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隣の人が死んだんですって

作者: 井ぴエetc

 小さな町の片隅。男が一人、夜道を歩いていた。月が沈みかけており、気の早いニワトリの鳴き声がはるかか遠くから聞こえてくる。ゆるゆると太陽の気配がせまり、朝が近づいているのが分かった。夜勤やきん終わりの帰路きろ。雨がしとしと降ってきて、心だけでなく体までだるくさせる。常時持ち歩いている折りたたみ傘を鞄から取り出す。バッと音を立てて傘を開くと、頭の上に低くかかげた。

 つやつやしたビニールの傘の表面に音もなく雨がぶつかって、小さなしずくとなってれ落ちる。あともう少しで自宅だ。そう考えながら重い足を踏み出す。早くベッドで横になって眠りたかった。右隣の家に住む夫婦の妻がこんな早朝から家の前で、近所の住人と話しているのが視界に入る。挨拶あいさつするのも面倒だったので、傘を目深まぶかかぶって横を通り抜ける。

「隣の人が死んだんですって」

 男は肩越しに視線を向けて、自分の家の右側の二軒隣りに目をやった。右隣りの、更に右隣り。隣家の隣家。

「しかも殺されたらしいですよ」

 物騒なこともあるものだと、男は考える。そうして足早に自宅の玄関へ向かうと、鍵を開けてさっさと中に入った。

 疲れていて、食事をする気にもならない。一人暮らしには広すぎる庭付きの一軒家。二人暮らしの予定、いや、将来的にはもっとたくさんの家族で住む予定だったが、残念ながらその相手はもういない。家は散らかり放題で、庭には雑草が生え放題だ。掃除をする気力がかない。見せかけだけは中々に立派な家だが、寝室以外はろくに使っていない、寝て起きるだけの場所。睡眠を邪魔されたくないので、固定電話とインターホンも外してしまった。そんな状態であっても、男はこの家を手放せずにいた。


 昼過ぎまで寝て、男は目を覚ました。男は警備員であり、夜が勤務時間。すぐに家を出る準備をする。この家にはあまり長い時間いたくなかった。思い出が多すぎる。

 汚れた服を抱えて、近所のコインランドリーへ向かう。家を正面に見て、道の左側へ。左隣の隣家の前を通りがかる。

「聞いた?」

 大きな声が開いた窓かられる。左隣の家に住む夫婦。その妻だ。

「なんだ」

 応える夫の声も大きい。二人とも教師で、今日は休日なので夫婦そろって自宅にいるらしい。子供相手の教師をしていると声がこんなに大きくなるのだろうか、と男は考えた。それにしてもこの夫婦にとって居間が道路に近い家というのは、構造上の欠陥けっかんと言ってもいいのではないか、とも思う。

「隣の人が死んだんですって」

 男は足を止めて、左隣の家の窓をじっと眺めた。

「……そうらしいな」

 むっつりと夫が返事する。

「可愛そうにねえ。それにしても隣の人、結婚してらしたのね。独り身かと思ってた。それとも恋人なのかしら。それか一緒に暮らせない愛人とか」

 妻の下世話な妄想が広がりはじめると夫が「やめなさい!」とぴしゃりとしかりつけた。それから重苦しい沈黙がおとずれる。

 男は自宅の左側の二軒隣を見た。左隣の、更に左隣。隣家の隣家。しかしそこに家はない。交差する道路があるだけだ。男は眠る前に聞いた話を思い出す。右の隣家の隣家の人が死んだらしい。そして今聞いた話だと、左の隣家の隣家の人が死んだらしい。つまりそれは男の自宅を指し示している。

 足早にその場を立ち去る。コインランドリーで洗濯しなければならない。目の前の用事で頭の中を埋め尽くそうとした。しかし不可思議な疑念は、心の奥底から不気味な触手を伸ばしてくる。

