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19話 綺麗な花には棘がある

「おいしい? よく噛んで食べるんだよ」


 優しく告げるエスペランサに、つぼみがゆらゆらと上下に揺れた。

 どうやら、規格外なのは大きさだけじゃないらしい。

 そもそも植物なのに人を食べるってどうなって……あ。


「悪魔?」


 損したな、と嘆息したのとエスペランサがこちらに気付いたのは同時だった。

 一点の曇りもない瞳が不思議そうに俺たちを見つめる。

 尋ねられる前に答えておこう。


「初めまして。人事部のクラージュと、トレーラントです」

「初めまして。私はエルフ部のエスペランサ。

 サジェスから話は聞いている。エルと契約した悪魔でしょう」

「エル?」


 どこかで聞いたことのある名前だ。

 いや、エルなんてよくある愛称だから聞き覚えがあっても不思議じゃないが……。

 記憶を探っていると、俺たちに合わせて腰を屈めたエスペランサが言葉を続けた。


「私のペット。好奇心旺盛で賢くて、綺麗な月の目を持っている。

 本当はもっと長い名前だったのだけど、私はエルと呼んでいる」

「ああ、ラファエルですか……」


 ラファエル・フォン・ミルヒエル。

 俺が首になったばかりの頃、トレーラントの代わりに契約した人間だ。

 月の目持ちという言葉で思い出した。そういえば、ペットショップに売ったな。


 エスペランサが飼い主なら、後味の悪い結果にはならないだろう。

 なにせ、相手はこの世界で最も力のある種族の頂点に立つ悪魔だ。

 ラファエルが多少魔法に耐性を持っていようが関係ない。

 ほっとしていると、微笑んでいたエスペランサが真剣な顔になった。


「本当はもっとエルのことを語りたいけれど、仕事の話が先。

 私はエルフから、ルーカス・ヴァイントラウベを殺すよう望まれた。

 調査書によると、彼は悪魔と契約していないはず。

 何故、人事部の悪魔がここに?」

「実は――」


 ルーカスに召喚されたが、目的は契約ではなく俺たちの捕縛だったこと。

 何故か魔法が使えなかったので他の手段で応戦したこと。

 代償を得る前に魔法が使えなくなった原因を聞き出そうとしたこと。

 それらを話すと、エスペランサが微かに眉をひそめた。


「魔法が使えなかった?」

「ええ、魔法障壁が発動しなくて」

「今も?」

「はい」


 俺の予想が正しければ、魔法が使えない原因は建物自体にあるはずだ。

 第一エリアと同じく、床や壁に魔法を封じる素材が使われているんだろう。

 この場にいる以上、エスペランサも状況は同じはずだ。

 わざわざ尋ねる必要はないと思うんだが。


 そんなことを考えながら頷くと、エスペランサが怪訝な顔で右手を軽く振った。

 指先から色とりどりの花がぱらぱらと零れ落ち、華やかな香りが辺りに広がる。

 ……あれ?


「ひょっとして、もう魔法が使えるように……」

「なってないな」


 期待に目を輝かせたトレーラントの言葉を引き取ってそう伝える。

 俺もそう思って風の魔法を発動させてみたが、結果はさっきと同じだった。

 魔力は練られているのに、放出が出来ない。


 まさか、俺たちだけ魔法を封じられた?

 もしそうだとしたら厄介度は段違いになる。

 広まる前に課長とサジェスに報告しないと。


 だがその前に、床と壁を少し持ち帰りたいな。

 実物があればサジェスも解析しやすいだろう。

 そのためにはエスペランサの協力が必要だが、どう切り出そうか。


「せ、先輩……」


 そんなことを考えていると、トレーラントが妙に怯えた声で俺を呼んだ。

 べりべりと何かを剥がす音も聞こえる。なにをしてるんだ?

 不思議に思いながら顔を上げ、トレーラントの視線を追う。


「ええ…………」


 先ほど零れ落ちた花が壁と床を咀嚼していた。

 言葉だけだと何を言っているのか分からないかもしれないな。安心してくれ、実際に見ている俺も分からない。

 花って、壁や床を食べるものだったか……?


 絶句している俺とトレーラントをよそに、壁に張り付いていた花の一つがエスペランサに擦り寄って何かを吐き出した。

 それに視線を落としたエスペランサが、ややあって納得した様子で頷く。 


「分かった」

「何が、ですか?」

「これは第一エリアの旧素材。

 だから私は魔法が使えた」

「旧素材?」


 そもそも、第一エリアの素材に旧とか新とかあるのか?

