幕間 水面下にて
「……では、今日はこの辺りにしておこう。
前回定期メンテナンスを行った者のリストは、出来るだけ早く用意する」
「頼んだ」
凝り固まった筋肉をほぐすために一度フクロウに姿を変えながら、レーベンに言葉を返した。
そろそろ屋敷に戻ってペットに癒されたいところだが、調べることはまだ残っている。当分は帰れそうにない。
寂しい思いをしていなければいいんだが。
「異世界はいいよな。「労働基準法」があって……」
「労働基準法は役職者には適応されないらしいぞ」
死神の長という立場上、俺よりも異世界の知識に詳しい――異世界から輸入した魂の記憶を消去せずに転生させ、かつ魂の主が異世界の知識を流出させた場合、即座に対応するためだ――レーベンが淡々と告げた事実に頭がずっしりと重くなった。
役職者にこそ適応させるべきじゃないのか、労働基準法。
いや、もちろん立場の弱い平社員も大切にするべきだが……。
「……課長代理って、役職者扱いになると思うか?」
「仮にならないとして、君にその法律がされた場合に業務は正常に回るのか?」
「…………異世界のブドウは酸っぱいな」
現状、この会社でもっとも多くの仕事を抱えている悪魔は俺だ。
もともと人事部自体が他部署より忙しいのに加えて、人間たちが色々と騒ぎを起こしているせいで仕事量そのものが増しているせいだ。
レーベンの言うとおり、もし俺に労働基準法が適応されたら間違いなく業務が滞るだろう。
「仕事を任せられる部下が欲しい……」
「君が育てている二名はどうなんだ」
「可愛い後輩だが、今はどちらもな……」
幾名もいる後輩のうち、特に目を掛けているのはクラージュとフィデリテだ。
だが、後継とするにはどちらもまだ力が足りない。
クラージュは魔力量が心もとないし、フィデリテは直情的すぎる。
フィデリテをクラージュが補佐するのが理想だが、今の関係だと難しいだろう。
「君としては、どちらに期待しているんだ?」
「フィデリテだ。クラージュはおそらく、魔力の上限が低い」
悪魔によって魔力の上限は異なり、またそれを超えて魔力量を増やすことは難しい。
手段がないわけではないが、現状はすべて禁止されている。
確かにクラージュは魔力の節約に長けているし、魔法に頼らず物事を対処する力も高い。
俺の仕事の一部を引き継ぐことは可能だろうし、実際いくつかこなさせたこともあった。
結果はおおむね満足のいくものだったから、実力は申し分ない。
だが、俺の業務には異世界の勇者や天使への対応も含まれる。
あいつの魔力量でそんなことをさせたら最悪、相対した瞬間に消滅する。
俺の補佐には据えられても後継には出来ないし、したくない。
クラージュにはもっと相応しい役割を与える予定だ。
今回の一件で後輩の指導も出来ると分かったし、問題はないだろう。
だから、後継として考えているのはフィデリテの方だった。
魔力量と違って思考の癖や視野の狭さは修正可能だからな。
昨日の騒ぎを聞いた限り、俺の教育はあまり意味を成していなかったようだが……。
「お前はどうなんだ?
確か、次の長は転生課から選ぶんだったよな」
死神の長は代々、転生課と終焉課から交互に選ばれると決まっている。
レーベンは終焉課の死神だから、次は転生課の死神が長になるはずだ。
尋ねるとレーベンは「ああ」と頷いた。
「ライフ・ラ・モールに任せることにした。
まだ幼いが、経験はいくらでも積める。
今後の死神には彼の柔軟な思考が必要だ」
「これはあくまでお前の友としての意見だが……大丈夫か?
その死神はここ二百年の間にずいぶん多くのミスを犯しているようだが」
つい数か月前にクラージュから報告された「異世界の記憶保持者がこの世界にはない化粧品を作成し、販売していた」と一件を思い出す。
製作者の信用を徹底的に貶めたことで既に化粧品自体は人間社会から消えているようだが、そういう品が出回ったという事実は残ってしまっている。
それが今後どのように人間たちに影響を及ぼすのか、監視する必要があるだろう。
それ以外にも、ライフという死神は同じようなミスを十件ほど犯していた。
これまで異世界の記憶保持者が現れる頻度が数百年に一人程だったことを考えると異様なペースだ。
死神の長が誰になろうと構わないが、同じ要領でミスを繰り返されたらたまらない。
協力する悪魔――死神に協力したがる奴も、それだけの余裕がある奴も多くないから大半はクラージュになるだろう――にとっても、信用を落とした上に報酬を支払わなければならない死神にとってもよくない事態になりかねない。
内政干渉と言われないよう言葉を選びながら尋ねると、レーベンは目を伏せたまま静かに口を開いた。
「彼のミスは全て私の責任だ。問題はない。
それに、ミスの多さはそれだけ対処に慣れているということでもある。
ライフ・ラ・モールなら、何があっても冷静に対応してくれるだろう」
「そうか……」
レーベンの考え方には賛同できない部分も多いが、これ以上は過干渉だ。
死神の長選びに悪魔の俺が納得する必要もないと口をつぐんだ。
話が一段落したのを見計らってか、レーベンが立ち上がる。
終焉課の制服である黒いローブの衣擦れの音が次第に遠ざかり、ふと止まった。
「ところで、君は気付いたか?」
