7話 パーティーを追放された支援魔術師、力を手に入れる。後悔してももう遅い!
「我が名はトレーラント。
カール・インビス。汝の望みを述べよ」
「オレに力をくれ!
オレを馬鹿にしたあいつらを見返せる、すごい力を!」
俺たちを召喚した男の望みはずいぶんと曖昧なものだった。
こっちとしては都合がいいが、魔術師ならもう少し知恵を回してもいいだろうに。
まあ、それが出来たらここまで追い込まれないか。
召喚に必要な素材を揃えるために借金をしたり、人目に付かない場所を探したりと行動力はあるのにもったいない。
降り出した雨が屋根や壁に当たる音を聞きながら、男の話に耳を傾ける。
「報酬は?」
「これだ」
そう言って男が差し出したのは、水色の魔石が付いたペンダントだった。
魔石からは水の中位精霊「湖の貴婦人」の魔力が感じられる。
だが、メインはこれじゃないだろう。
「湖の貴婦人からの加護。これがお前たちに支払う代償だ」
やっぱりそうか。なかなか豪華な報酬だな。
しかも力を与えるだけでいいから、それほど手間もかからない。
一件目からいい契約に当たったじゃないか。
それに、精霊の加護を報酬とする人間は滅多にいない。
トレーラントにとってもいい経験になるはずだ。
そんなことを考えていると、ふと周囲の魔力が揺れた。
この揺れは遮音の魔法だ。どうやら相談があるらしい。
そう思って見上げれば案の定、不安げに揺れる真紅の瞳と目が合った。
内容はだいたい察しがつくが、念のために訊ねてみる。
「報酬についての確認か?」
「はい。精霊の加護って、報酬としてはどの程度なんすか?」
「中位精霊なら大体、生命と同程度だな。
魔石もついているからその分、少し上乗せされるか」
加護を与えるだけならわざわざ魔石を与える必要はない。
自分の魔力から作った魔石を与えるというのはそれだけ執着している証拠だ。
愛情深い水の精霊らしい行いだった。
「じゃあ、昨日みたいにすればもうちょっと搾り取れるっすかね?」
「無理とは言わないが、難しいな」
男の要求は元仲間への復讐ではなく、華々しい人生を謳歌するための力だ。
魂や命を要求しても拒絶されることは目に見えている。
昨日の王妃のように、身代わりもいないしな。
元仲間に対する復讐心を煽ってもいいが、今回の場合は効率が悪い。
そんなことをしなくとも、放っておけばいいものが手に入るからな。
そう言うと、トレーラントが首を傾げた。
「いいものって、加護のことっすか?
でも、加護の価値って生命より少し上くらいなんすよね?」
「加護自体の価値はな。
長い目で見れば、今ここで魂を得るよりも得だぞ」
「そう言われると、そっちの方が面白そうっすね。
じゃあ、加護を貰うことにするっす」
どうやら俺の話に興味を持ったらしい。
真紅の目を輝かせてトレーラントが頷いた。
ここまで言っておいて何もなかったら先輩の名折れだが、まあ大丈夫だろう。
水の精霊は気に入った相手への執着が強いからな。
そんなことを考えながら、トレーラントと男のやり取りを見守る。
「カール・インビス。汝の望み、叶えよう」
トレーラントが渡したのは真紅の魔石があしらわれた指輪だった。
魔石の大きさは小指の先ほどだが、それでも人間にとっては過ぎた力だ。
ここに込められた力をすべて使えば、国一つくらいは滅ぼせるからな。
もっとも、使いこなせればの話だが。
他者、特に他種族の魔力を扱うのは難しい。
まして、自分より魔力が高い相手の魔力ともなればなおさらだ。
トレーラントの魔力をこいつが使いこなせる確率は、万に一つもないだろう。
「これが、力……」
加護と引き換えに手にした魔石を見つめて、男がうっとりと呟いた。
その前に考えないといけないことがあると思うんだが、本人が満足したのならいいか。
自分に扱える力をくれと言われていない以上、俺たちには関係ないことだ。
「次に行くぞ、トレーラント」
「はーい。次はどんな契約っすかね」
激しくなりつつある雨音を背景に、俺とトレーラントはその場を後にした。
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「私の力を貸してあげるわ。
その代わり、貴方は決して血や穢れに触れないで。清らかなままでいてね。
約束よ」
それはあの子の身を守るための約束だった。
人間は少し私の中へ招いただけで死んでしまう、か弱い種族。
私の加護があっても絶対に安心とは言い切れないもの。
母親が赤子を火から遠ざけるように、大切なあの子を争いから遠ざけるのは当然でしょう?
