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21話 薄氷を叩けば魚は潜る

「おかえり。クラージュは目が覚めたみたいだな」

「あ、サジェス先輩!」


 会社に戻った俺たちを出迎えてくれたのは課長ではなくサジェスだった。

 課長の席には「会議中」と記された金色のプレートが置かれている。

 付近に残る魔力痕跡はまだ濃いから、席を立ったのは少し前だろう。


 役職者会議は大抵長引くから、戻ってくるのはまだ先になりそうだ。

 先にエスペランサから受けた依頼を済ませるか。


「ちょうどよかった。話があるんだ」

「……エスペランサか」


 そう呟いたサジェスの視線は、トレーラントの胸元で揺れる花に向いていた。

 血溜まりを思わせる瞳には複数の感情がない交ぜになって浮かんでいる。

 今まで見たことのない表情に若干の戸惑いを感じながら「ああ」と頷いた。


「契約に向かった先でちょっとしたトラブルに巻き込まれたんだ。

 偶然居合わせたエスペランサに助けてもらったついでに、おつかいを頼まれた。

 花はその報酬と、迷惑料だってさ」

「トラブル? そんな報告は――いや、今はいいか。

 詳細を教えてくれ」

「ああ」


 奴隷商の男に虚偽の理由で召喚されたこと。

 召喚先では魔法を封じられていて、矢を射かけられたこと。

 エスペランサに魔法の封印を解いてもらったこと……。


 先ほどの事件を話すにつれ、サジェスの表情は次第に険しくなっていった。

 これほどの不祥事が起きたんだから、無理もないか。


「――そういうわけで、素材を誰が持ち出したのかサジェスに調査して欲しいそうだ。

 必要な資料は花の中に入ってるらしい」

「なるほど、エスペランサらしい渡し方だ」


 そう言って、サジェスがそっと花をつついた。

 小さく震えた花びらがゆっくりと宙を舞い、差し出された掌に降り積もる。

 どこからか取り出した小瓶に全ての花びらを注ぎ入れながら、サジェスは深々とため息を吐いた。


「俺はそのうち、この世界で初めて過労死した悪魔になるかもしれない……」

「カロウシ?」

「働きすぎて死ぬってことだ。

 異世界の人間にはよくある死に方らしい」

「死ぬ前に働くのをやめるって選択肢はないんすか?」


 トレーラントのもっともな疑問に、サジェスは困ったように肩をすくめた。

 異世界の人間というのはずいぶん難儀な生態をしているらしい。

 この世界に生まれて本当によかった。

 生きるための手段で死ぬなんて考えただけでゾッとする。


「……けど、働きすぎたくらいで死ぬほど悪魔はやわじゃないぞ」

「直接的な要因にはならなくとも、間接的な要因にはなりうるさ。

 悪魔でも疲労が蓄積すれば動きが鈍くなるし、集中力を欠く。

 今回みたいにな」

「今回……って、どういうことっすか?」

「おいおい」


 首を傾げたトレーラントを見て、サジェスが苦笑した。

 指を鳴らすと同時に現れた紙の束が、俺の頭の上にポンと置かれる。


「決闘で疲れが溜まっていたんだろうが、調査書はしっかり読め。

 召喚先でトラブルに巻き込まれないための基本だろう。

 クラージュらしくもない」

「…………それか」


 エスペランサと別れた後、脳裏を過ぎった違和感。

 その正体がようやく分かった。


 調査書にノレッジからの警告が記載されていなかったんだ。


 正確には「召喚理由が虚偽である」という警告はあった。

 なかったのは「召喚先で魔法の使用が封じられている」「契約相手がエスペランサのターゲットになっている」という警告だ。


 ノレッジの調査は常に徹底している。

 召喚相手の素性や秘めた望みといった契約に必要な情報から、召喚先に罠が仕掛けられていないか、他の悪魔と契約がバッティングしないかといったトラブルを防止するための情報まで内容は様々だ。

 可読性の問題から、調査書には最低限の情報しか記載されないけどな。


 その最低限の中には、先に挙げた警告も含まれている。

 当たり前だ。社員が安全に契約を遂行するための事前調査だからな。


 だから、本来なら俺とトレーラントはルーカスの召喚に応える前にその企みに気付けるはずだったし、エスペランサの契約相手がそいつの死を望んでいることも把握出来たはずだった。

