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18話 嘘吐きは地獄の始まり

「放て!」


 トレーラントが姿を現した瞬間、召喚陣の中央に立っていた男が声を上げた。

 周囲に潜んでいた男たちが一斉に矢をつがえ、こちらに放つ。

 ここまでは予想通り。


 予想と違ったのは、召喚された廃倉庫の空気がひどく淀んでいたこと。

 そして、トレーラントの魔法障壁が発動しなかったことだった。


「――え」


 悪魔にとって、魔法を使うのは人が息をするのと同じくらい当たり前の動作だ。

 中でも魔法障壁は転移魔法と並んで簡単で基礎的な魔法とされている。

 よほど才能のない新入社員でもない限り、失敗することはまずありえない。


 だからこそ、動揺は大きかったんだろう。

 息を呑んだトレーラントがその場に立ちすくんだ。


 矢で射貫かれた程度で悪魔が死ぬことはあり得ない。

 多少痛い思いはするがそれだけだ。魔法を使えばすぐに治せる。

 だが、それを言うならトレーラントが魔法障壁を失敗することもあり得ない。

 何か仕掛けがされている。原因が分かるまで、不用意な行動は慎むべきだ。


『風の精霊よ、同じ世界に暮らす同胞よ。一度だけ、力を貸してくれ』

『仕方ないわねえ』


 精霊言語で呼びかけると、くすくすと笑う「声」が返ってきた。

 同時に、飛んできた矢が途中で墜落する。

 風の精霊が空気を固め、矢を防いでくれたおかげだ。


 魔法というのは本来、自然現象に干渉する手段として生み出されたものだ。

 悪魔といえど、魔法を使わずに炎や水を操ることは出来ない。


 だが、精霊は自然を司る種族。

 魔法が使えなくとも自分と同じ属性の自然現象を制御することは容易い。

 今の状況ではもっとも頼りになる種族だった。


『後でちゃんとお礼を言ってね』

『あら、アナタ。身体はどうしたの?』

『デュラハンの落とし物かしら。うふふ……』


 ……こんな感じにからかわれるから、あまり頼りたくないんだけどな。

 普段は悪魔に協力を請う側だから、立場が逆転して楽しいんだろう。

 風の精霊は気まぐれで享楽的な奴が多いからなおさら。


 他の精霊ならここまでうるさくないんだろうが、あいにく相性がよくない。

 結局、俺の拙い精霊言語に応えてくれるのは風の精霊くらいなんだよな……。

 内心でため息を吐きながら、未だ呆けている後輩の目を覚ますため口を開いた。


「トレーラント!」

「!」


 鋭い声で名前を叫ぶと、トレーラントが息を呑んだ。

 どうやら我に返ったらしい。

 それならと次の手を考えていると、震える声が俺を呼んだ。


「なんで……なんで、魔法が使えないんすか!?」

「分からない、としか言いようがないな」


 魔法を封じる道具や手段はいくつか存在する。

 だが、そのほとんどは他種族の基準で作られたものだ。

 悪魔の魔法を封じることは出来ないし、出来たとしても人間が手にすることは出来ない。会社が厳重に管理しているからだ。


 可能性があるとすれば、悪魔が知らない間にそういった道具が発明されていたか、天使の仕業か。あるいは……。

 そこまで考えて、思考を打ち切った。

 現状、考察するには情報が少なすぎる。いくら考えても無駄だろう。

 今はこいつらを何とかして、無事に社へ戻る方が優先だ。


「魔法無しで戦った経験は?」

「全然ないっす……」

「そうか……まあ人間相手ならなんとかなるだろ。

 精霊に援護を頼むから、お前は極力怪我しないように頑張ってくれ」

「うう、なんで悪魔がこんな原始的な戦いをしないといけないんすか……」


 男たちを蹴り倒しながらトレーラントがため息を吐いた。

 素手や武器で戦うことを好まない悪魔は多い。

 俺としてはどんな方法であれ相手を制圧できればいいと思うんだけどな。

 優れた魔力を持ちながら自らの手を汚すのは、野蛮な行いらしい。


 魔力の多い悪魔はその傾向が特に顕著だ。

 典型的な悪魔であるトレーラントにとって、この状況はさぞ不本意だろう。

 他に方法がない以上、我慢してもらうしかないが。


「精霊言語が使えれば、助力を精霊に請うことも出来るんだが……」

「俺は先輩みたいに懐が広くないんで、他種族に助けを求めるのはいやっす。

 それに、仮に使えても精霊が俺に応えてくれないっすよ」

「なら、身一つで頑張ってくれ」


 そんなやり取りを交わしているうち、敵は次第に数を減らしていった。

 基本的に、弓矢は連射に向かない。

 射手の腕にもよるが、矢を放って番えるまでに数秒は掛かるからな。


 だからルーカスは召喚直後を狙ったんだろうが、思惑は外れた。

 次の攻撃がいつになるかは個々の技量次第だ。

 ばらばらに放たれる矢を避けることも、動揺する男たちを蹴り倒して、あるいは強風で壁に叩きつけて意識を奪うこともそう難しいことじゃない。


 気がついた頃には、ルーカス以外の人間は全員地に伏していた。

 小刻みに痙攣する男たちの周囲を精霊がふわふわと飛び回る。


『あら、もう終わり?』

『つまんな~い』

『これ、もうちょっと借りてもいいかしら?

