000
――人間、死ぬ時って走馬灯は見えるのかな。
以前、読書をしながらそう言っていた妹は、今、車体に潰されているだろう。せめて痛みがなかったらいい。
――どうかしらね。けれど見るなら、楽しい記憶がいいわ。
――縁起でもないこと言うんじゃないよ、ママ。
そう当時会話していた両親は、ああ、駄目だ。前方の席から貫通して別車体のスクラップが見える。絶望的にぺちゃんこだ。
多分、正面衝突。夜中の土砂降りにライトをつけてなかったあっちの過失。
頭ではそう理解出来ているのに、身体が動かない。潰れていないほうの目が、全神経をもって現状を把握しようとしている。耳鳴りが止まない。
相手はトラック。慌てる声。水溜まりを駆けていく音は、どんどん遠くなって消えた。
嘘だろ通報は?
逃げてもすぐ捕まるくせに、人間は咄嗟の時判断を間違える。そういうやつか。くそ野郎。
せめて身体が動けたら捕まえるのに。せめて指先さえ動けたら妹を、家族を、撫でることが出来るのに。
意識は脳は思考は回れど身体は、車体に潰されていた。
走馬灯なんて見れなかったぞ、兄ちゃんは。
そう妹に呟いたつもりの口は、血しかこぼさなかった。
――という前世の最期を思い出したのは馬車が炎上したからだ。
ワルキア山を拓いて出来た山道は、馬車がすれ違っても本来落ちることなどないくらい幅が広い。安全用の鉄柵も家族が以前つけていた。
なのに突然車体が揺れ、馬の断末魔と共に馬車は崖下に落ちた。護衛だろう先行していた父の部下が、暗がりの中、崖の上から自分たちを呼んでいる。
「旦那様!奥様!オルドお坊ちゃん!ユリアお嬢さま!」
「1人だけお坊ちゃん扱いは業腹だが僕は無事だ!」
咄嗟に返した声が幼いのを理解して、ようやく前世の記憶と今世の記憶が混ざりあった。
そうして気付く。馬車から投げ出されたのは自分だけ。父は、母は、妹は。
――動く身体はすぐ馬車に駆け出した。
右脚や肩に激痛が走るがそんなものはどうでもいい!
まだ内臓が見えてないだけマシだ!
真夜中に燃え盛る馬車は周囲の状況を煌々と照らしていた。絶命した馬。綱を握っていた従者は草むらの中動かない。馬車の扉は転落の衝撃で吹き飛んでいた。
炎を跨ぎながら中を見れば、折り重なるようにして今世の家族がいた。
眉間の皺を気にしていた父。
そんな皺をなぞってからかうのが好きだった母。
そして両親のいちゃいちゃなどまだわからない歳でしかない幼い妹。生まれて1年と少しの、可愛い妹。
その妹の身を庇うようにして母は倒れていた。父は、恐らく投げ出された僕に手を伸ばしたんだろう。扉側に腕を垂らして伏せていた。
両親は、死んでいた。優しい両親だったのだと、今世の記憶が涙ぐみかけて。
妹の、泣き声が、聞こえた。
母の遺体をそっとよけて、小さな妹を抱き上げる。
まずは生きている者を。次に状況確認を。
――辺境領領主嫡子。オルド・ヴォルディムとして、今は成すべきことをしろ!
そう自分に言い聞かせて、炎上している馬車から僕は抜け出した。
――――――
2023/10/9 名前を変更