ。砂を口に入れたような不快感だけが体を駆け巡る。ただ熱いという感覚だけはあって、私は自分という存在を守るように熱いお茶を口に流し込んだ。
私は段々、自分の心がどす黒くなるのが分かった。何をしていても、脳裏をよぎるのは阿呆丸出しで笑っているララスティーナの姿。あんな体たらくで厄災など本当に封じ込める事が出来るのかと鼻で笑っては、心を満たしていた。
でも、殿下が私のお茶会を断る度に、夜会へのエスコートに来ない度に、ララスティーナと仲が深まっているという噂が流れる度に、私が『聖女と王太子の仲を引き裂く悪女』だと陰で揶揄される度に、それでは我慢できなくなった。
ララスティーナを、突き飛ばした。階段の上で。すぐに彼女は手すりを掴んだから残念ながら怪我はしなかったけど、怯えた目を私に向けるのは何にも形容しがたい快感だった。胸がドキドキと音を立てた。聖女だからと私の上に立った女が、私のせいで怯えている。そんな快感に、私は段々身を委ねるようになった。
それからは、とても楽しかった。学園に通い出した彼女を私は罵倒し、部屋に閉じ込め、嫌な噂を流した。そうすれば次第に彼女は孤立し始めた。だが、その孤立こそがスパイスとなってしまったのか殿下との仲は深まるばかりだった。
殿下には再三「あの聖女との仲は近すぎる」と言ったのだが取り合ってもらえず、ララスティーナに嫉妬した醜い女として怒鳴られるだけであった。
そして、運命の夜会の日がやって来た。その日も私はエスコートしてもらえなくて、一人で夜会にいた。暫くすると、ピンク色の服に身を包んだララスティーナが殿下にエスコートされてやって来た。その顔は青ざめていて、私には苛立ちが募る。貴女がその道を選んでないでしょう? という怒りが。
そして、殿下は彼女を連れて私の前に歩いてきた。ニヤニヤと笑っていて、私が何か言いかけようとした時、私の言葉には興味ないと言わんばかりに殿下が声を発した。
「アナスタシア、お前の悪行はもう知っている! 聖女を貶めた罪、しっかり払ってもらうぞ! 婚約破棄だっ」
「何を……」
「お前がやったことは、全て知っているぞ!」
――なんだ、なんなんだ、なんなのだ!
「私を、どれだけ侮辱すれば気が済むのですか!」
そう叫んだ途端、私の体を黒い靄のようなものが包んだ。それは私の体に侵入してきて呼吸を、行動を、感情を奪う。
「……厄災!」
そう、ララスティーナが叫んだ瞬間私は理解した。私は巣食われていたのだと。
そのまま眼の前が赤くなる。私は捕えにきた騎士たちを吹っ飛ばし 、殿下の首を掴んだ。ギリギリと締めるように握ると、段々殿下の顔が青白くなっていく。
「お前も、あの女も死んでしまえ!」
「――駄目っ!」
あともう少し、そんな所でララスティーナが私に抱きつき床に倒れ込む。そして顔を上げた私の目に写ったのは、何処までも真っ白な世界だった。
幾分か呼吸は楽になっていて、私はゆっくり息を吐きながら周りを見渡す。
そうしていると、空気から溶け出る様にしてララスティーナが現れた。さっきまでとは違い白いドレスに身を包んでいる。だから私はできる限りの罵声をした。
「お前の、お前のせいでっ。どうして私が、こんな目に合わなければいけないのよ!」
「……ごめんなさい」
頭を深く下げているララスティーナは、私が思っていなかった事を告げた。
「アナスタシア様に罵倒される度に、安心していてごめんなさい」
「……へ?」
その突拍子もない言葉に私は我に返った。
「私に、王太子殿下を断る程の強さはありません。所詮は平民なのですから。私が訴えても、『平民なのだからララスティーナには貴族のしきたりが分からないのだろう? これは合っているのだよ』そう言われるだけでした。何度言葉を重ねても、私の想いが届くことはありませんでした」
「うそ」
「だから私は、貴女にやられる度に私の考えは間違っていないのだと安心して、いたんです」
そうだ、彼女はいつだって怯えていたじゃないか。私と同じ、被害者だった。どうして、彼女の揺れるあの瞳から目をそらし続けたのだろう。