 みんなで遊ぶだけだから』

『それを制限する権限は俺にないな』


 他種族を傷つけてはいけないという規則が適用されるのは悪魔だけだ。

 精霊が人間を弄んだとて、それを止める権利も義務も俺にはない。


 そう伝えると、精霊はキャッキャとはしゃぎながら男たちを運んでいった。

 『的当て』だの『人揚げ』だの言っていたが、風の精霊は気まぐれだ。

 遊びだして早々に飽きられれば生き残れるだろう……たぶん。


「ひっ……!」


 運び出されていく男たちを見て、ルーカスが引きつった悲鳴を上げた。

 精霊言語を理解している様子はないから奴らの末路に怯えているわけじゃないはずだが、人間なりに何か感じるものがあったんだろう。

 腰が抜けているのか、這うように後ずさる様はなんとも惨めだ。


「お、お助けを……! 私はただ、お客様の望みを叶えるために――」

「お前の行動理由などどうでもいい。

 問題は、お前が我々を騙したという一点のみだ」


 氷のように冷ややかな目でトレーラントがルーカスを見下ろした。

 慈悲を掛けるつもりは一切ないらしい。

 あまり好まない「野蛮な戦い」をさせられてよほど腹が立っているんだろう。


「トレーラント、待ってくれ」

「先輩?」


 静かに歩み寄るトレーラントを止めたのは慈悲の心が湧いたから……じゃない。

 代償を搾り取る前に聞いておかないといけないことがあったからだ。

 まだ正気で、話せる身体のうちにな。


「ルーカス・ヴァイントラウベ。

 お前は何故、悪魔の魔法を封じられた?」


 俺の知らない間に悪魔の魔法を封じる手段が編み出されたのなら、まあいい。

 いや、よくはないがサジェスに報告して対策を練ってもらえば済む話だ。

 天使が人間にそういった効果のある道具を渡したのだとしても同じだな。


 問題は、それ以外の場合だ。


 今回召喚された時に感じた空気には覚えがあった。

 身体の表面に纏わりついて魔力の放出を妨げる、もったりとした空気。

 あれは、資料室のある第一エリアで感じたのと同じものだった。


 あの辺り一帯は床も壁も天井も魔力を封じる素材を使用されている。

 以前サジェスから聞いた話では、第一位の悪魔が開発したものらしい。

 作り方を知るのは開発者とノレッジしかいない、とも言っていたな。


 だが、あの悪魔はエルフ部の所属。人間のルーカスとは契約出来ないはずだ。

 仮にできたとしても、他の社員を害するような契約をするのは規則違反。

 契約を交わした時点でノレッジに察知されて、取り返されているだろう。

 悪魔が交わす契約は全て、ノレッジが管理しているんだから。


 つまり。


 ノレッジに感知されずに素材を持ち出し、ルーカスに渡した奴がいる――と。

 そういうことになる。


 それも、おそらく持ち出したのは悪魔だ。

 第一エリアに出入りできるのは悪魔だけだからな。


 目的も動機もさっぱり分からないが、一つだけ分かることがあった。

 このまま事態を放っておくのはまずいということだ。


 魔法という最大の優位性が奪われれば、悪魔は間違いなく弱体化する。 

 さっきのトレーラントのように大きな隙を見せる者も出てくるだろう。