 やっと目的地に着いて、汚れた服を放り込むと、回り始めた洗濯機を眺めながらどっしり腰を落ち着ける。聞き違いだったのかもしれない。それとも左の隣家の夫婦が勘違いしたのか。きっとそうだ。

 男は空腹を自覚した。胃が空っぽだ。のども乾いた。喫茶店で何か食べよう。

 喫茶店でコーヒーとトーストを食べると、あかね色の夕日が道路を燃え上がらせていた。気が動転どうてんしていたからか、随分ずいぶんぼんやりしてしまっていたらしい。時間を確認すると、もう出勤時間がせまっている。男は洗濯物も忘れて、そのまま仕事へ向かった。


 薄闇が太陽によって払われようとする頃、男は仕事を終えて帰宅しようとしていた。今日は右の隣家の前も無人。不要な噂話を聞かずに済みそうだった。そうして歩いていると、自宅の玄関の真ん前に人影が見えた。しかも、その人影はふくらんだり、ちぢんだりしている。誰かがみ合っているようでもある。男は歩をゆるめながら逡巡しゅんじゅんした。なんだか嫌な感じがする。このまま帰っていいものだろうか。

 男は急に恐ろしくなった。きびすを返して、足を早める。あの家には思い出が多すぎる。思い出がたっぷりと詰まった箱。それに妙な話までくっついてきたのでは、たまったものではない。

 安ホテルに入って、昼間をやり過ごした。食事もホテルで済ませる。そうして夜になると、また出勤する。仕事はあらゆることを忘れさせてくれた。男は職場では熱心な働き者と評価されていたが、不愛想で人付き合いが悪いと敬遠されてもいた。

 仕事が終わり、一日ぶりの自宅への帰路。けぶるような闇に目を細めるが、今日はあの人影も見当たらなかった。ほっと安心して、幾分か軽くなった足を家へ向ける。玄関のステップを上がり、扉に鍵を差し込んで回す。

 おかしい、とすぐに気がついた。汚れ切った室内。よどんだ異臭が、我が物顔でゆるゆるとただっている。もはやぎなれた匂い。しかし、その中にとりわけ濃い、不快感のある香りが混じっている。

 男はその香りが何か知っていた。死の香り。血の香りだ。


 通報があって刑事は現場に急行していた。到着すると既に現場検証が終わっている。現場に踏み込んでまず思ったのが、ひどく散らかっている、ということだった。み合って散らかったというのとはまた違う。ほこりが分厚く床をおおっているし、長い間の不精ぶしょうの成果と言った風だ。

 出迎えたのはふさふさとした髪をした髭面ひげづらの男。なんだか汚らしい印象だったが、この家の住人としては似合いすぎるぐらいに似合っていた。寝室に通されるとベッドの上で女が死んでいた。寝室は他に比べれば片付いていて綺麗だった。ちょうど死体が鑑識連中に運ばれて行くところだったので、少しだけ拝見はいけんさせてもらう。刺殺。掛け布団の上から包丁で一突き。

 男から話を聞いたがどうも要領を得ない。とにかく気づいたら女が死んでいたのだという。男は犯人を必ず見つけてくれと何度も念押しする反面、早く警察に家から立ち退いてもらいたいようだった。刑事が男の連絡先を聞くと携帯電話の番号を渡される。夜なら電話に出られるという。確認したがこの家には固定電話がなかった。

 まるで邪魔者扱いで、男に追い出されるように、警察は立ち退かされる。そのくせ男は絶対に犯人を見つけてくれ、犯人を許すことはできない、とわめくように言った。

 刑事は、任せてください、必ず犯人をげて見せます、とって、現場を立ち去った。


 次の日。包丁に付着していた指紋が調べられたが、髭面の男のものではなかった。そもそも男がやったなら、わざわざ現場に残って通報までしてくるなんておかしな話だ。これで犯人なら、よほどの自信家か、馬鹿のどちらか。しかし刑事が男から受けた印象はどちらでもなかった。本気で犯人をにくんでいる。死んだ女を愛していたのだ。