自分の醜悪さに、喉が鳴った。
「ごめんなさい」
気づいた時には口から出ていた。彼女は横にふるふると首を振るうと、私を抱きしめた。温かいけれど骨ばった体は、それだけでララスティーナが置かれていた環境を彷彿とさせた。
私がララスティーナに身を委ねると、体がスッと軽くなる。
「これが、私の贖罪です。今厄災は私の体の中にあります」
私は何も言葉が出なくてただララスティーナを見つめる。彼女の体は、段々白い光の粒になった。「待って」それは言葉にならなくて。私は強く強く抱きしめる。それでも私の手から零れ落ちていくようにララスティーナは儚くなっていく。
嫌だ、嫌だ。私は貴方に言わなければならない事がいっぱいあるのに。
私の耳元で、ララスティーナは吐息を含んだ声をもらした。
「あぁ、次に生まれ変われたら、もっと幸せに、なり……」
言葉は最後まで続かなかった。
そこで、時間が巻き戻った。白い空間が弾けるようにして、私の体が激流にのまれるように時が戻る。その激流が止まった時、私はベッドの上にいた。
巻き戻ったのは、ララスティーナに聖女の力が発現する2ヶ月前だった。それから私は、ララスティーナの捜索と王太子の排除、そして厄災について勉強し始めた。
ララスティーナ探しは難航した。それもそうだろう。昔の私は彼女に興味がなかったから生まれや今まで何をしていたのかなんて分からないし、この国に平民は500万人いる。平民は出生届けを出す義務もないため、彼女を探し出すなど砂漠から1グラムの金を見つける程に難しかった。
殿下の排除は、とても簡単だった。殿下はこの頃から『お気に入り』がいたらしく、雨の日、馬車に乗ってその『お気に入り』の所に行くときに細工を施した。
馬が暴れる薬を使っておいたのだ。薬は作用する為に1時間を要するから私が何かしたとは皆思わないだろう。そして、ぬかるんだ道で馬が暴れたことによって崖から落ちた殿下は、生命を落とすのは至らなかったが、体が麻痺し、一生人の介護無しでは生きていけない体になった。だから北にある貴族用の牢獄で、体が麻痺した殿下の世話は『お気に入り』に命じた。私はいたく陛下に同情された。
そして、王位は第二王子が継ぐこととなった。
それから最後は厄災について。私は最初『厄災が現れるから聖女が生まれる』と思っていたのだが、真実は少し違って『聖女が生まれると厄災も現れる』らしい。太陽があるから影が出来る様に、聖女という太陽が生まれるから、厄災も現れる。聖女が現れるのが50年周期というだけだった。
そこで私は一つの仮説を立てた。ララスティーナは消える前、厄災をその身に封じ込めたと言っていた。そして、私の記憶がのこっている様にこの世界はただ時間逆行をしたわけではないはずだ。つまり、ララスティーナの中に、厄災はいる。そして厄災は、絶望や怒りが頂点に達した時現れる。
――それなら、ララスティーナを一生幸せにしてしまえば良い。暗いことを考える暇などない程に。幸せにすれば良い。
その結論が出た3日後、天に光が上った。昔も見たことのある光。聖女が生まれた証。
それから私はララスティーナを誰の養子にするかで名乗りを上げ、無事に妹にする事が出来た。
◇◇◇
ララはよく笑う。とても小さな事でも。今日の紅茶が美味しい。髪を綺麗にしてもらって嬉しい。優しくされて嬉しい。
そんな貴女の笑顔を見る度に、私は心が痛くなる。あぁ、私は貴女に色んな事を教えてあげたい。屑な王太子なんか殴ってもいい事。もっともっと、世界には美しい物があるという事。私はとても狡くて卑怯だけど、貴女が大切で、幸せを願っていること。
ララを愛しているだなんて言う資格、もう私にはないけれど、貴女の幸せを手伝う事は赦して欲しい。
それが貴女の祈りに報いる私のただ一つの贖罪なのだから。
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