『湖の貴婦人からの加護。これがお前たちに支払う代償だ』
けれどあの子は、私の加護を売り払ってしまった。
それも、よりにもよって悪魔に。
「せめて、悪魔と契約する前に相談してくれればよかったのに」
確かに私は血や穢れが嫌いだけれど、愛の前では嗜好など関係ない。
一言言ってくれれば、人でも街でもいくらでも滅ぼしてあげたのに。
先回りして望みを叶えるのは悲劇のもとだと、様子を見ていたのが間違いだったのかしら。
あの子が悲しんでいる時、すぐに対処してあげればよかった。
どれほど悔やんだところでもう遅い。あの子は悪魔と契約してしまった。
強大な力を得たと喜ぶあの子は、自分が破滅の道を進んでいることに気が付いていない。
人の身には過ぎた力に呑まれて死ぬか、悪魔と契約した痕跡を見咎められて処刑されるか。
いずれにしても、あの子はじきに破滅する。
「どうしましょう……どうすれば、あの子を守れるのかしら」
あの子に害を為すものがただの人であれば、対処は簡単だった。
水を操って呑み込んでしまえばいい。
以前私の住む森を切り開こうとした人間たちのように。
でも、悪魔の魔力からは守れない。
精霊と悪魔では種族として大きな差があるもの。
せめて、私が上位の精霊だったら守れたのでしょうけど……。
魔石を取り上げようにも、加護を渡してしまったあの子を見つけるには時間が掛かる。
それまでに、あの子の身に何かあったらどうすればいいのかしら。
いえ、そもそもあの子は私の言葉を素直に聞いてくれるかしら。
もし、あの子に拒絶されたら――。
「お悩みのようですね」
その時、私のほとりに異質な魔力が佇んだ。
二股に分かれた長い尻尾に艶やかな黒い毛皮。
薔薇色の瞳で水面を見つめるのは、この辺りでは珍しいケットシーだった。
お洒落なのか、青い金属の首輪が毛皮によく映えている。
妖精は金属を嫌うと聞いたのだけど……お洒落は我慢ともいうものね。
「あら、どうしたの? 迷子かしら。
ケットシーの集会はまだ先だったと思うけれど……」
この森では月に一度、ケットシーの集会が開かれる。
湖の化身である私はここからあまり離れられないから参加したことがないけれど、ここへ訪れる妖精たちの話によると歌ったり踊ったりとそれはもう賑やかみたい。
いつか、あの子と一緒に見てみたいものだわ。
けれど、ケットシーの集会は満月の夜にしか開かれない。
今夜の月はまだ弓型だから、集会はもっと先のはず。
若い子のようだから、日時や場所を間違えてしまったのかしら。
そう思って尋ねると、ケットシーは優雅に尾を揺らして首を横に振った。
「いいえ。僕は君を訪ねに来たのですよ」
「あら、私に?
ごめんなさい。今はお付き合いしている余裕がないの。
また今度――」
「君の願いを叶えられる手段を知っていると言っても?」
それは、今の私がもっとも求めている言葉だった。
期待のあまり水面にさざ波を立てながら、恐る恐る問いかける。
「あの子を救えるの?」
「ええ、簡単ですよ。
誰かに害される前に、自分の元へ引き込んでしまえばいい」
「それくらい、私も考えたわ」
けれど、出来なかった。
あの子は水の中では生きられないし、私は陸では生きられないもの。
もちろん、魔法で一時的に呼吸させることは可能よ。
でも、人間は水中で暮らすのには向いていない。
陽の届かない冷たい水底で半日も過ごせば狂ってしまう。
何度か試したからよく知っているの。
あの子を狂わせることは、あの子を死なせる以上にしたくない。
我欲と自己愛に満ちた傲慢さが損なわれてしまうもの。
利己的な欲求に塗れた姿こそ、あの子の魅力なのに。
私の言葉を聞いたケットシーが微かに目を細めた。
「不可能を可能にする方法が一つ、あるでしょう」
「……契約ね」
あの子を見ていたから、ケットシーの言いたいことはすぐに分かった。
それ自体は別に構わない。
人間と違って、悪魔との契約が罪であるという規則は精霊にはないもの。
ただ……。
「契約の方法が分からないわ。
あの子と同じ方法でいいのかしら」
「それを教えるために、僕が来たのですよ」
「そうだったのね。親切にありがとう。
あとでお礼をあげるわ」
私の言葉に、ケットシーは静かに首を横に振った。
「感謝は不要ですよ。
僕はただ、役割を果たしただけですから」
「役割?」
「君のように迷える者を契約に導く。
それが僕の役割です」
長い尻尾を優雅に揺らして、ケットシーが静かに言った。
そういえば、悪魔に手を貸す種族がいると聞いたことがあるわ。
当時は強大な力を持つ悪魔にどうやって貸しを作っているのか不思議に思っていたけれど、こういうことだったのね。
「では、教えてちょうだい。
あの子を救うために、悪魔と契約する方法を」
そう問いかけると、薔薇色の瞳が三日月のように細くなった。