 心の中で呟いた疑問が伝わったのか、エスペランサが言葉を付け足した。


「少し前までは、私やフェーデは第一エリアでも魔法が使えた。

 当時の素材は魔力を抑えられる上限が低かったから。

 だから改良して、私でも魔法が使えなくなるようにした。それが新素材。

 旧素材は処分したはずなのだけど……」

「なぜか流出していた、ということですか?」

「そう。これは、管理者である私の責任。

 私の不手際で危険な目に合わせたことは謝罪する」


 そう言って、エスペランサが調べていた素材を差し出した。


「その上で、一つ頼みごとをする。

 これをサジェスに届けて欲しい。誰が持ち出したのか調査するように伝えて」

「それは構いませんが……」


 エスペランサは第一位の悪魔だ。

 植物を操る魔法を得意としていて、情報収集に長けていると聞いたことがある。

 わざわざサジェスに頼まなくても、自分で調べた方が早いんじゃないのか?

 俺の疑問を感じ取ったのか、エスペランサが困った顔をした。


「確かに私が調べるのが一番早いけれど、今回は関われない。

 私はこの素材の製作者であり、管理者。もっとも容疑者に近い悪魔。

 そんな悪魔が調査をした結果を、信用できる?」

「いえ……」


 どんな結果であれ、エスペランサが都合よく調査結果を変えたんじゃないかという疑いは晴れないだろう。

 そうなれば他の悪魔――おそらくサジェスが再び調査することになる。

 完全な二度手間だ。だったら、最初からサジェスが調査した方がいい。

 俺が出した結論を見抜いたかのように、エスペランサが頷いた。

 

「サジェスも私の親友だから完全に無関係ではないかもしれない。

 でも、サジェスは親友だからという理由で罪を見逃す悪魔ではないから」

「他の悪魔には頼まないんですか?」

「この手の調査はサジェスが一番確実。

 他の悪魔は大雑把。私も含めて」


 そういえば、前にサジェスがそんなことを言ってたな。

 位階持ちの中では自分が一番几帳面だから面倒事を任されやすい、とか。

 あれ、冗談じゃなかったのか。


「では、これを」


 知らないところで仕事が積み重ねられていくサジェスに同情していると、エスペランサがそう言って俺の髪に触れた。

 甘酸っぱい香りがふわりと鼻をくすぐる。


「調査に必要なものはその子に一式預けてある。

 社に帰ったら、サジェスに渡してほしい」

「その子?」


 なんのことだと首を傾げると、頭上から美しい細工の手鏡が差し出された。

 磨き上げられた鏡面には見慣れた自分の顔が映っている。

 さっき触れられた場所に視線を移すと、葡萄酒色の花が風もないのにひらひらと揺れていた。花から伸びた細い蔓の先には、俺が今見つめている手鏡が握られている。

 エスペランサの言う「その子」とは、どうやらこの花のことらしい。


「報酬とお詫び。サジェスに資料を渡した後なら、自由に扱って構わない。

 魔法薬の素材にしてもいいし、気が利く子だから助手にしてもいい。

 エアトベーレの入国許可証にもなっている」

「もう国として機能するようになったんですか?」


 最後に見たエアトベーレはひどい有様だった。

 糖を含んだ雨によって水も土も汚染され、透明な花に寄生された死体が燃やされ、糖衣に覆われた人間たちがあちこちに転がっている。

 端的に言えば地獄絵図だ。


 復旧には時間が掛かると思っていたんだが、ずいぶん早いな。

 驚く俺に、エスペランサが僅かに口元を緩ませた。


「花たちが頑張ってくれたおかげ。

 はやくエルにプレゼントしたいという私の気持ちが伝わったのかもしれない」


 そういえば、エスペランサは「ペットの別荘」としてエアトベーレを求めたんだったな。

 交換で貰ったエルフを見せてくれたサジェスが言っていたのを思い出す。

 別荘代わりに国を貰えるなんて、ペットとしては最上級の生活じゃないか?

 俺もそんな暮らしを送りたいとは全く思わないが。


「そのせいか警備の花たちも張り切っていて、許可証を持たずに入国しようとした者は全員食べてしまうようになった。

 不便な思いをしたくなければ、訪れる際は気を付けて」

「食べる……?」


 まるで暖かなカップを渡す際に「熱いから気を付けてね」と言い添えるような調子で告げられた忠告に、浮かべていた笑みが凍り付いた。

 許可証がないと入国を止める、というなら分かる。それは普通だ。


 でも、食べるってなんだ? あそこ、そんな物騒な国だったか?

 そもそもそれを「不便」で済ませていいのか。それどころじゃない気もするんだが。

 俺の疑問が伝わったのか、エスペランサが微笑んだ。


「食べるといっても、中に閉じ込めるだけ。消化はしない。

 ただ、私があまりマメではないから気がつくのに遅れる可能性がある。

 だから、エアトベーレを訪れる時はその子を連れて来て欲しい」

「…………分かりました」


 この先絶対に、何があってもエアトベーレには近づかない。

 密かにそう決意して、俺は物わかりの良い後輩らしい返事をした。

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[良い点] サジェスさま、他の方々に比べ几帳面なのでしょうが、他の方々大雑把そうというか、些末なことは気にしなそう。 なんか、サジェスさま結構苦労性? 何でも食べる優秀な花達、怖。 張り切りすぎてセ…
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