 刑事は近所への聞き込みをすることにした。現場の右隣りの家を尋ねる。活発そうな女性が顔を出して、刑事の応対をしてくれた。

「何か物音とか聞きませんでしたか」

 犯行時刻の状況を聞きながら、手元でメモを取る。

「いいえ、なーんにも。全然気がつきませんでした。それにしても嫌だわ。隣の家で殺人だなんて」

「ご夫婦でここに?」

「はい夫と二人暮らしです」

「旦那さんは何か聞いていませんか?」

「夫は仕事でいませんでしたから」

「旦那さんはどういったお仕事をされてるんですか」

「清掃会社を経営してますの」

「へえ。社長さんですか。そりゃすごい」

 刑事が大げさに驚いて見せると、妻は得意げに夫の仕事について話してくれた。ビルの掃除から、小さな部屋の掃除まで手広くする、中々やり手の経営者のようだった。そのうち話題がれていって、夫のちょっとした不平不満がこぼれ出す。秘書と少し距離が近すぎるのではないか。もしかしたら浮気されてるかもしれない。刑事さんどう思います、と聞かれても、刑事は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 あまりヒートアップしないうちに、お礼を言って退散する。それから現場となる家を眺める。インターホンを押してみたが誰も出てこない。それどころか室内で鳴っている気配すらなかった。電話をしてみようかと思ったが、やめて裏手に回る。荒れ放題の庭が見えた。生垣がところどころ崩れていて、誰でも侵入できそうだ。

 また刑事が表に戻ってきた時、現場の左隣の家の住民が玄関先にいた。扉をくぐろうとしている女性を捕まえる。

「すみません」

「なんです?」

 叱責しっせきするような調子だったので、刑事は肩をすくめる。不審者を見るような容赦のない視線が刑事をつらぬく。刑事はくたびれた格好をしていて、しゃべり方は明瞭めいりょうではないし、背筋も曲がっているから、それも無理はなかった。

「私こういうものでして」

「あら、刑事さんでしたの?」

 警察手帳を見せてもなお、完全に信頼していないという調子だ。刑事は右隣りの家の住人にしたのと同じ質問をする。

「何も知りません」

 声が大きいのは生来のものらしかった。はきはきとした返答で、夫と二人で教師をしていること、夫は用事で出かけているが、自分と同じように知らないだろうということ、職場はすぐ近くの学校だということが語られた。

「旦那さんはいつ頃、戻られますか。少しお話をうかがいたいんですが」

「今日はちょっとバタバタしてるので遅くなるでしょうね」

「何かあったんですか」

「新任の若い教師が来なかったんですよ」

「へえ」

「夫が指導していたものですから、休みのところを呼び出されて、彼女の仕事の処理をさせられてるんです」

「それは大変でしょうなあ」

「全くです」

 教師の妻は急に頭に血が上ったというように、その新任教師の女性のことをこき下ろしはじめた。刑事は閉口してしまいそうになりながら、辛抱強く相槌あいづちを打つ。休憩時間に夫はその女性と二人で打ち合わせなどをしていたらしい。それが特に気に入らなかったそうだ。どうもやきもちを焼いているような雰囲気もあり、刑事は夫婦仲がうまくいっている証拠だとも考えたりする。

 やっとのことで刑事が解放された時には陽が沈みかけていた。それでも旦那は帰ってこなさそうだったので、あきらめて署に戻ることにする。現場の家のインターホンを押して、扉を叩いてみるが、人の気配はない。ふと振り返ると、電柱の影に女性が立っていた。目が合うと、すっ、と視線がらされる。

「あのう。ちょっとおたずねしますが……」

 刑事が声を掛けると、女性はヒールの音をカツカツと響かせながら足早に立ち去っていった。ブランド物のバッグが揺れる。書類が入れやすそうな形。やり手のビジネスウーマンか、そうでなけりゃ秘書だな、と刑事は考える。