 怪我がなかったとはいえ不意を突かれ、代償を取りはぐれたのは調査書に警告がなかったためだ。


「トレーラント。その調査書、ちょっと見せてくれ」

「いいっすよ……はい、どうぞ」


 トレーラントに抱え直され、サジェスから渡された調査書に視線を落とす。

 サジェスに言われた通り見落としたのかと思ったが、やはり警告は「召喚理由が虚偽の可能性がある」という一つきりだった。


 ゴーレムであるノレッジが疲労や経験不足でミスをすることはあり得ない。

 なんらかの機能に障害が生じていると見ていいだろう。

 偶然か、あるいは何者かが細工したのか。


 後者だとすれば、素材を持ち出した奴と同一犯である可能性が高い。

 そもそも素材の持ち出しにノレッジが気付かないこと自体おかしいからな。

 持ち出しを認識できないよう予め細工されていたのなら納得がいく。

 もしそうなら、容疑者はかなり絞り込めそうだ。


 社長室の場所を知っている者は多いが、ノレッジの本体に接触できる者は少ない。

 定期メンテナンスを担当する死神と、上位の中でも一握りの悪魔だけだ。

 具体的には位階持ちと役職者。それにその候補者だな。


 決闘後の報告なんかでノレッジの前に連れていかれることもあるが、これは除外する。

 役職者と決闘相手がいる前で細工できるわけがない。


 ああ、そうなると死神も除外していいか。

 定期メンテナンスには必ず、悪魔が一名同行する。

 ノレッジを作動させるには一定以上の魔力が必要だからだ。

 死神だけだと魔力不足で、動作点検が出来ないからな。


 悪魔の目を盗んでノレッジに細工をするのは不可能とは言わないが困難だ。

 そいつと組んでいたなら話は別だが、悪魔が己に利がない企みに協力するとは――。


 ……そういえば。

 何故、ノレッジに細工をしたんだろう。

 何故、第一エリアの素材を持ち出したりしたんだろう。


 ここでいう「何故」というのは動機に対する疑問じゃない。

 その手段を選んだ理由に対する疑問だ。


 事が露見すれば、容疑者はかなり絞られる。

 今のところ役職者と位階持ちはほぼ兼任だし、役職者候補もそれほど多くないからな。

 サジェスがその気になって調べれば、誰が細工をしたのかはすぐに分かるはずだ。

 ノレッジに細工できるような奴が、そこに気付かなかったとは思えない。


 ばれても逃げ切れる想定だったのか、ばれても構わなかったのか。

 あるいは……疑われること自体ないと思ったのか。


「トレーラント……」

「残業とは珍しいな。

 営業部は死生部と違って、その辺りの管理はしっかりしていると思ったが」

「レーベン」


 ふと後輩の名前が零れ落ちた時、氷のように冷えた声が室内に響いた。

 そちらを向いたサジェスが苦笑いを浮かべる。

 いつの間にか、部屋の入口に見知らぬ死神が佇んでいた。


 死神特有の雪のように白い髪はライフとは違って癖が一切無い。

 紫水晶を思わせる目は生を司る転生課でなく、死を司る終焉課に属していることの証明だ。

 それを裏付けるように、レーベンと呼ばれた死神の手には背丈ほどもある大鎌が握られていた。


「時間になっても来ないから迎えに来たが、それどころではなさそうだな。

 食事はまた後日、ということでいいか?」

「悪いが、そうしてくれ」


 淡々と尋ねる死神にサジェスが申し訳なさそうに告げた。

 どうやらこの後、食事に行く約束をしていたらしい。

 不可抗力とはいえ、邪魔をして悪いことをしたな……ああいや、そうじゃなくて。


「サジェス――」

「それにしても、愚かな真似をするものだ。

 発覚すれば、ただでは済まないだろうに」


 感情が籠らないその言葉を聞いた瞬間、何故か頭がすっと冷える心地がした。

 魔力が体内を巡る音がやけに大きく聞こえる。


「聞いてたのか?」

「ああ、済まない。

 話が終わってから声を掛けようと待っていたのだが、聞こえてしまった。

 言われずとも他言はしない」

「……まあ、長のお前ならいいか。

 どうせ、死神にも協力を仰ぐことになるしな……」


 ため息交じりに呟くサジェスの声は不思議と遠く聞こえた。

 「先輩」と俺を呼ぶ無邪気な声が鼓膜を揺らす。


「さっきの「ただでは済まない」って、どういうことっすか?」

「ああ、ええと……」


 会社の規則は全て頭に入っている。

 この質問にも答えられるはずなのに、言葉が上手く出てこない。

 そんな俺を見かねたのか、死神が口を開く気配がした。


「第一エリア内の情報や備品は全て社内秘に指定されている。

 無断で持ち出した場合、待っているのは処刑だ」

「処刑って……死ぬってことですか?」


 不安げなトレーラントの問いかけに死神が首を横に振った。


「二度と転生出来ないよう、魂を破壊する。

 生者に与えられる罰としては、最も重い罰だ」

「確かに、考えただけでゾッとしますね……。

 ねえ、先輩……先輩?」


 それが俺に向けられた言葉だと気づくのにやや時間が掛かった。

 「クラージュ」と強めに名前を呼ぶサジェスの声にようやく我に返る。

 そうだ、返事をしないと。


「ああ……そうだな」

「どうしたんすか、先輩。さっきからぼーっとして。

 ひょっとして、疲れてます?」

「そうかもな……。

 精霊言語で話すのは久々だったから、気を張っていたのかもしれない」