 混乱が起きる前に素材を持ち出した悪魔を特定して、捕らえたい。


「い、言えば見逃してくれるのか?」

「素直に答えればな」


 そう言うと、ルーカスの目に希望が宿った。

 嘘じゃない。素直に答えれば見逃してやるさ。()()な。

 心の中で呟いた言葉は口にせず、ことさらに優しい笑みを浮かべて答えを待つ。

 ルーカスがゆっくりと口を開いて――。


 その瞬間、地面が揺れた。

 建物全体が崩れるのではないかと思うほどの揺れに、天井からぱらぱらと埃が落ちてくる。


「ここから離れろ!」


 次第に大きくなる揺れの根源が足元であることに気がついて叫ぶ。

 飛びのいたトレーラントが俺を抱えてうずくまった直後、耳をつんざくような悲鳴が辺りに響いた。

 なんだ? 何が起きてる?


 揺れが収まったのはそれから数十秒後のことだった。

 建物に被害がなかったことに安堵しながら、トレーラントに声を掛ける。


「トレーラント、大丈夫か?」

「俺は全然平気っす。

 先輩は、どこか痛いところはないっすか?」

「ああ、お前が庇ってくれたから問題ない。

 あとはルーカスだが……」

「あ、忘れてたっす! 死んでないっすよね?」


 慌てて立ち上がったトレーラントが、ルーカスのいた方を振り返る。

 つられてそちらに視線をやった俺は、信じられないものを見た。


「先輩、あの…………あれ、なんすか……?」

「花、だな……」


 ルーカスがうずくまっていた場所にはいつの間にか、白いつぼみが生えていた。

 どことなく埃っぽかった室内には、花特有の甘く上品な香りが漂っている。

 何とも心安らぐ光景だ。


 トレーラントの背丈ほどもあるつぼみの表面が内側から微かに蠢いていなくて、固く閉ざされた花びらの隙間からルーカスが着ていた服と同じ色の布が覗いていなくて、そこから微かな咀嚼音とくぐもった断末魔が漏れ聞こえて来なければ。

 ……これ、どうすればいいんだ?


「いい子だね」


 優しい香りとは真逆の地獄絵図が繰り広げられる中、澄んだ声が響いた。

 淀んでいた空気が悪魔にとって心地よいものへと塗り替えられていく。

 つぼみのすぐ傍に一つの影があることに気付いたのはその時だった。


 桃色の髪に透き通るように赤い瞳。エルフのように長い耳。

 そして、俺たちの倍以上はある人としては異様に高い背丈。

 見覚えはないが聞き覚えはあるその姿に思わず息を呑んだ。


「エスペランサ……」


 全ての悪魔の頂点に立つ、花の悪魔。

 関わる機会などまずないだろうと思っていた相手がそこにいた。

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[一言] ひえ…!いったいどうなっちゃうのー! エスペランサさん高身長そうだなとは思ってましたが想像よりめちゃめちゃ背が高い。人外っぽさがすごい。いや悪魔なんですけど。
[良い点] エスペランサさまー! 咀嚼するお花がトラウマになりそうですね。 見覚えがなくても聞き覚えがあるくらいサジェスさまからきいていたのでしょうか。 私の中のイメージだと、性別すら超越する、圧倒的…
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