流す
童女のわたしは川の傍に立っていた。
手のなかには藁で編んだ沓がある。
この沓を川に入れたなら、どこまで流れていくだろう。
川は浅く、流れは緩い。多分、いくらも進まずに沈むか、どこかに止まるだろう。
そう考えて、履いていた白いサンダルを片方脱いで、沓と一緒に水に浮かべた。
きらきらと光を反射する川面を、ふたつはゆらゆらと流れていく。
ときおり川底の石や岸辺の草むらに止まったり、小さな深みでくるくると回ったり。川岸を歩くわたしが十分についていける速さ。
やがて岸は護岸に、「川」は「水路」と呼ぶべきものに変わっていく。
流れは速く、水面までは遠く。わたしはだんだん焦り始める。
とうとう沓が沈んだころには、「水路」は「海」に合流していた。
わたしはもはや歩いてはいない。走っている。
脱げた残った片方のサンダルを置き去りに、息を切らして全力で走っている。
わたしの走る道より下、暗い水面近くに立つ人がいる。
みずいろのワンピースの、髪の長い女のひと。携帯の画面を眺めている。
すみません、すみません、そのサンダルを拾ってください。
一生懸命声をかけるが、そのひとは気付かない。サンダルはそのまま流れすぎ、わたしはもう走れない。
しゃがみこんだわたしを追い越して、柴犬が駆けていく。
そうだ、今まで意識していなかったけれど、犬は最初からわたしと一緒にいた。
わたしの速度に合わせて、ずっとついてきてくれていた。
サンダルなんかもういい。犬が行ってしまう。
離れたくない。なくしたくない。
犬は振り向かずに走り去っていく。
わたしの視界を離れたあとも、犬はそのまま走って走って、サンダルを追いかける。
波打ち際の、揚げパンのようにさくさくと崩れる脆い石を踏み越え、ブリーダー施設なのか何組もの母犬と子犬が寝そべる小屋を飛び越え、とうとう潮だまりに流れ着いたサンダルに追いついて咥えあげる。
先刻の施設のオーナーか、慌てて追ってきた女のひとが、サンダルを咥えた犬を見て「ああ、そういうこと」というような顔で力を抜く。
抱き上げ、チップを確認して、犬とサンダルをわたしのもとへ送り返してくれた。
その頃のわたしは、サンダルの片方をひろいあげて、とぼとぼと来た道を帰っていく途中だったのだけど。