「じゃ、報告は明日にして今日はもう部屋に戻りましょう。

 いいっすよね、サジェス先輩!」


 尋ねるトレーラントに苦笑して、サジェスがひらりと手を振った。


「ああ、俺が代わりに報告を受けたってことにしてやる。

 そもそも、お前が疲れている原因の半分は俺の指導不足だしな。

 今日はもう、ゆっくり休め」

「悪いな、助かる」

「夜更かしするなよ……っと、そうだ。

 さっき、何か言いかけていたみたいだが……何を言おうとしたんだ?」


 暗い場所では漆黒に見える瞳が静かに俺を見据えた。

 記憶の底に沈みかけていた推測がふと浮かび上がる。

 同時に、それを告げることの迷いも浮かんできた。


 これはなんの根拠もないただの推測だ。

 下手に先入観を与えると余計な手間を取らせるかもしれない。

 もっとよく考えてから口にした方がいいんじゃないか。


 どれも()()()()()()()意見だ。

 単なる憶測をサジェスに告げることはない。


 とはいえ、何でもないと言えば余計に追及されそうだ。

 要らぬ心配を避けるため、適当に別の理由を告げることにした。


「食事に行くところを邪魔して悪かったと言いたかったんだ。

 最近、忙しかったんだろ」

「なんだ、そんなことか」


 幸い、疑われた様子はなかった。

 黒みを帯びた赤い瞳に柔らかな色が宿る。


「残念ではあるが仕方ないさ。これが役職者ってものだ。

 お前達の責任ではないから気にするな。

 レーベンはちょっと来てくれ。話したいことがある」

「ああ」


 さっそく調査をするつもりなんだろう。足早に部屋を出ていくサジェスと死神を見送り、ほっと息を吐く。

 今はあまり、サジェスと長時間話したくなかった。


「じゃ、俺たちも戻りましょう。先輩」

「そうだな……トレーラント」


 さっき呼んだのと同じ響きの名前をもう一度口にする。

 今度は届いたのか、真紅の瞳がしっかりとこちらを向いた。


「なんすか、先輩?」


 ……そういえば、俺はなんでトレーラントを呼んだんだろう。

 駄目だな。疲れてるせいか全く頭が回ってない。

 つい呼んでしまっただけだと言いかけて、一つ伝えることを思い出した。


「…………俺の身体が戻ったら、魔法無しで戦う方法を叩きこむからな」

「え、なんでっすか?!」

「今回みたいなことがあった時に困るだろ。

 武器の一つは扱えた方がいい」

「確かにそうっすけど……」


 よほど武器を手にするのが嫌なのか、トレーラントが口を尖らせた。

 まあ、普通の悪魔だったらそういう反応になるよな。

 魔法が封じられるなんてイレギュラーは頻繁に起こるものでもないし。


 だが、少しの手間で「万が一」への対処法が身につくなら惜しまない方がいい。

 悪魔には寿命がない。生きていれば時間はいくらでも作れるが、核を破壊されたらそこで終わりだからな。


 とはいえ、後輩に無理強いするのは気が引ける。

 ここは方針を変えて、物で釣ることにした。


「確か、この辺りに……ああ、これだな」

「わ、綺麗っすね!」


 家の保管庫に仕舞っていた宝剣の幻像を見せると、トレーラントの目がぱっと輝いた。

 複雑な曲線で構成された黄金の鍔。細い刃の根元には装飾的な彫刻が施され、それを収める白塗りの鞘には真紅の宝石が輝いている。


 芸術品のように美しい品だが、切れ味は抜群だ。

 状態保持の魔法が掛かっているから何人斬っても切れ味は落ちないし、手入れの必要もないからトレーラントでも扱いやすいだろう。


「剣をきちんと扱えるようになったら餞別として渡す。

 これなら、普段は装飾品代わりに身に着けていられるだろう?」

「俺は嬉しいっすけど……いいんすか?

 なんかこれ、すごく高価そうっすけど」

「仕事で迷宮を攻略した時に手に入れた品だからな。

 俺の趣味には合わないから持て余してたんだ。遠慮なく貰ってくれ」


 これは気遣いでもなんでもなく、ただの事実だった。

 使い勝手はいいんだが、持ってると目立つんだよな。この剣……。

 変化の魔法が使えない関係上、人間と接する際は目立たないように過ごしている俺にとって、この剣はちょっと都合が悪い。


 トレーラントなら目立っても問題はないし、よく似合うはずだ。

 不要なものを処分出来て、後輩のやる気も引き出せる。

 俺にとっては損のない取引だった。


「そういうことなら、いっぱい練習するっす!

 さっそく、明日から頑張るっすね!」

「いや、俺の身体が再生してからでいいんだが……」


 というか、身体が戻ってからでないと練習に付き合えない。

 張り切るトレーラントを宥めているうち、先ほど感じた違和感はすっかり頭の片隅に追いやられていた。

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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[良い点] ノレッジのメンテナンスに携われて、細工ができて、可能性として候補。 頭をかすめてる何かはクラージュ先輩は、思考してまとめることを無意識に避けていたり? 過労死、異世界の人間に多いのかー。…
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