 後ろ姿をじっと見つめていると、曲がり角で禿げ頭の男性とぶつかりそうになって、お互いに飛び退いた。横をすり抜けるように女性は通り過ぎたが、男性はその後姿を視線で追っている。正面に顔を向けて刑事が見ていることに気づくと、男性は鞄を探って、何か忘れ物をしたというように元来た道を引き返していった。

 刑事は妙な具合だと思いはしたものの、署に戻らなくてはいけないことを思い出して、その場から離れた。


 また次の日。刑事は署で書類や現場検証の結果などを確認した後、昼過ぎにもう一度現場を訪れた。

 右隣りの家の前に高級車が止まっており、そのそばに立った男性が、しきりに電話口に何かを言っている。見つからない、探せ、という言葉がれ聞こえてくる。

 男は壮年そうねんだが活力にみなぎっているような若々しさを感じる。ふっさりとした髪が風になびき、スーツはパリッとして立ち姿が様になっていた。しかし、その眉間には深いしわが刻まれている。

 電話を切っても、ずっとそわそわした様子の男に刑事は話し掛けた。

「どうかしましたか?」

「なんですあなたは」

 不審者を見るような眼差しには慣れたものだった。

「こういうものでして」

 警察手帳を広げると「ああ刑事さん。あの、殺人の件ですか」と、まわしいものを見るように現場の家に視線を向ける。

「そうなんですが、困ってらしたようなんで」

「いや……、ええ、秘書が消えてしまったんです」

失踪しっそう! そりゃ大変だ。警察には連絡しましたか?」

「いえ、まだ失踪と決まったわけでは……。今、心当たりを探させているところです」

「それで見つかることをお祈りしていますよ。私なんかの力が必要ないことをね」

「ありがとうございます。それじゃあこれで」

 男性は現場の右隣りの家に入っていった。どうやらそこに住む夫婦の夫らしい。現場の家を訪ねるが相変わらず。電話を掛けてみるが出てくれない。しょうがないので裏手に回って生垣の隙間から庭の様子だけでも観察する。雑草が生い茂っているなか、一ヵ所だけ土が露出ろしゅつしている場所があった。不思議に思い観察する。薄くまだらに雑草が生えているものの、枯れているような感じだ。

 刑事は死体に関する話をふと思い出す。ネクロバイオーム。死体の細菌だ。普段から生き物の体には無数の細菌があるが、死と同時にそれを抑えていた免疫めんえきがなくなるので爆発的に増殖する。なので死体が埋まった地面は細菌の働きで窒素過多になり、そこに根を張る植物は枯れる。

 小さなとげのような疑惑。しかし、草が枯れる原因など他にいくらでもある。それにここで起きた殺人事件の死体は回収されて、遺体安置所にあるのだ。埋まっているはずがない。

 近隣各所に聞き込みを行ったが、これといった成果は得られなかった。

 髭面の男から聞いた番号にもう一度改めて電話してみると、今度は出てくれた。刑事が名乗ると、男は勢い込んで喋り出す。

「もう捜査は結構」

「結構と言われましても、そういうわけにもいかないんで」

「結構と言ったら結構だ。警察は頼りにならん」

 大声で言われると、耳にキーンと響く。

「署の方から何度かお電話があったと思うんですが」

「そうみたいだな。こっちは忙しいんだ。いちいち出てられんよ」

「あの死んでいた女性のお名前とか、教えてもらえませんかね」

 はじめに通報があった時に男から女性のことについては聞いていたが、調査によると全くのでたらめだった。だから今は身元不明の女性ということになってしまっている。

「知らん」

「知らないわけないでしょう。ご自宅でご一緒にいたんですから」

 そんな押し問答をしていると、現場の左隣に住む教師の妻が帰ってきた。学校が終わったらしい。

「ああ奥さん。どうも」

「刑事さんじゃありませんか」

 大声での返答。すると電話の向こうで悲鳴のような声が上がり、すぐに切られてしまった。刑事はいぶかし気に携帯電話を眺めたが、すぐに気持ちを切り替えて、教師の妻と向かい合う。

