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8話 想定外の特別手当

「おかえりなさい。クラージュさん、トレーラントさん」

「ただいま、フィリア」

「ただいま帰りましたっす、フィリアさん」


 俺が首になってから少しばかり過ぎた頃。

 いつものように契約から帰ってくると、少し珍しい相手と会った。

 薄紫の髪と桃色の目を持つ可愛らしい見た目の夢魔――フィリアだ。


 広報――つまり人間の勧誘を仕事とする夢魔と顔を合わせる機会は多くない。

 悪魔と契約したがる人間と接触し、見極める夢魔は悪魔以上に忙しいからな。


 もっとも、夢魔の主食は人間の精気。

 食事と趣味を兼ねた仕事らしいから実はそれほど負担はないらしいが、それでも激務であることに変わりはない。

 フィリアは広報課の課長だから余計にそうだった。

 会えるのはよほど運がいいか、あるいはこちらに用があった時くらいだ。


「もしよろしければ、一緒にお茶をしませんか?

 お渡ししたいものもあるので」


 どうやら、今日は後者だったらしい。

 忙しいフィリアがわざわざ時間を作るくらいだ。よほど重要なものだろう。


 そういえば、この前契約した冒険者の男はフィリアが勧誘したんだったな。

 直近だとそれ以外にフィリアが関係する契約は受けてないはずだ。

 そいつ絡みの案件か? ――悪い知らせでないといいんだが。


「分かった」

「ありがとうございます。

 今、お茶を淹れてきますね」

「ああ、ありがとう」


 トレーラントが頷いたのを確認して了承の返事を伝えると、フィリアが柔らかな笑みを浮かべて席を立った。

 それを見送った後、ソファに腰掛けたトレーラントが口を開く。


「渡したいものって、何なんすかね?

 しかもフィリアさんが直々に。

 処分通知書とかでなきゃいいんすけど……」

「さすがにそれはないだろ」


 処分通知書を渡されるのはよほど目に余るミスをしたときくらいだ。

 サジェス曰く「うっかり国を滅ぼした時に嫌というくらい見た」らしいが、逆に言えばそのレベルのことをしなきゃ渡されない。


 それにその場合、渡してくる相手はフィリアじゃなくて課長だ。

 まあ、俺も処分通知書なんて渡されたことがないから断言はできないが……。

 そう言うと、トレーラントが不思議そうに首を傾げた。


「うっかりで国って滅ぼせるんすか?」

「お前も成長すれば分かる」

「なんすかそれ」

「サジェスの受け売りだ」


 ちなみに俺は今でも全く分からない。

 俺の言葉にトレーラントが声を上げて笑った。


「あら、楽しそうですね」


 楽しげに笑いながら話に入ってきたのはフィリアだった。

 手には焼き菓子の乗った皿と三つのグラスが並んだトレイがある。

 ちょっとした雑談のつもりだったんだが、すっかり話し込んでいたらしい。

 フィリアからトレイを受け取ったトレーラントが、グラスを配りながら口を開く。


「フィリアさんはあるっすか? うっかりで国を滅ぼしたこと」

「うっかりはありませんね。

 滅ぼす時はきちんと計画を立てて滅ぼしますから」

「滅ぼしはするんすね……」

「あら、案外簡単なんですよ。

 後始末が大変なので、最近は控えるようにしていますが。

 ――クラージュさん、少し失礼しますね」


 そう言って、フィリアがそっと俺を持ち上げた。

 置かれたのはグラスの傍に用意された小さなクッションの上だ。

 グラスに差されたストローが届きやすいよう、気を遣ってくれたらしい。


「高さはこれで問題ありませんか?」

「ああ、助かる。悪いな、フィリア」

「好きでやっていることですから、お構いなく」


 優しく微笑むフィリアにないはずの心臓が大きく跳ねた。

 千五百年も生きているのに我ながら初心な反応だと思うが、こればかりは仕方ない。

 惚れた弱みって奴だな。

 上る血がないおかげで、顔が赤くならないことだけが救いだ。


 心なしか熱くなった気がする頭を冷まそうと、ストローに口をつけた。

 花のような甘く爽やかな香りが口の中にふわりと広がる。

 それでようやく、お茶をすることになった経緯を思い出した。


「そういえば、渡したいものがあるんだったな」

「いけない、忘れるところでした。こちらです」


 そう言ってフィリアが差し出したのは一枚の書類だった。

 一行目には大袈裟に飾られた文字で「特別手当支給通知書」と書かれている。

 ――特別手当?