「なにをだ?」
「君の後輩……クラージュは、何か隠している」
それは言われずとも気になっていたことだった。
生まれた時から傍で面倒を見てきたんだ。
どれほどうまく誤魔化されても見逃すわけがない。
そして、隠した内容も大体検討がついていた。
クラージュなら間違いなく気付くし、指摘してくると思ったからな。
なかなか言いださないからヒントまでやったのに、まさかはぐらかされるとは思わなかった。
「ノレッジが動作不良を起こしているかもしれない、ということだろう」
「気付いていたのか」
「報告を受けた段階でな。
それに、エスペランサからの資料でもその可能性が指摘されていた」
自分が殺した相手がクラージュたちの契約相手だったことで、その可能性に気付いたそうだ。
エスペランサは興味のないことには怠惰だが、契約に関しては真摯だ。
調査書に記載された警告を見逃すことはあり得ないし、実際そういった旨の警告はどこにもなかったらしい。
動作不良を疑うには十分すぎる根拠だった。
それが偶然か必然かは、まだ断言できないが……調べればいずれ分かることだ。
「ノレッジの調査はフェーデが担当するらしい。
あとで連絡して、定期メンテナンスのリストは既にこっちで頼んであると言っておく」
「助かる。
それで、君の後輩についてはどうするつもりなんだ」
「そうだな……」
社長室の場所すら知らないクラージュが第一エリアの素材を持ち出したとは考えにくい。
だが、持ち出した奴を知っていて隠している可能性は否定できない。
長年あいつを見てきた「サジェス」としては考えたくないが、人事部課長代理として、知恵の名を与えられた第五位の悪魔としては疑わざるを得なかった。
それに、親しい相手を調べないことがいい結果につながるとは限らない。
クラージュに何の咎もなければ、これで容疑は晴れる。
あいつを信じているのなら、むしろ積極的に調査したほうがいい。
問題は、誰がクラージュを調べるかだ。
俺はこれ以上仕事を抱えられないし、フィデリテに任せるのは避けたい。
相性の問題もあるが、なによりクラージュは魔力や気配に敏感だ。
魔力の隠蔽が苦手なフィデリテが行動を監視してもすぐにばれるだろう。
そこまで考えた時、人間によく似た魔力を感じてそちらを向いた。
「あら、ばれてしまいましたか」
鈴を鳴らすような可憐な声が辺りに響く。
同時に、花を思わせる甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。
どこか妖しい光をたたえた桃色の瞳は夢魔の王族であることの証だ。
「フィリアか」
「上手に隠せたと思ったのですけど、残念です」
「人間社会なら気付かなかったかもしれないが、ここは会社だ。
人間の魔力を感じるのはおかしいだろう」
「ひょっとしたら、誰かがペットを連れ込んだのかもしれませんよ。
ね、サジェスさん」
「…………こんなところまでわざわざ何の用だ?」
フィリアにはどう足掻いても口で勝てる気がしない。
早々に白旗を上げて、話を変えた。
くすりと笑ったフィリアが口を開く。
「広報課の課長として、サジェスさんのお手伝いをしようかと思いまして」
「それはありがたいな」
夢魔は魔力の隠蔽が得意な種族だ。王女であるフィリアは言うまでもない。
それに広報という立場上、監視がばれても言い訳しやすい。
クラージュもフィリア相手なら多少気が緩むだろう。
「その代わり、報酬は請求しますが」
「もちろん支払うさ。お望みをどうぞ」
「クラージュさんのお食事を作る権利、一度だけ譲ってもらえませんか?
おいしいローストが作れたので、ぜひ召し上がっていただきたくて」
「……一度に全部食わせる気か?」
この頃のフィリアが肉のローストとジャムを乗せたクッキーを頻繁に試作していることは、クラージュ以外でフィリアと親しい者なら誰でも知っている事実だ。
何故クラージュは除くのか、という疑問はフィリアが熱心に試作を重ねている二つの料理があいつの好物だということを知っていれば自ずと分かるだろう。
もっとも、クラージュの好物はユニコーンのローストであって、魔力を持たない牛や豚のローストはそれなりだが……本番に使用する肉はユニコーンよりも遥かに魔力を含んでいるから、あいつの口にも合うはずだ。
その量が到底一食分に収まりきらない、ということに目を瞑ればだが。
「せめて十日くらいに分けて食わせてやれ……融通を利かせるから」
「あら、お優しいですね」
「クラージュの肉もそろそろなくなりそうだからな。
それに、腹を壊す後輩は見たくない」
「では、クラージュさんの容疑が晴れるまで監視する代わりに、お食事を作る権利を十回分譲っていただくということで」
「それでいい」
フィリアと取引をするのに駆け引きは不要だ。
お互いに手の内は分かっているし、下手に嵌めれば次回はこちらが痛い目に合う。
「それでは、おねがいしますね。サジェスさん」
「ああ」
依頼内容と報酬を手短に確認すると、フィリアは無邪気な笑みを残して姿を消した。
時刻は深夜、夢魔の行動時間だ。きっと今から食事に行くんだろう。
「君たちは息が合っているのかいないのか、よく分からないな」
俺たちのやり取りを眺めていたレーベンが、ぽつりと呟いた。