「どうも奇遇ですね」

「ええ。まだ殺人犯は見つかりませんの?」

「そうなんです。困ったもんで。なにせ殺されたのが誰なのかも分からない有様ありさまでして」

「まあ。そんなことありますの?」

「家主の男の話は嘘八百でしてね」

「お仕事の都合か、変わった生活時間をしてらっしゃるからあんまりお見かけはしませんでしたけど、私は誠実そうな方だと思ってたんですよ」

 しみじみと言って、空を見上げる。前日にも確認したが、刑事は念の為、被害者の特徴などをくり返して聞いてみる。

 すると「そういえば」と、手が叩かれた。

「あのいなくなった子に似てるかもしれません」

「いなくなったって、誰です?」

「新任教師の」

「ああ、昨日聞いた人ですね。来なくて、旦那さんが大変な目にったとかいう」

「そうです」

「あの、よかったら顔を確認してもらいたいんですが」

 言ったものの刑事は写真を持ってきていなかった。ふらふらと出歩く癖があるので、こういうことがしばしばある。教師の妻は今日は自宅でも仕事の処理があるということで、これからというのは断られた。しょうがないので明日持参するという約束をして別れようとしたが、その際に、

「ああ、もう一つうかがいたいことが」

 と、呼び止める。

「旦那さんに変わったことはありませんか」

「うちの人ですか? ……そういえば、最近かつらを隠してるのを見つけたんです。禿げてるのを気にしてるなんて思ってませんでしたよ」

「へえ。どんなやつです」

「ちょっと若者っぽいふさふさっとふくらんだ感じで、とても似合いそうにないから、見つけた時は笑っちゃいましたわ」

「なるほどねえ」

「……今話したことは内緒にしてくださいよ」

「分かっていますとも。刑事は口がかたい。信頼してください。奥さんに惚れ直して欲しくてそんなおしゃれをしようとしてるんですな。きっと。私が思うにはね」

 こう答えると、うん、と確認するようにうなずきがあり、教師の妻は帰っていった。

 話が入り組んできたのを刑事は感じ、よおく整理する必要があるぞ、と意気込む。そうして署に戻ってもう一度今判明していることを洗い直すことにした。


 調査開始から三日目。また刑事は現場の家を訪れていた。家の扉を何度か叩くと、意外にも扉が開けられた。

「どうもこんにちは」

 言ってから刑事はぎょっとする。見知らぬ男。顔はやつれ、焦燥しょうそうしきっているように見える。まるで徹夜てつやで重労働した後のような疲れ具合だ。

「誰です?」

 男がたずねる。

「私はこういうものです」

 警察手帳を見せて「お宅はどなたで?」と聞き返す。

「この家のものですが」

「はあ、なるほど」

 刑事の頭は高速で回転しはじめる。

「ちょっと上がらせて頂きたいんですが、よろしいでしょうか」

「それは、困ります。散らかっているものでして」

「そんな、そんな、気にしません」

「僕が気にするんです。何の用か知りませんが帰ってください」

 バタン、と扉が閉められてしまう。取り付く島もない。刑事はすぐさま携帯電話を取り出して、髭面ひげづらの男に聞いた番号に電話を掛ける。扉の向こうに耳をませるが、何の反応もない。応答もないので切る。