「指名じゃないのか?」

「ええ。精霊部からの特別手当です。

 湖の貴婦人が悪魔と契約したそうで……覚えはありませんか?」

「それはある」


 俺もトレーラントも人間との契約が専門だ。

 仕事で精霊と関わることなんてほとんどない。

 おおかた、先日契約した男に加護を与えていた精霊が悪魔を召喚したんだろう。


 その場合対応するのは精霊部になるし、事の発端である男を契約に誘ったのはフィリアだ。

 関係者ということで特別手当に関する書類を持ってきてくれたのも頷ける。


「てっきり、男の方が指名してくると思ったんだけどな……」

「先輩。指名とか特別手当って、なんのことっすか?」


 想定外の展開に思わずぼやくと、トレーラントが不思議そうに首を傾げた。

 トレーラントは普通の契約しかしたことがないから、俺とフィリアが何を話しているのか分からないんだろう。

 だからあの時、男からもらう報酬を加護にするよう言ったんだけどな。


「指名はその名の通り、召喚時に名指しで呼ばれることだ。

 普通に契約するよりも評価が加算される」


 契約を担当する悪魔を決めるのは通常、部長の仕事だ。

 人事部は諸事情で部長が不在だから、課長が決めているけどな。


 サジェス曰く、割り振りは悪魔の適性や将来を考えて決めているらしい。

 話を聞いた時、役職持ちは大変だなと思ったからよく覚えている。


 ただ、例外的に召喚時から担当が決まっている場合もある。

 それが指名だ。


 指名の理由は様々で、以前契約を結んだ人間がその時の担当者を指名する場合もあるし、親しい相手を悪魔に害された奴が復讐のために指名してくる場合もある。

 どちらにしても、その悪魔のおかげで契約件数が増えたことに代わりはない。

 指名された時点で評価が成績に加算される仕組みになっていた。


「精霊の加護はいわば繋がりだ。そして水の精霊は独占欲が強い。

 水の精霊が自分の住処に男を引きずり込むのは時間の問題だろう。

 その時に男がお前を指名することが本来の狙いだった」


 加護を返して欲しいと望むか、単純に精霊から助けて欲しいと望むか。

 どちらにしてもあの男は再度報酬を払わざるを得ないし、自分の命が掛かった状況で落ち着いていられる人間は少ない。

 冷静さを失った人間を誘導して魂を差し出させるくらい、トレーラントなら容易だろう。


 魂一つに指名を受けたという経験。それに評価の加算。

 本来狙っていた報酬とそこまでの筋書きを説明すると、真紅の目がきらきらと輝いた。


「そんな先のことまで考えてたんすね! 先輩、すごいっす!」

「まあ、その狙いは外れたけどな」


 とはいえ、特別手当が得られるならそう悪くもないか。

 最悪、男がトレーラントを指名する前に殺される可能性もあったしな。


 湖の貴婦人は人間の姿形よりもその生き様を愛する精霊だ。

 おそらく大丈夫だと踏んでいたが、絶対の保証はなかった。

 精霊は気まぐれだし、俺自身あいつらと契約したことは数える程度だからな。

 利益を得られただけでも良しとしよう。


 トレーラントに経験を積ませる機会なら、また作ればいい。

 俺の身体が戻るまで、まだまだかかりそうだしな。


 それに、特別手当を得られる経験も滅多にない。

 意図して機会を作りにくい分、むしろこっちの方が貴重な機会だ。

 教える手間が省けてよかったと思おう。

 そんなことを考えながら口を開いた。


「次に特別手当についてだな。

 これは他の部署が契約する機会を作った時に与えられるものだ。

 今回は俺たちのおかげで精霊部が契約する機会を出来たから特別手当が出た。

 もちろんこの場合も評価に加算されるから、普通は特別手当をもらう方が楽だ」


 支給額は他部署が得た報酬の三分の一だから取り分は少ないが、契約一件分の時間が浮く。

 その時間で更に契約をこなせば、結果的に得られる利益は増えるというわけだ。


「今回の支給額は魂一つ分です。

 手続きが終わり次第支給しますので、こちらのペンで署名をお願いします」


 そう言ってフィリアが差し出したのは豪華な箱に仕舞われた羽ペンだった。

 真紅と金のグラデーションが美しい羽は不死鳥のものだ。

 これで文字を書くと魔力が紙に残りやすくなるとかで、大切な書類に署名する際には必ず使われている。

 見るからに貴重そうな代物に緊張したのか、トレーラントがおそるおそるといった手つきでペンを持ち上げた。


「綺麗っすけど、これ落として壊したらって思うと手が震えるっすね……」

「落としたくらいじゃ壊れないから安心しろ。

 でも、魔力を籠める量は間違えるなよ」

「うう。先輩の応援が欲しいっす……」

「がんばれがんばれ」

「心が籠ってないっすよ!」


 そんなことを言い合いながら、トレーラントの署名は問題なく終わった。

 もちろん羽ペンも無事だ。

 というか、高位精霊の一部を使った代物がそう簡単に壊れるわけがない。


「これでいいっすか?」

「――ええ、問題ありません。

 なるべく早く支給されるように手続きしますね」


 どうやら、不備はなかったらしい。

 あとはフィリアたち広報課の仕事だから、俺たちは待つだけだ。

 書類を仕舞ったフィリアが空になったグラスを魔法で消して立ち上がった。


「名残惜しいですが、次の仕事があるので私はこれで失礼しますね。

 もし困ったことがあれば言ってください。出来る限りお手伝いしますから」

「ありがとう。その時は頼む」


 いつも交わす挨拶を口にすると、フィリアはにこやかに手を振って身を翻した。

 柔らかな髪がふわりと揺れた瞬間、その姿が消える。

 夢魔の魔力が消えた頃、トレーラントが思い出したように口を開いた。


「ところで、特別手当が届くまでどのくらい掛かるんすか?」

「繁忙期でもない限り、大抵は一月前後だ。

 フィリアが配慮してくれた分、それよりは早く届くんじゃないか?」

「じゃあ、先輩の身体を再生するのに使えるっすね。得したっす!」


 いや、俺の身体を再生するのに使えなくとも得はしてるけどな。

 そう言いかけたが、喜んでいるところに水を差すこともない。

 大人しく飲み込んで、はしゃぐトレーラントを眺めることにした。


 ……ところでそろそろ寝ないと明日の契約に差し支えると思うんだが、大丈夫だよな?

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[良い点] なんだろーフィリアさんのかわいさにきゅんとします。 かわいい。 うっかり国滅ぼすサジェスさまや、何気なくほろぼすひともいたような、滅ぼすなら計画的なフィリアさん。可愛いだけでは無いのです…
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