3月の夢
空にはアクアマリンを砕き、まき散らしたような星が浮かんでいた。
辺りには空を隠すような大きな建物は無く、パノラマの夜景を見る事が出来、町を包む空気は日に日に暖かくなっていた。
春は僕たちの歩くスピードに追い付き、そしていち早く越えて行こうとしていた。
横で歩いている彼女は空を見上げていた。
月光が彼女の顔に微かな陰影を落としている。
それは教会の中でひっそりと佇む陶器の像を思わせた。
優しくライトアップされたその像は、ある種時間というものから切り放されたような空間にあり、決して触れる事は叶わない。見る者にそんな印象を彼女は与えていた。
「ねえ、知ってる?」
僕は歩くスピードを緩めながらいった。
「知らない」
彼女はすかさず返した。
「まだ、何も言ってないよ」
僕は反論する。
「まだ、何も聞いてないもん」
「聞く気はある?」
「話す気はある?」
僕は笑った。そして彼女も微笑んだ。
いつものやり取りに、僕は少しほっとした。
僕は口を開く。
「この世界にある太陽が無くなるらしいよ」
僕らの世界では三つの太陽が昇る。
それぞれ名前が付けられており、一番小さい太陽には『夢』、淡い光を放つ太陽には『希望』、そして細く長い形をした太陽には『未来』と呼ばれていた。
その中の一つが消えようとしていて、連日テレビではその話題でいっぱいだった。
彼女の家にはテレビはなく、執筆活動中はネットも見ない。当然、彼女はその情報は知らなかった。
しかし僕の言葉に対する彼女の反応は素っ気ないものだった。
「へえ。そうなの。良かったじゃない」
「え? 良かったの?」
「ええ。だって日焼けしなくてもすむもの」
「確かに、日焼けする時間はなるかもしれない。だけど……」
「だけど?」
「闇が増える。これ以上暗い気持ちになりたくはない」
彼女の夢は小説家。そして僕の夢は画家。
ふたりとも夢を見て、希望を胸に、輝かしい未来を思い描いていた。
しかし、事は思うように運ばなかった。
先日の小説・絵画コンテストに応募して、そして、ふたりして敗れた。
僕は今までで一番の自信作だったし、彼女も口には出さなかったが日頃の言動からかなり自信があったように見受けられた。
だからコンテストの結果にふたりとも落胆していた。
その上、太陽『夢』まで消えようとしている。
僕の心は暗かった。
一瞬の静寂。
遠くで踏切の音が聞こえた。
犬が吠え、猫が微睡み、フクロウが夜空を飛んていた。
どこかで聞いたこともない獣が鳴いている。それが何なのか僕には知る由もない。
だけど彼女にはそれが何か分かったようだった。
「ねえ。フクロウが鳴いたわ。フクロウが鳴くとき、闇夜は切り裂かれるって知ってる?」
彼女は何かを振り切るように、僕の方を向き、少し大きな声でいった。
「いや、聞いたことない」
「でも私は知ってる」
「100年も経てば、私たちの事なんて誰も知らない世界になる。ううん、100年もかからないかもしれない」
「そう考えると切なくなるし、悲しくなるね」
「ええ。だからこそ―――」
「だからこそ?」
「せいぜい足掻きましょ。悩んでいる時間なんてないもの。暗くなる時間ももったいない。そして太陽が昇ろうが、消えようが、私たちがすることは何も変わらない」
「何をするのさ」
「足掻いて足掻いて足掻いて、そして笑うの。時々空を見上げて思いを馳せる」
そう言って彼女は再び夜空に視線を向ける。つられて僕も見上げる。
「希望を掲げて、100年後の未来を見据えるの。太陽が消えるなら、私たちが輝けばいい」
「確かにそうだね」
と僕は同意する。
彼女は強かった。僕が想像する何倍も、何十倍も。
先ほどまで感じていた、教会の像のような神秘性は鳴りを潜め、彼女は高らかに宣言する。
さながら革命家の如く。
「足掻け! 藻掻け! 叫べ! そして笑え!」
「うおおおおぉぉぉーーーーー」
居ても立っても居られず、僕は叫び、走り出した。
「うるさい。静かに叫びなさいよ!」
彼女も走り出した。
フクロウが闇を切り裂くなら、まだ僕らには希望も未来の残されている。
春と共にやって来て、過ぎ去ろうとしている夢を追いかけるように。
また手の伸ばし、走ればいい。
『夢』が消えるなら、彼女の言うように自ら輝けばいいのだから。
End
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