 土の匂いがした気がした。裏手に回って生垣の隙間からのぞく。見た目には異常はなさそうだった。

「こりゃ、難事件だ」

 刑事はひとりごちて腕を組むと、空を流れる雲を眺めた。

 その日、現場の右隣りに住む男性の、秘書の捜索願が出されていた。


 刑事は地面を掘り返していた。そばではやつれた顔の男がうなだれている。

「なんで隠したりしたんです」

 大方の予想がついていながら、刑事は質問する。男が何も言わないので一方的に喋り続けた。

「あなたがやったわけじゃないでしょう。殺したのは教師の旦那。殺されたのは清掃会社の社長秘書。そして……この秘書が女教師を殺した」

「女教師?」

 男は顔を上げて、不思議そうに刑事を見つめた。

「新聞も読まないんでしょう。テレビもない。仕事だけが生きがいだって感じだ。私も同じです。分かりますよ。けど、自分の家で何が起きてるかぐらいは把握していなきゃあダメです」

 刑事はいさめるように語る。

「あなたのお宅で女教師が死んでたんです。一緒にいたのは教師の旦那。この家のお隣に住んでいる方ですね。と言っても女教師というのは奥さんではなく、新任教師。ここが不倫の密会場所だったんですよ。この不用心な庭の生垣から不法侵入していたんでしょう。かつらと付けひげで変装までしてね。でも、なんとも不幸な偶然と言いますか、反対のお隣に住んでいる旦那さんもこの家を愛人との密会場所として使ってたんですな」

「本当、なんですか? 全然気がつかなかった」

「まあ、清掃のプロらしいですから、その辺りはバレないように片付けていたんでしょう。ついでにもう一方のペアの分の痕跡こんせきも洗い流されていたんでしょうな」

 一拍置いて、シャベルを動かす手を休める。

「妙なもので、この二組のペアはお互いのことをてんで知らなかったらしい。けど、ある時秘書が、教師と女教師がこの家に入っていくのを目撃した。それを自分以外の愛人を社長が連れ込んでいるのだと勘違いしたんだと思いますね。すっかり逆上してしまって、包丁を持ってベッドにいる二人に近づくと、女の方をグサリです」

 額の汗をぬぐうと、刑事はまたシャベルを動かしはじめた。

「その時、教師の旦那は仰天ぎょうてんしたでしょうなあ。知らない女が愛人を殺してしまった。たぶん身を起こして顔が合ったんじゃないかな。秘書の方も驚きだったでしょう。社長じゃない男がベッドにいる。なにがなんだか分からないまま逃げていった。……それから旦那は変装して警察に通報した。すごい度胸ですよ。感服しますね。それほど謎の殺人者に怒りを燃やしていたということです。本当に、殺してしまうぐらいにね」

 やっとシャベルの切っ先が、固いものに触れた。丁寧に掘り返すと、ボロボロになった木の箱が姿を現す。ふたを開けると、白骨が現れた。

 庭には二つ、枯れ草がおおう地帯ができていた。地面の下。一つからはくさりかけた遺体。もう一つからは白骨。

「これが、あなたの奥さんですね」

 刑事がたずねると、男は小さくうなずき、骨を食い入るように見つめる。これに捜査の手がおよぶのではないかと考えて、男は咄嗟とっさに家に放置されていた秘書の遺体を埋めたのだった。

「綺麗に骨ですねえ」

「そうでしょう。小さめの頭蓋骨がとても可愛らしいんです」

「……うん。さて、それじゃあ行きましょうか」

「はい……」

 刑事に連れられて、男は庭を出ていく。そうして外で待っていたパトカーに乗ると、裁きの場へと連れて行かれた。

ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます。読んで下さった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

評価やコメントなどもらえれば嬉しく思います。よろしければ是非お願いいたします。

あとがきを活動報告に投稿しています。こちら2023/3/25付けのものを私のマイページの活動報告からご確認いただければ幸いです。

それではまた別の作品でも出会えることを心より願っております。

2023/3/25の井ぴエetcでした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これはとても不幸な偶然ですね。不倫は良くないですね!
[一言] なんとも不思議な事件だと思いました。 最初の事件はいったい何故起きたのか、書かれない余韻が良いですね。
感想一覧
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